保健室2 居場所

「たいした傷じゃない」 

 蘇芳すおう先輩は明らかに安堵した顔で、椿つばき先輩の側に寄って行った。


「なによ、蘇芳。落ち武者?」

 桜宮さくみや先輩が訝しそうに言い、「平知盛たいらのとももりだ」と言い返す蘇芳先輩は。


 私の方を見ようとはしなかった。


「うーんと……」

 椿先輩は腕を組んで、私と蘇芳先輩を見比べた。


「生徒会執行部としても、事故報告書を職員室に提出しないといけないんだよね。詳しく話を聞きたいんだけど、どっちからにする?」


「俺が話す」

 蘇芳先輩はそれだけ言うと、私を一度も振り返らず、保健室から出て行った。


「……まぁ。じゃあ、あいつを先に、執行部の部室で取り調べてくるよ」

 椿先輩はまるで蘇芳先輩を犯人のように言うと、私に向かって眼を細めて笑う。


「しばらくしたら迎えに来るね。それまで桜宮と保健室にいてよ」

 私が頷くのを確認すると、椿先輩は蘇芳先輩を追うように保健室から出て行った。


「桃ちゃん、大丈夫?」

 桜宮先輩が、さっきまで蘇芳先輩が座っていた回転いすに腰掛けた。座面に両手を突き、上半身を乗り出すようにして私を見ている。


「私は大丈夫なんですが、蘇芳先輩が……」

 また涙が盛り上がりそうだ。ぐすん、と鼻をすすると、桜宮先輩は呆れたように首を横に振る。


「あんな大男、多少怪我したって大丈夫よ。そうじゃなくってね」

 桜宮先輩は顔をしかめる。


「葛葉さんよ。変な事されなかった?」

 私はきょとんとして桜宮先輩を見つめる。


「あいつ、絶対桃ちゃん狙いでしょ。大学の剣道部じゃあんまり良い噂を聞かない、ってうちの教室の師匠たちが言ってるの。だから、うちの高校に教えに来てる、って話が師匠たちの耳に入ってすぐ、私に連絡くれてね。『気を付けろ』って」

 桜宮先輩は苦笑する。


「狭い世界なのよ。横の連携はすごいしね。でも、気を付けるのは私じゃなくて、桃ちゃんだと思ってたから、見張ってはいたの」

 桜宮先輩はそう言って、すまなそうに上目づかいに私を見た。


「でも、あんまり役に立てなくてごめん」

「私……。全然、そんなのわからなくて……」

 唖然として首を横に振る。


 そう言われれば、思い当たる節はいくつかあった。葵が葛葉さんに言ったこととか、蘇芳先輩がやけに気にかけてくれていたこととか……。


「剣士はやめときなさいね」

 桜宮先輩はお姉さんぶった表情と仕草で私に言う。


「みんな、変わってるから」

 私はふと、勧誘の時の桜宮先輩の言葉を思い出した。


『何が悲しくて恋愛対象に剣士を含まなきゃいけないのよ』

 桜宮先輩は確かそう言っていた。


「でも、蘇芳先輩は私をかばってくれましたし……。椿先輩は、いっつも桜宮先輩を気にしてくれてますよね? 変わってるけど、良い人たちですよ」

 私はにっこり笑って桜宮先輩を見る。


「桜宮先輩は、剣士が嫌なんですか?」

 桜宮先輩は、しばらく無言で床を見つめていた。ぶらぶらと子どものように足を揺らし、ふと、視線を床から校庭の見える窓に向ける。


「私が剣道を始めたきっかけは、おじいちゃんだったの」

「へぇ」

 相槌を打つ。


「おじいちゃん、七段の剣士でね。強いし、優しいし。憧れて剣道の世界に入ったわけ」

 ま。今も生きてるけどね。桜宮先輩は笑って言うけど、視線は校庭に向けたままだ。


「小学校の時までは、何も考えずにやってたのよ。勝つことが楽しかったし、稽古はしんどいけど、師匠たちは良い人ばっかりだったしね。その時から蘇芳や椿とも知り合っててね。小学生は男女一緒に試合するから、よく椿を試合で突き飛ばして転がしてやったわ」

 思い出したのか、桜宮先輩はくすり、と笑う。


「私、中学受験をして、もともと私立の中高一貫校にいたの。知ってた?」

 蘇芳先輩からなんとなく聞いていたけど、私は首を横に振る。桜宮先輩は横目で私を眺め、口元を緩める。


「入学式の時、『学校案内パンフレットのモデルになってほしい』って校長先生に言われて……。深く考えずに、『いいですよ』って答えて。親も納得して、何枚か写真を撮ったんだけど」

 桜宮先輩は肩を竦める。


「パンフレットが出来上がって、ホームページとかに私の写真が載った次の日からクラス全員の女子に無視された」

 私はあっけにとられて、桜宮先輩の綺麗な横顔を見た。


「あいつ、自分で学校に売り込んだらしいよ、とか、芸能人気どりだよね、って言われたり……。思い出したくもないコラ画像作られちゃうし、個人情報駄々洩れだから、カメラ持った変なおっさんたちに付きまとわれたりするし。親が怒って写真の取り下げを申請したんだけど、ああいうの、消えないんだよね」


 はは、と笑う桜宮先輩に、私はかける言葉もない。ただ、ぽかん、とバカのように口を開いている。


 そういえば、あおいが言ってたじゃないか。芸能事務所がどうとか、こうとか。あれ、単純に噂だったんだ。しかも、桜宮先輩を傷つける。


「中学校は地獄だったから、私の居場所は剣道教室しかなかったの。ほら、剣道って女子少ないじゃない。いたとしても、さっぱりしてるから、付き合いは楽だしね。武道系はみんなそうかも。いまも、弓道部の子たちとは仲良くしてもらってるから」

 桜宮先輩は小さくため息を吐く。


「高校は外部にしようと思って、空見に来たの。そしたら、噂も消えるし、環境も変わるからいいかな、って思ってて……。蘇芳や椿も一緒だしね。なんとかうまくやれるんじゃないか、って思ってたら……」

 桜宮先輩はぶらぶらと足を揺らす。


「椿はわかるけど、蘇芳も結構、女子から人気あるのよねぇ」

 その言葉に、私は胸がどきりとする。蘇芳先輩、男の先輩や同級生に囲まれていつもいるから、そんな風に考えたこともなかった。


「その二人を、私が独占してる、とか言いだして……。剣道は男子が多いから、その男子狙いなんだろう、って」

 桜宮先輩は可笑しげに笑う。


「あんた達、防具の臭い知らないからそんなこと言うのよ、って言いたいわよ」

 笑いを納め、私を見た。


「私には剣道しか居場所がないのに。そこまでそんな風に言われたら、もうどこにもいられなくなってしまう」

 少しだけ悲しそうに首を傾げた桜宮先輩は、本当にはかなげだった。


「だから、『剣士なんて恋愛の対象外』って公言してるの。私が狙うのは、もっと清潔で洗練された知的な男だ、って」


 ああ、そうなんだ、と私は思った。

 何かに追い込まれて、駆けこんだ先が剣道だったのは、この先輩も同じだったんだ、と。


 その、自分が一番安全だと思っているところを守るために、大好きなものを、『対象外』と言い切って、過ごしているんだ、と。


 なんと声を掛けていいかわからず、ただ桜宮先輩を見つめていると、不意に先輩は悪戯っぽく笑った。


「でも、桃ちゃんがどうしても、蘇芳がいい、って言うんなら私は反対しないけど」

「わ、私は別に! そんなっ!」

 否定する勢いがすごすぎて、思わず立ち上がって首を横に振ってしまった。その動きが可笑しかったのか、桜宮先輩はけらけらと笑う。


「もう、桃ちゃん可愛いんだから」

 いきなり立ち上がり、やっぱり無意味に私に抱きつく。


「お待たせー…、って」

 がらりと保健室の扉が開き、椿先輩が顔をのぞかせた。


「なんかこう、桜宮って、桃ちゃんに抱きついてる回数多いよね」

 椿先輩が苦笑する。


「私の精神安定剤なの」

 桜宮先輩は私に抱きついたまま言う。うう、苦しい。


「小学校の頃から付き合いのある僕を差し置いて、つい最近知り合った桃ちゃんが精神安定剤なわけ?」

 おどけて椿先輩が言う。


「いつも言ってるでしょ。剣士は対象外なの」

 桜宮先輩は、犬でも追い払うように、手首をしっし、と振って見せた。


「毎回、それ言ってるよね。桜宮」

 椿先輩は腰に両手を当て、見下ろすように桜宮先輩を見る。桜宮先輩は私から腕を解き、ふふん、と不敵に笑った。


「私のような女は、剣士なんて相手にしないの」


「じゃあさ」

 椿先輩は小首を傾げて桜宮先輩の目を覗き込む。


「僕が剣道を辞めて、剣士じゃなくなったら『対象内』にはいるわけ?」

 ぽかんと口を開いて桜宮先輩は椿先輩の顔を見つめていたけど。

 みるみるうちに、和紙が色水を吸い上げるように真っ赤になっていった。


「ばかじゃないのっ」

 桜宮先輩は「本部に先に戻る」と言い捨てて、保健室を慌ただしく出て行ってしまった。


「今のは、フラれたってことかな」

 椿先輩が私を見て苦笑する。


「脈ありってことですよ」

 私は笑う。


「じゃあ、頑張ろう」

 椿先輩は笑うと、舞台俳優のようにするりと一礼した。


「それではお待たせしました。生徒会執行部にお越しくださいませ」

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