保健室1 泣かれるのは困る

◇◇◇◇


「いい加減、泣き止んでくれないか」

 途方にくれたような声が聞こえて、私は瞬きをする。

 拍子に目から涙が零れ落ち、膝の上で丸めた拳をまた濡らした。


「だって」

 そう呟く声の語尾がかすれ、みっともないしゃっくりを生んだ。


「別に桃山のせいじゃないし」

 溜息交じりの声に、私はそっと顔を上げる。

 保健室の丸椅子に座った武者姿の蘇芳すおう先輩は、黒目がちの瞳を私に向けていた。


「額、もう痛くないですか?」

 私は向かい合う形でパイプイスに座っていた。


 保健室の先生は、蘇芳先輩の額を見て、『こんなの縫うほどでもない』と雑に消毒をし、ぺたりとガーゼだけ貼って出て行ってしまった。


 もともと保健室にいなくて、桜宮さくみや先輩にお願いして校内放送をかけて呼び戻してもらったのだけど、その手つきも言動も乱暴極まりない。


『怪我人置いて、どこに行くんですか』

 保健室から出ようとする先生にびっくりして声をかけると、『病人がいる』と、白衣の裾を翻して走って行ってしまった。なんかもう、野戦病院のようなあわただしさがその背中にはあった。


 後で知ったことだけど。

 食中毒かもしれないという騒ぎがあったのだそうだ。それを知っていれば、納得もしたのだろうけど、当時は怒りで目の前が真っ暗になりそうだった。


「病院、行った方が良いですよ」

 私はまた俯き、左手に握り締めたタオルハンカチでほっぺたの涙をこっそりふき取る。ぐすり、と鼻がなった。


「病院行ったって、日にち薬だろうから」

 まさか行かない気か、と驚いて顔を起こす。


「傷跡残りますよ?」

 そう言うと、口をへの字に曲げられた。


「女の子じゃあるまいし」

 いや、そりゃそうなんだろうけど……。


「……本当に、すいませんでした」

 謝りの言葉をまた口にすると、大げさに溜息をつかれた。


「だから、謝るんなら、うちのクラスの学級委員が桃山に謝るんであって、そっちじゃないって」

 そう言って、「これ、何回目だよ」と吐き捨てるように言われて、また涙が盛り上がる。


「悪かった。俺が悪かった。短気だった。もう、何度でも言う」

 慌てて蘇芳先輩は早口でそう言い、私を見る。


「ロッカーの仕掛けが甘かったのはうちのクラスの責任で、それで俺が怪我したのは桃山のせいじゃない。わかったか?」

 蘇芳先輩は困りきった顔で更に付け足す。


「もう、分かってくれ。泣かれるのは困る」

 私はうなずき、奥歯を食いしばる。もう大丈夫です、と伝えるべく顔を上げた。途端に、蘇芳先輩の右目の上に張り付いてる真っ白のガーゼが目に入る。やっぱり痛々しい。


「痛くないっ。泣くなっ」

 先に言われ、私は口をつぐむ。


葛葉くずはさんは?」

 話を強引に変えるように蘇芳先輩が尋ねる。


「大学の部活の時間に間に合わないとかで……」

 私が保健室の先生を呼び戻そうと奔走している間に、帰ってしまったようだ。


「何しに来たんだ」

 呆れたように蘇芳先輩は言い、私は首をひねる。


「文化祭を見に来たようですけど……」


「……そうなんだろうな。そうなんだろうよ。きっとそうだな」

 むすっとした表情で蘇芳先輩は言い、腕を動かした。がちゃり、と鎧までが不機嫌そうに鳴った。


「まぁ」

 蘇芳先輩は目の前の私を眺め、ぼそりと言った。


「桃山が怪我しなくて良かったよ」

 そう言って、腕を私に伸ばす。


 ぼすぼすと。

 私の頭を撫でた。


 その手つきが。

 あまりにも葛葉さんと違いすぎた。


 なんというのか。

 多分、蘇芳先輩は同じ調子で、剣道教室の小学生の子ども達の頭を撫でるだろう。


 そんな、触り方だった。


 無造作で、ぶっきらぼうで、大雑把な。


 そんな撫で方で。

 それは、誰に対しても同じなのだ、と言いたげな手つきだった。


 葛葉さんのような、ある意味「特別感」はない。「君だから触るんだ」と言った言外の意味は無かった。


 ただ、それだけで。

 そのことに気付いただけで。


 自分でもびっくりするぐらい、傷ついた。


 拍子に涙が頬を伝う。


「ごめん!」

 蘇芳先輩が弾かれたようにイスから飛び上がり、私と距離を置く。


「いえいえいえ」

 私は慌てて首を横に振った。蘇芳先輩に向かって手を伸ばそうとしたけれど、おののいたように間合いに入ってこない。


「触って悪かった」

 早口で謝られ、私は更に首を横に振る。


 そうじゃない、そうじゃない。私が更に何か言い募ろうとした瞬間、のんびりした椿つばき先輩の声がドアの向こうから聞こえてきた。


「蘇芳、大丈夫か?」

 がらりとドアが開き、椿先輩と桜宮先輩が姿を現した。

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