校内見学2 なんかもう……

「どこ行くつもりだったの?」

 葛葉くずはさんに言われ、私はふと、椿つばき先輩の言葉を思い出した。


「椿先輩のクラスがジュースとクッキーを売ってるんです。それを買いに行こうかな、って」


「おう。じゃあ、行こうぜ」

 そう言って、中庭の方に歩き始める。私はその横に並びながら、遠目に見てもすごい人出の中庭に、少しおののいた。


「お客さん、すごいですね。高校の文化祭なんて初めて」

 私たちのいるところにまで、「いらっしゃい!」だの、「売り切れ間近! お早めに!」なんていう呼び込みの声が聞こえてきた。


 昼前だからだろう。食べ物系の模擬店に人が群がっている。


「俺も初めて」

 葛葉さんの言葉に、思わず彼を見上げた。葛葉さんは、おどけて片目だけ見開き、私を見下ろしている。


「高校は部活三昧でさ。文化祭なんかは授業がないから、部活顧問が遠征とか入れてくるんだ。三年間、参加したことなかったよ」


「それはそれで、残念でしたね」

 思ったままのことを口にすると、目を細めて笑われた。


「残念だと思ったことはない。それが普通だったから」


 なるほど。自分自身、思い当たる節がないでもない。

 私だって中学校三年間、ずっとバレーボール漬けの生活をしていた。


 定期テスト一週間前で他の部が部活動停止になっているときも、私たちは部活をしていたし、正月三が日以外はほぼ、体育館でボールにさわっていた。


 あの、ボールの表面の感覚。新品はつやつやでしっとりしているが、少し古ぼけてくると、毛羽だってざらりとする。ストレッチをするときも、休憩時間も、ずっと抱えていたり、撫でたりしていた。あの掌の感覚は一生覚えているような気がする。


 そんな毎日が、『残念』とか、『苦』だったか、というとそうでもない。それが、普通で、当たり前だった。


 他の子たちから、「週末遊びに行った」とか、「カレシが出来た」と聞いても羨ましいとはおもったことはない。むしろ、短い時間をやりくりしながら生活しているこちらとしては、『他にすることはないのか』と思ったほどだ。


 ぼんやりそんなことを考えていたら、どん、と前から来た一般来場者にぶつかった。「すいません」と慌てて口にすると、当たった人も「ごめんね」と返してくれる。よかった。良い人で。


「もうちょっと、こっち寄ったら」

 葛葉さんがそう言って私の肘を取って引き寄せてくる。私は戸惑ったものの、実際中庭に近づけば近づくほど人が多くて、そうでもしないと歩けない。

 不承不承、葛葉さんの側に寄る。


「あのブースかな」

 私の肘を手に取ったまま、もう片方の手で、ひとつのブースを指差した。


 ……手を、離してほしいな。

 正直、そう思う。


 そう思ったことを、素直に言ってもいいものだろうか。


 私は心の中で葛藤する。剣道を教えてもらってるわけだし、交通費を出してまで通って来てくれてるんだし……。


 そんなことを考えたら、うかつな言葉は言えず、結局肘を掴まれたまま、指差すほうを見る。各ブースはテントの中に入っていて、それぞれが白い間仕切りで区切られている。食べ物関係を出しているところでは、テントの裏の布を取り払って、調理台やガスボンベを置いていた。


 その、テント中央あたりだ。

 赤のネクタイだから二年生の制服を着た女子が、『校内で飲料を買えるのはここだけ!』と書いたダンボールを持ち上げて呼び込んでいた。


 どうやら、模擬店に誘導するため、校内の自販機を停めているらしい。


 それで、ただペットボトルを売っているだけのブースにもそこそこの集客があるらしかった。校内の自販機を停めるあたり、生徒会副会長の椿先輩の影が見え隠れしている。


 やっぱり、生徒会執行部には闇の力があるようだ。


「何か飲む?」

 葛葉さんに言われ、頷いた。


 人と人との距離が近い上に、真上に上った太陽の光がじりじり暑い。気付けば、教室の警備ばっかりしていて、朝から何も飲んでいない。私は制服のポケットからコインケースを取り出し、葛葉さんの隣りに立った。


 テントの前には数人の列が出来ていたけれど、注文のペットボトルを氷水のタンクから引き出すだけだから、客がはけるのは早い。水に浮かぶ氷がなんとも涼しげだ。


「何が良いかなぁ」

 葛葉さんが呟いている。その視線をたどり、私もタンクに浮かぶいろんな種類のペットボトルに視線を落とす。


「爽健美茶にします、私」

 そう言うと、「じゃあ、二本。それと、そのクッキーを一袋」と葛葉さんが言葉を足す。コインケースから小銭を出そうとしたら、さっさと葛葉さんが支払ってしまった。


「払います」

 慌ててそう言うと、笑って首を横に振られた。


「カレシに甘えときなよ」

 売り子の女子先輩に言われ、「カレシじゃないです」と首を高速回転で横に振ったものの、

「次のお客さんどうぞ」

 の声に、仕方なく場所を空ける。


「はい」

 人がたくさんいても、あの長身はかなり目立つ。人にもまれながらなんとか葛葉さんの側に行くと、ペットボトルを手渡された。


「払います」

 もう一度宣言する。


「いいよ。これぐらい。俺、短期で引越し業のバイトとかしてるから」


 だけど、あっさり断られる。

 バイトしてても……。月に数回下宿から帰省したりしていたら、交通費だってかなりの出費じゃなかろうか。


 どうしよう、と、もたもたしていたら、手の中にペットボトルを押し込まれて、この話はお終い、とばかりに歩き出された。


「生徒会執行部よりご案内いたします。ただいまより、体育館ステージ上において、吹奏楽部有志による演奏会が開催されます。ご来場の皆様は是非お立ち寄りください」


「あ。この声、桜宮さくみやじゃないか?」

 中庭に流れてきたスピーカーの包装に耳をそばだて、葛葉さんが私に尋ねる。


「桜宮先輩、放送委員で、本部に詰めているらしいですよ」

 私が説明すると、「行ってみようぜ」と促された。

 確か、放送はすべて運動場の朝礼台前に設置された本部テントで行っているはずだ。


「運動場の方です」

「どっち?」

「右手」

 私が指差す方向に首を捻った葛葉さんだけれど、中庭の人ごみが一気に動き出して、二人して足を止めた。


 多分、体育館の方に皆が動き出したのだ。

 逆方向とまでは言わないが、運動場と体育館とでは向かう先が違う。周囲の人に押し流されかけると、ぐいと腕を引かれた。


 びっくりして顔を向けると、葛葉さんが私の手をつかんでぐいぐいと引っ張って歩いてくれる。


「すいません」。「通してください」。「ごめんなさい」。葛葉さんはにこやかにそう言って、人の波を縫って歩く。


 とてもじゃないけど、平均身長より低い私にはできない芸当だ。

 あれは背が高くてそれなりに体格がしっかりしているからこそ、相手がどいてくれるんだと思う。


 思わず羨望の眼差しで葛葉さんの背中を見て歩いていると、ようやく中庭から抜け出し、運動場に向かうレンガ張りの小路に出た。


「すごい人出だな。大丈夫だったか?」

 人がまばらになったところで、葛葉さんは私から手を放し、にっこりと笑う。つられて笑いながら、「つぶされるところでしたね」と応じる。


「無事で何より」

 葛葉さんが、私の頭をぽすぽすと撫でた。柔らかく、ゆっくりと撫でるその仕草に、私は困惑して少し身を引いた。


 なんかもう、止めてほしいんだけど。


 やめてほしいんだけど、稽古をつけてくれていることとか、お茶を買ってくれたこととかがかせのようになって、言いたいことがどんどん言えなくなってくる。

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