初めての試合9 辞めません

「なんか、しっくりこないのよね」

 廊下に出ると、私を待っていてくれたらしい桜宮さくみや先輩が、れの辺りを持って顔をしかめている。


 私は、蘇芳先輩の笑顔を脳内から追い出しながら、桜宮先輩に尋ねた。


「更衣室の方が良くないですか? トイレでいいんですか?」

 私が隣に並ぶと、桜宮先輩は頷いた。


「ここの体育館、更衣室は1階しかないから。トイレでちゃちゃっと直しちゃう」

「じゃあ、外した防具とか持ってますね」

 そう申し出ると、ありがとうと応じてくれる。


 試合が始まったばかりだからだろうか。

 廊下にはほとんど人がいない。これなら、盗撮とかもないかな。


 省エネのせいで照明を極力落とされた廊下は薄暗く、ただ足元の非常扉を示すライトだけが薄く照っていた。


 トイレは、この階の突き当たりにある。

 いくつもの「ミーティングルーム」と書かれた部屋の前を通り、女子トイレの前についた。


 私は先に扉を開け、桜宮先輩が中に入る。


 入ってすぐの場所が、少し広めのパウダールームになっていた。

 床の色が違うところからがトイレスペースで、いくつかスリッパが並んでいる。


 個室が二つ、閉まっている。

 扉の上にはかまが掛けられているのを見ると、剣士の誰かが入っているのだろう。


「空見西高校、混合で出てるね」

 胴紐どうひもに手をかけて外そうとしていた桜宮先輩が、手を止める。


 私も声の方を向いた。

 私たちの高校名を言っている声は個室から聞こえる。


 声的には若い。多分同じ高校生だろう。試合パンフを見たら、高校はうちを含めて三校出ていた。


「女子が新入部員で入ってたの見た?」


 応じたのは、もう一つの個室の声だ。多分、私のことだ。

 私たちが入ってきたことに気づいていないらしい。


「あそこ。男子部員が男前だからね。それ目当てかな。動きは高校デビューっぽかったね。秒殺じゃん」

「男目当てでも、桜宮のいる所に入るのは嫌だなぁ」


「あの新入部員、ちょっと鈍いかなんかじゃないの?」

「自分が引き立て役にされてるって、知らないんでしょ」


 騙されてるのよ。個室の二人はそう言って笑い合う。

 ふと。あおいが言っていた言葉を思い出した。


『あんた、騙されてるのよ』

 葵も私にそう言った。引き立て役にされているのだ、と。


 私はちらりと桜宮先輩を見る。一瞬で目があった。


 咄嗟に。

 桜宮先輩がトイレを出る。

 私は慌ててその背中を追った。


「先輩」

 てっきり、走ってどこかに行ってしまうんじゃないかと思ったけれど、桜宮先輩はトイレのドア脇に立っていて、私は、ほっと息を吐く。


「私、そんなつもりじゃないの」

 桜宮先輩は必死な目を私に向ける。


「そんなつもりって……」

 私は目を見開く。どんなつもりなのだろう。


「別に私、誰かに媚びてるわけじゃないし、誰かを引き立て役だなんて思ったこともないし」

 桜宮先輩が、私の腕を掴んで困惑したように言う。


「それなのに、いつもそう。いつも皆、勝手に……」

 一生懸命訴えようとする桜宮先輩をなだめるように私は頷いた。


「世間なんてそんなもんですよ」

 私は桜宮先輩に腕を掴まれたまま、場所をゆっくりと移動する。トイレに入っているあの二人がもうすぐ出てくるだろう。そうなったら、勘ぐられるのも鬱陶しい。


「出る杭は打たれるし、綺麗な人やカッコいい人を見たら、『いいなぁ』って思うもんじゃないですか?」

 私は桜宮先輩ににっこりとほほ笑みかける。


「……今朝だって、今だって、桃ちゃん、いろんなこと言われて……」

 あれだけいつも強気で凛としている桜宮先輩が泣きそうな顔で私に言う。


桧山ひやま先輩に言われ続けた暴言に比べたら」

 なんだ、そんなことか、と噴き出した。


桧山先輩あのひとなんて、理不尽極まりないことで怒鳴り散らしますよ。ボールも飛んでくるし、パイプイスをぶん投げられたこともありました。あー……。でも、一番きつかったのは、一ヶ月、無視された時ですかねぇ」


「……桃ちゃん、辞めない?」

 不安そうに桜宮先輩が私に聞く。私は大きく頷いた。


「辞めませんよ。私ね、さっきの試合で思ったんです」

 強く拳を握る。


「とにかく、勝つまでは辞めません」

 言った瞬間、ぼすりと顔の前に何かがあたってきた、と思ったら桜宮先輩が抱きついて来ていた。


「先輩。私に抱きつく回数、多いですよ?」

 首を捩じって、すぐそばの桜宮先輩の顔を見る。


「桃ちゃん、背が低いから、ちょうどいいのよ。抱きつくのに」

 そんなもんですかねぇ、と呟いたら、廊下の端から銀杏いちょう先輩の、「おーい。次の対戦相手が試合するぞー」と呑気に声をかけてくる。


「偵察よっ」

 勢いよく私から離れ、桜宮先輩が言う。


「あれ、袴は?」

「もういい! ぎゅっと、ひっぱっとく! 桃ちゃん」

 桜宮先輩は私の目をみつめ、力強く言った。


「一緒に頑張ろうね!」

 はい、と私も大きくうなずいた。




 結局。私たちの高校は一般の部で三位になったものの。

 私個人は負け続け、なんとも反省の多いデビュー戦となった。


 ただ。

 戻ってきたなぁ、と実感した。


 私は。

 また、誰かと一緒にコートに戻ってきた。


 競技は全然違うけど。

 誰かと一緒になって勝負を賭ける場所に戻ってきた。


 そのことが。

 あたたかな喜びとして、じわりと胸に広がった一日だった。

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