初めての試合5 私は今……

「やぁ!」

「ああああっ!!!」


 思いっきり上げた気迫は、だけど葛葉くずはさんの声に消される。


 消されたけれど。

 不思議と、始まってしまえば恐怖は薄れた。


 周囲が気にならない。


 ぼやり、と。

 色が無くなる。


 観客も、先輩たちも、審判さえ目に入らない。


 視界にくっきりと浮かび上がるのは、『藍色』だ。

 葛葉さんの濃紺の面。道着の色。


「やああああっ」

 改めて、気迫を吐く。


 初めて葛葉さんの目を正面から見た。

 黒目の大きな目だった。瞬きもせずに私を見ている。


 私はじりじりと一歩半ほど間合いを詰め、一気に竹刀を持ち上げた。わずかに葛葉さんの籠手こてが、上がるのが見える。


「胴!」

 私は一気に斜めに竹刀を振り下ろした。葛葉さんの脇をすり足で走り抜ける。

 一瞬、驚いたような、面白がるような、葛葉さんの目が見えた。


 同時に。

 早い拍手が数回聞こえた。だけどすぐに、「がちり」という無様な音に、拍手は消える。


 上手く胴に当たらなかったどころか、竹刀を手前で払われたようだ。


 それでも、強引に、葛葉さんの横を走り抜けた。

 残身をし、間合いを取らないと、次の技が出せない。


 すぐに、振り返る。間合いは十分だろう。


 途端に。

 驚いて身体がこわばる。


 すぐ目の前に葛葉さんがいた。すでに竹刀を振り上げ、下ろされるのがわかる。


――― この人、なんでもう、ここにいるの! 早い! やばい!


 反射的に竹刀を立て、首を竦めた。

 軽い打ちが面に入り、ひやりとしたが、主審の声は聞こえない。旗を振った気配もない。


――― まだだ。まだ、面は入らなかった。


 ほっとしたのも、つかの間。

 面を打った後、葛葉さんは竹刀を立てると、どんっ、と体当たりをしてきた。


 思わず、身体が浮いた。


 今まで、蘇芳すおう先輩や椿つばき先輩から体当たりをもらったことはあったけど、全然違う。


 全然違う、というより。

 あの先輩たちは遠慮してくれていたのだ、と知った。


 本当に、勢い良く下からぶつかられると、鍔ぜりをするどころか、体勢を保つ事すらできない。おまけに面が重いせいで、足が崩れてのけぞると、一気に後ろに倒れこみそうだ。


 必死で堪え、かえりそうになる上半身を戻したところを、さらに、どん、と圧された。


――― 転ぶっ! 堪えろっ!


 慌てて数歩下がったときだ。


「やめ!」

 主審の声にびっくりして顔を向けた。主審はまっすぐに私を見ている。


場外じょうがい

 言われて自分の足元を見る。


 ため息が出た。

 白い線の外側に私は立っていた。押し出されたんだ。


 葛葉さんがくるりと背を向けて開始線に戻るのが見えた。私も慌てて開始線に向かった。


 葛葉さんと向かい合い、開始線を踏んで竹刀を構えると、主審が私に向かって、「反則一回」と告げる。私は無言で頭を下げた。それを見届けると、主審が口を開く。


「はじめ!」


 本当に。

 本当に、それと同時だった。

 竹刀を上げる暇もなかった。


「面っ!」


 その声と、ぱこん、という音。わずかに感じる頭の痛み。

 それが重なり、脳の中で複合して。


 ようやく、面を打たれたと気付いた。


「面アリ!」

 主審が言う。呆然と顔を向けると、主審と副審二人が、赤旗を揚げていた。敵陣からけたたましい拍手が鳴るのを、ぼんやりと聞く。


――― 見えなかった……。


 それしか考えられなかった。

 面を打った葛葉さんは、私の横を抜けて、足音もなく、また開始線に戻る。


 今、いつ、竹刀を上げたの……。いつ、打ち込んできたの……。


――― まずいまずいまずいまずい。


 私は焦る。棒立ちはダメだ。

 とにかく何か打っていかないと。


 葛葉さんが開始線を踏んで竹刀を構える。


 打とう。とにかく面を打とう。

 負けたくない。負けられない。勝ちたい。


 取り返さなきゃ。


「二本目。はじめっ」

 気迫を吐くのも忘れて私は「面っ」と、飛び込んだ。


 絶対に。

 私の、その動きを確認してから、葛葉さんは動いたのに。


 葛葉さんの竹刀の先端は確実に私の面の打突部位を打った。


 私の後から動いたのに、葛葉さんの動きの方が速かった。

 確実に、早かった。


 同時に面を打つ、『合い面』で、負けた……。


「面アリ!」

 盛大な拍手が敵陣から上がり、旗を見なくても葛葉さんが面を取ったのだと知った。


 私は開始線に戻る。

 葛葉さんと息を合わせて蹲踞そんきょをし、私は後ろ向きにコートから出た。


「お疲れ」

 後ろにいた桜宮さくみや先輩が、私の胴をごつり、と叩いてそう言ってくれた。


――― お疲れ……?


 不意に笑いだしたくなる。


 私は何秒、コートに居たのだ。


 試合時間は三分だ。

 三分以内で、二本取られたら試合は終了する。


 私は今、で、敗けたのだ。

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