初めての試合1 対戦チーム

◇◇◇◇


「あれよ。あの、鈴懸すずかけBと当たるの」


 体育館の隅で小さくなっていた私に、桜宮さくみや先輩が弾んだ声を掛けてきた。


 試合前の体育館は、ウォーミングアップの剣士たちでいっぱいだ。

 バレーコートなら三面は取れる広さの会場では、団体ごとに切り返しや打ち込み稽古を行っている。


 六月。まだ外は夏ほどの日差しはないが、体育館内は熱気と湿気が籠もっていた。


 今回の試合の対象が、『小学生から一般』までなので、響き渡る声は、子どもの甲高いものから、おじいちゃんのガラガラ声まで様々だ。竹刀同士がぶつかる乾いた音と、お腹に響く足音が床を揺らし、それだけで具合が悪くなりそうだ。


「どれですか?」

 おそるおそる、桜宮先輩の指さす方向を見た。


 団体一回戦目で当たるチームは、試合パンフレットによると、『鈴懸B』と書かれていた。


 蘇芳すおう先輩が言うには、この近隣の剣道教室なのだそうだ。

 スポーツ少年団が母体らしいけれど、保護者の剣士も稽古に多数参加しているため、今回は小学生チームとは別に、一般の団体を二つ出してきたらしい。


 私にそう説明してくれた蘇芳先輩と椿つばき先輩は、それぞれお世話になっている道場や教室に挨拶に行っているようだ。顔見知りなど皆無の私は、アップが終わった後、桜宮先輩と敵チームの視察とばかりに会場に残っていた。


「Bってことは、弱いんでしょうか」

 アップが終わり、一度汗を拭ったものの、止まらない。


 私は道着の肩口で額の汗を拭いながら、桜宮先輩に尋ねた。口に出してから、ずいぶん失礼なことを言ってるな、と自覚して慌てて周囲を見回す。


「Aチームは指導者だけで団体組んでるから、Bチームは保護者チームだと思うの」


 保護者ってことは大人か……。

 私は額から汗は噴き出るのに、指先だけは冷たいという妙な感覚を味わいながらため息を吐く。


「あそこ。ほら、銀杏いちょう先輩が今、話してる人たちがそうよ」

 うつむいている私の肩を揺すり、桜宮先輩が指さす。私は顔を上げ、その指の方向を見た。


 丁度、私たちの向かいの壁に銀杏先輩のもじゃもじゃ頭が見えた。


 その隣に立つのは、蘇芳先輩と同じぐらいの背の高さの男の人だ。


 しかも、頭が丸坊主。


 眩暈が起こりそうだ。『強そう』なんてもんじゃない。


 銀杏先輩と親しげに話をしている周囲には、その大きな男の人の他にも、私の両親と同い年ぐらいの男性や女性が数人いて、同じように試合のパンフレットを見ていた。


――― どうか、できるだけ、穏やかな人と当たりますように……。あの丸坊主の人は嫌です、神様……。


 そう願っていたら、桜宮先輩が口を開いた。


「桃ちゃんは先鋒だから、鈴懸Bの先鋒は……。葛葉くずはって名前ね。……葛葉。なんか聞いたことあるな。誰だっけ……。ねぇ、葛葉ってれネームの選手、いる?」

 桜宮先輩は手に持っていたパンフレットに視線を落としたままそう言った。


「嘘……」

 私は思わず呟く。


 隣で、「私の相手は田中かぁ」という桜宮先輩の呑気な声を打ち消すように私は大声を上げた。


「あの、大男が相手じゃないですかっ」

 桜宮先輩の肩を揺すり、私は銀杏先輩の隣の『丸坊主大男』を指さした。


「ええ?」

 桜宮先輩は頭をがくがく揺すられながらパンフと鈴懸Bチームを見比べ、しばらく沈黙を保つ。


「あの人でしょ!? あの、坊主の大男っ」

「……遠近法で、大きく見えるのよ」


「小さいならまだしも、なんで遠くにいるものが大きく見えるんですかっ。それに、坊主って! 坊主って、アレですよ。強い証拠の一つみたいなもんでしょ!?」

「きっと、散髪に失敗しただけだって」


「嘘だぁ!」

 わめき倒す私を桜宮先輩は宥めてくれるけど、もう、泣きそうだ。


 ちらりともう一度鈴懸Bのメンバーに視線を向ける。

 どうやら、あちらも私たちの垂れネームを確認しているらしい。桜宮先輩の対戦相手の次鋒である田中さんは、四十代ぐらいの優しげなおばさんだった。


「先輩っ! かわって!」

 目の縁に涙がたまりそうな感じで私は訴えるけど、桜宮先輩は困ったように笑うだけだ。


「エントリーしちゃったからなぁ」

 もう、いやすぎる……。私ががっくりと肩を落としていたら、「あれ?」と桜宮先輩が驚いた声を上げた。


「銀杏先輩とあの大男、こっち来るよ」


 反射的に私は顔を上げる。

 桜宮先輩の言うとおりだった。しかめっ面の銀杏先輩と一緒に、壁伝いに大男がこちらに向かって、にこやかにやって来ていた。


「桜宮、桃山」

 銀杏先輩は片手を上げて私たちの名前を呼んだ。二人は、ウォーミングアップをしている小学生の群れを抜けて、私たちの側で足を止める。


「こちら、今大学一年生の葛葉先輩。俺が世話になっている道場の先輩なんだ。高校は違ったけどね」

 銀杏先輩は、なんともやる気がなさそうに大男を私たちに紹介した。


「やぁ、こんにちは」

 大男は歯を見せて笑う。綺麗な歯並びとその白さが印象に残った。快活、というのだろうか。銀杏先輩とはなんとも対照的だ。


 銀杏先輩とは今日を合わせてまだ三回しかお会いしていないけど、「覇気がない」先輩だった。なんで壁ドンの練習なんかしたのか、よくわかんないぐらい、ぼーっとしている。いつ、使うつもりで壁ドンの練習をしたんだろう……。


 何をするにも面倒くさそうで、今だって寝癖だらけの頭は、セットするのもしんどかった、と言いたげだ。おまけに、全体的にひょろひょろした体型は、とても剣道をしてそうには見えない。


「……こんにちは」

 私は桜宮先輩の腕に取りすがって、頭を下げる先輩に倣う。


「桜宮は知ってる。よく試合で見かけた」

 葛葉さんはきゅっと目を細めて笑う。


 なんとなく。ゴールデンレトリバーを髣髴とさせる人懐っこさだった。蘇芳先輩ほどの身長や体格があるのに、表情は全然違う。


「あれ。葛葉さんだ」


 聞き覚えのある声に首を捩じると、椿先輩が立って会釈していた。

 その後ろには蘇芳先輩も居て、同じように頭を下げている。二人とも、自分が世話になっている教室や道場に挨拶をして戻ってきたようだ。

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