仮入部6 私は……


「桃ちゃん。荷物は?」

 覆らないんですか、その決定は、と茫然としている私に、桜宮さくみや先輩が不思議そうに尋ねる。「まだ制服じゃない」と。


「荷物は教室に……」

 答えると、桜宮先輩はようやく私から離れ、口角をぎゅっと上げる。


「じゃあ、早く道場においでね。稽古をして、試合に向けて頑張ろうっ」

「……は、頑張ります」

 嘘はつきたくないので、実行できることだけ口にした。


「じゃあ、僕たちは先に武道館に行ってるよ」

 椿つばき先輩の声に、私は曖昧に頷いて背を向けた。


 試合……。

 考えただけでドキドキする。だって、先輩たちと自分の力差は天と地ほどもある。大人と赤ちゃんみたいなもんだ。


 そんな人間が混じって、試合に出てもいいものだろうか……。


 だいたい。

 私がまた、誰かと一緒に試合に出る、なんて。

 想像もしていなかった。


 心に浮かぶのは、桧山ひやま先輩たちとの最後の試合。

 私のせいで負けた、あの試合。


――― また、誰かを怒らせて、自分が傷つくだけなんじゃないのかな……。


 なんだか鬱々と思いながら、歩き続ける。

 今まで感じなかった足裏の痛みが、今になって疼き始めた。ため息を一つこぼし、文字通り足を引きずりながら下足室に入った時だ。


「なんだ。ちょうど来たじゃない」

 鼓膜を撫でたその声に、瞬間的に背筋が毛羽立った。

 私は肩を震わせ、顔を上げる。


芽衣めい。あなた、今から職員室に行って、剣道部の退部届、出してきなさい」

 目の前にいるのは、桧山先輩だ。その隣には、すまなさそうな顔であおいが立っている。


「あんたは体育館に行きなさい。練習が始まるから」

 桧山先輩は制服姿の葵を一瞥してそう言った。自分はもうジャージ姿だ。


「先輩。桃山は、バレー部に入らないそうです」

 弱弱しい声ながら、それでも葵が桧山先輩に声を掛けてくれた。その姿に、心揺れた。感動した。


 中学時代は。

 誰も、そんなことをしてはくれなかった。見て見ぬふり。無関心。それがまかり通っていたのだから。


「うるさい。あんたにトス上げないわよ」

 セッターにそう言われれば、スパイカーは黙るしかない。しかも、下級生だ。そもそもが歯向かえるわけがないのだ。私は慌てて葵に声を掛ける。


「ありがとう。練習だよね。行って」


 葵はこれからこの先輩とつきあって行かねばならないのだ。

 私のせいで関係がこじれるのはさけたい。

 葵と目が合うと、彼女も少しほっとしたような、申し訳なさそうな色を瞳に浮かべて頷いた。するりと私の脇を抜けて下足室を出て行く。


 二人で。

 桧山先輩と向かい合って下足室に立つと、知らずに膝が笑い始めた。


 みっともなくて情けなくて、なんとか膝の裏に力を入れようとする。

 瞬間に、思い出したのは、桜宮先輩の声だ。


『ひかがみに力を入れる。足を伸ばす。胸を張って』

 剣道の基本姿勢だ。私は鼓膜によみがえる彼女の声の通りに体を動かした。


「あんたも早く職員室に行って、退部届と入部届出してきて」

 桧山先輩は腕を組み、顎をしゃくって促す。私は何か言おうと口を開きかけたけど、結局口から言葉どころか声さえ出ずに、ごくりと唾を飲み込んだ。


「この高校って、スパイカーはそろってるけど、リベロがダメなのよね」


 桧山先輩はため息交じりに苦笑する。

 卒業して1年会わなかったけれど、意外に外見は変わっていない。細い手足。なで肩のせいでやけに長く見える首。目元のほくろが冷徹に見えて、いつもこの先輩の顔を見るのが嫌だったことを、今更思い出す。


「でも、ラッキーだわ。県メンバーが二人も後輩で来たんだもの」

 桧山先輩は、相変わらずの上から目線で私を見る。


「なんか、あんた剣道部にいるんだって?」

 黙っている私に、少しいらだっているらしい。いつもの癖で、桧山先輩は眼を細めた。


「三年の先輩たちが、芽衣は他部に入る、っていうから、私が言えばあの子は女バレに来る、って言っておいたのよ」


 そう言われ、合点がいった。

 蘇芳すおう先輩が話していたのは、桧山先輩のことだったのだ。


「体操服でいいから、今日から練習に参加しなさいよ」

 そう言って、桧山先輩は不満そうに私を睨んだ。


「黙ってないで、返事は?」


 私は息を吸い込む。頭の中では、椿つばき先輩の声がよみがえった。

『大きなお相手に試合で当たって、怖いな、と思っても。最初に声が出れば大丈夫』


「私は、バレー部に入りません」 

 冒頭は震えたけれど、『入りません』は意外にしっかり発音が出来た。おまけに、声が喉から出たというそれだけで、お腹に力が入って腰が伸びた。


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