先輩たちからのお誘い5 送り足

「靴下脱いでー」

 部屋の隅の方から、桜宮さくみや先輩の声が聞こえて首をむけると、竹刀を一本持ってやって来た。


 私は頷き、立ったまま片足ずつ靴下を脱ぐ。脱いだ靴下の置き場に迷った末、道場の隅っこの方に小さく置いておくことにした。


蘇芳すおうは、打ち込み人形の『剣道君』を持ってきて」

 桜宮先輩は蘇芳先輩に指示する。

 蘇芳先輩は黙って上座の方に歩いて行った。そこには、私の背丈と同じぐらいの面と胴をつけた金属製の人形が、竹刀を構えて立っている。あれが、剣道君、なんだろうか。


「まずね。足さばきを教えるわね」

 桜宮先輩は壁の側に竹刀を置いた。

 私の横に立つと、腰の辺りで袴を持ち上げる。いきなりにゅっと、桜宮先輩の白い足首と脹脛ふくらはぎが半ばまで見えたので、思わずぎょっとした。


「足を前後に開いて。右足が前で、左足が後ろ」

 桜宮先輩にそう言われ、私に足を見せるために袴をたくし上げたのだと気づく。

 同じように、足を前後に開いた。


「もう少し足の幅を狭くして」

 そう言われ、ふと制服のスカートから伸びる自分の足を見る。

 足幅を狭く、とは……?


「足と足の間は、ひとあし分」

 補足説明されても、いまいちイメージが湧かない。


 私の中では、『構える』『足を前後に開く』というと、バレーのレシーブの構えだ。腰を落として膝を曲げる為、横に広く開く。


「足を戻して普通に立ってみて」

 きゅるきゅるというコマが回転する音が響いてきたと思ったら、蘇芳先輩が胴をつけて面を被った人形を押しながら近づいて来ていた。


 足部分にコマがついていてい稼働するらしい。剣道君、可動式だ。

 私は言われた通り、前後に開いた足を元に戻し、背中を伸ばして立つ。


「その状態から、右足を一歩前」

 蘇芳先輩が言うとおり、一歩前に足を出した。「そこで停止」。声に従い、慌てて動きを止める。さっきの道場への入り方の説明と言い、随分慣れているな、という印象を受けた。


「そう。その状態。右足はそのまま。左足のつま先に重心をかけて踵を浮かせて」

「こ、ここからですか?」

 私は横にフラフラしながらもなんとか左足の踵を床から浮かせる。桜宮先輩が、蘇芳先輩の言葉を継いで説明する。


「で、膝は両方とも伸ばして。その状態から、『送り足』をしてみましょう。左足で床を押して、右足を前に出すの」


「ここから!?」

 思わず桜宮先輩に尋ねてしまった。


 足を横に開いて低く構える姿勢でずっと競技をしてきたせいか、こんな『驚いたメンフクロウ』みたいな姿勢は不安定で心もとない。


 相変らず左右に微妙に揺れながら、私は爪先立ちになった左足の指に力を入れ、右足を振り出す。


「ああ、違う違う」

 桜宮先輩が慌てて首を左右に振る。


「足の裏は床から離しちゃダメ。すり足っていって、足の裏で床を擦る感じ。で、足を前に出す時も、膝を曲げちゃダメ。ひかがみを伸ばす、って言ってね、膝の裏は伸ばして、つま先で床を蹴って前に足を出すの」


「ええ?」

 私は戸惑う。バレーでは前に進む時やジャンプする時は当然、膝を曲げる。バネのように、とよく言われた。


「突っ張ったままで、どうやって足を前に出すんですか?」

 私は足を前後に開いた、自分的には『縦に細長い』イメージでゆらゆら揺れながら桜宮先輩と蘇芳先輩を交互に見た。


「左足指で床を蹴るんだ。指で床を掴む感じ。剣道では、上下運動はしない。移動するとき、頭の高さは常に一緒だ」

 蘇芳先輩は、剣道の人形から離れると、「こうだ」と言って、私の前で、いわゆる送り足とやらで前に進んで行った。


 なるほど、と思う。

 歩いていても、頭が上下しないのだ。


 蘇芳先輩の足を見る。

 左足で体を前に押しだし、右足は擦るように進む。


 ただし、左足は絶対に右足を追い越さない。足は「右・左・右・左」と動くのだけど、常に『右足は前で、左足は後ろ』なのだ。


 私は蘇芳先輩を見ながら、数歩前に足を出してみた。


「上手いじゃないか」

 すかさず声が上がる。

 びっくりして声のほうに頭を向けると、椿つばき先輩が道場に一礼して入ってきているところだった。


「送り足、できてるよ」

 ぱちぱちと拍手しながら、椿先輩は私を見て笑う。


「生徒会はもういいのか?」

 蘇芳先輩が尋ねると、椿先輩は片目を瞑ってみせた。


「約束を守らなかった茶道部にはペナルティを加えてきた」

 少しぐらいいいじゃないか、という蘇芳先輩に、それじゃあ示しがつかないだろ、と椿先輩は口を尖らせる。

 だけど、私の視線を感じたのか、すぐににこりと笑った。


「竹刀持ってみたら?」

 壁際に置いた桜宮先輩の竹刀を、椿先輩は片膝ついて持ち上げる。


「よぅし。桃ちゃん。竹刀の持ち方を教えてあげよう」

 桜宮先輩は私を『桃ちゃん』と呼ぶと、椿先輩から手渡された竹刀を持って近づいてきた。


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