先輩たちからのお誘い3 一回、やってみないか?

「……剣道って、体育館でするんですか?」


 気になるところはそこだった。

 もし、女子バレー部と同じところで部活をするのなら、これは全力で断るしかない。走ってでも逃げなくては。


「うちは武道館がある。体育館とは別だ」

 蘇芳すおう先輩が答える。桜宮さくみや先輩は、何故そんなことを尋ねるのか、と不思議そうだ。


 不意に、近くで歓声が上がる。私たちは一斉に隣の弓道部を見た。

 どうやら、録画している競技の様子をスマホで見せているらしい。入部を迷っていた新入生に、まとが当たったところを見せていたようだ。


「うちもなんかこう、準備してればよかったわね」

 桜宮先輩が小さく舌打しているのが聞こえる。蘇芳先輩が顔を背け「だから言ったじゃないか」と呟いた。


 そっぽを向いた先は、弓道部とは反対の方向だ。

 視線を追うと、そこにいるのは柔道部だった。『今、入会希望者には、部員がお姫様抱っこします』と書かれた畳を背負って歩き回っており、黒帯を締めたいかつい男子生徒たちが、所構わず新入生男子を羽交い絞めにして捕まえていた。なんじゃありゃ。


「……あの、他にも部員のかたが?」

 私は尋ねる。

 どの部も、それなりに人数がいるようだが、剣道部もそうなのだろうか。


「三年生に一人と、二年生が私たち三人だけなの」

 良くぞ聞いてくれた、とばかりに桜宮先輩は答える。


「でね」

 可愛らしく首を傾げてみせる。


「今年、一年生が入らないと、廃部になっちゃうの」

 う。嫌な予感が……。


「あなたが、入らないと、うちは廃部なの」


 桜宮先輩は、「あなたが」というところを強調する。

 私は泣きそうだ。

 ひどい。

 たまたまこの部の前に来ただけなのに、廃部の理由を押し付けてこようとは。

 思わず背をのけぞらせ、机の前から逃げ出そうかと考えた時だ。


「なぁ」

 蘇芳先輩に呼びかけられた。


「はい……」

 おそるおそる返事をする。基本、体育会系なので、目上の人に声をかけられたら素直に返事をしてしまう。


「一回、やってみないか? 竹刀を振ってみろよ」

 私は目を瞬かせて、この随分大きな先輩を見上げた。


「……そんな簡単にできるものなんですか?」

 私は小学校高学年からバレーボールを続けてきた。

 球技はとっつきやすい印象があるが、対して武道って、なんかこう。『竹刀を持つまで2年』とか、『弓を握るまで3年』とかのイメージがある。


「振るぐらい、誰だって出来るわよ」

 桜宮先輩は可笑しそうに笑う。


「そうね。振ってみる? 叩いたっていいわよぅ」

 そう言うと、急に机の中に手を突っ込んだ。


「道場に行こう。椿つばきにも、道場に来るように連絡する」

 桜宮先輩は取り出したスマホを耳に当てて蘇芳先輩を見上げた。蘇芳先輩は頷き、私を見る。


「えっと……。名前は?」

桃山ももやまです」

 蘇芳先輩は小さく頷く。


「じゃあ、行こう。桃山」

 机と机の間を抜けてこちら側に出てくる。


「ここ、放ってていいんですか?」

 驚いて目の前の机を指差した。机の上に乗せられた『来たれ剣道部』の半紙が、時折風でふわふわ揺れている。


「いい。どうせ誰も来ないから」

 蘇芳先輩は清々しいぐらいはっきり言うと、弓道部の女子の先輩に大声で声を掛けた。


「道場行ってくる」

 弓道部の先輩方も心得たもので、OKマークを出して応じた。


「問い合わせがあったら、桜宮にLINEするから」

 それが聞こえたのだろう。桜宮先輩はスマホに向かって何事か伝えていたけれど、小さく手を振って「ありがとう」と言った。


「ささ。行きましょう、行きましょう」

 通話を切ると、桜宮先輩は机と机の間からするりと抜けだしてきた。私の背中を押しながら、先に歩き出している蘇芳先輩の後を追う。


「あの。私、本当に武道とか格闘技とかしたことなくって……」

 意外に強い力でぐいぐい背中を押されながら、私は戸惑う。


「誰だって最初は初心者よ」

 桜宮先輩はニコニコ笑う。私は助けを求めるように目の前を歩く蘇芳先輩を見た。

 新入生の制服や各種ユニフォームが氾濫する中庭でも、その広い背中と紺色の道着は浮き上がるようにくっきりと見えた。


 紺、というか、藍色って。

 地味そうに見えて、意外に目立つ色なんだな。

 ふと、そう思った。


「すげー、綺麗なセンパイ」

「マジ。モデルみてぇ」

 蘇芳先輩の後を必死で追いかけていたら、人ごみから時折男子のそんな声が聞こえてきた。何気なく、その男子たちの視線を追うと、どうやら私の隣の桜宮先輩を見ているらしい。


 確かに。

 こんな人ごみでも、人目をひく容姿だ。


 私はちらちらと桜宮先輩と、彼女を見て感嘆の声を上げる同級生男子たちを見比べる。その男子たちの数人が、制服のポケットからスマホを取り出していることにも、その時気づいた。


「桜宮」


 不意に、数歩前を歩いていた蘇芳先輩が振り返り、声を上げる。

 そう、大きな声ではなかったのだけど、低くてよく通る声のせいか、周囲の生徒がぎょっとしたように彼を見上げた。


「遅い。早く来い」

「あんたが早足なんでしょう」

 うんざりしたように桜宮先輩が言い、「そうよねぇ」と私に同意を促す。私は曖昧に頷きながら蘇芳先輩の顔を見た。


 蘇芳先輩は、私たちではなく、別の場所に視線を走らせている。その視線を追うと、そこには気まずそうにスマホをポケットにしまう新入生男子たちがいた。


 その様子を見て、ようやく私は気づく。

 桜宮先輩を撮ろうとしていたのだ、と。


 勝手に人の姿を撮るなんて……。


 私は呆れてその男子たちを見たけれど、向こうは上級生に見つめられて居心地が悪くなったのだろう。早々に人の波に自分の姿を紛れ込ませた。

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