7 新たな絆
熱気の渦巻く晩餐会を終えた後、僕はケルベロスたちに当てがわれた寝所でゆったりと身を休めていた。
同衾を望むハーピィとラミアをなんとかたしなめて、ファー・ジャルグとルイ=レヴァナントの使い魔だけが、同じ場所でくつろいでいる。僕は寝台で、ファー・ジャルグは長椅子で、それぞれだらしなく寝そべっていた。
「この城では、予想以上の収獲があったね。ハンスのおかげで、色々な話を聞くこともできたし……たった1日で、ずいぶんな進展だと思うよ」
「きひひ。どれだけ念入りに計画を練りあげても、馬鹿どもの粗相で台無しにされちまうかもしれないけどねえ」
「そんなことはないよ。なんだかんだ言って、みんな一生懸命やってくれてるじゃないか」
「そりゃあ暗黒神様を怒らせたら、ただじゃすまないからねえ。どんな馬鹿だって、必死にはなるだろうさ」
ファー・ジャルグの言う通り、配下の魔物たちは暗黒神に絶大なる忠誠心を抱いていた。自由奔放なハーピィや、口の悪いパイアだって、それは同様であるのだ。
「でも……人間との共存共栄って話を持ち出すのは、まだ時期尚早なのかな」
円卓の上で小さな身体を丸めていたルイ=レヴァナントの使い魔が、沈着なる声音で『ええ』と応じた。
『日中のコカトリスの行状をお忘れなきよう、お願いいたします。我々は200年に渡って抗争を続けているのですから、その胸中には大小を問わず人間族に対しての敵対心というものが育まれているのです』
「でも、コカトリスも最後には納得してくれたじゃないか」
『それも両兵団長と同じように、激情の矛先をそらされた結果でありましょう。バジリスクを再生させたいという一念が、人間族への敵対心を抑制しているに過ぎません』
「そうか……」と、僕は毛布の上に溜め息をこぼした。
「でも、ハンスはああやって魔物たちに受け入れられているからね。人間族との共存共栄は、絵空事じゃないってことだよね?」
『……最終的な行く末を見通すことは、誰にもかないません。しかし、その思想が我々にとって有意であることは確かでしょう』
「というと? もうちょっと具体的にお願いするよ」
『人間の側にもそういった思想に共鳴する者が多数存在すれば、人間族の支配体制を大きく揺るがすこともかないます。潜入捜査においては、その点にも注力するべきでありましょう』
「うん。それに何より、人魔の術式をなんとかしないとね」
僕はそれなりの満足感を胸に、ごろりと仰向けに転がった。
この世界で初めての食事を口にした僕は、初めて満腹感というものを獲得したために、初めての睡眠も獲得できそうな心地であった。
そこで、扉がノックされる。
僕は魔力を封印したままであったので、誰がやってきたのかはわからない。「どうぞ」と返事をすると、そこから現れたのはコカトリスであった。
「くつろいでいるところを、失礼するわ。……少しだけ、時間をもらえるかしら?」
「うん、もちろん」と、僕は起き上がる。
コカトリスが視線を巡らせると、長椅子で寝そべっていたファー・ジャルグがぴょこりと起き上がった。
「それじゃあ俺は、厨でちょいと飲みなおしてくるかな。不死の旦那も、ご一緒にどうだい?」
ルイ=レヴァナントは何も答えぬまま、ファー・ジャルグの肩に飛び乗った。
両名が寝所を出ていくと、コカトリスは唇の片方だけを吊り上げる。
「邪魔者が消えたのはけっこうだけど、あいつらはわたしが暗黒神様に身をひさぐとでも考えているのかしら。だったら、腹が煮えるわね」
「あはは。僕はそんな風に考えていないから、大丈夫だよ」
僕が半身を起こすと、コカトリスも寝台の端に腰を下ろした。
感情の読みにくい黄色の目が、じっと僕を見据えてくる。僕はいまだに少女の姿であったので、コカトリスのほうが上背でまさっていた。
「……だけどあなたは1度だけ、わたしに身をひさげと命じたことがあったわよね、暗黒神様」
「ええ? そうなのかい? 昼にも説明したけれど、僕は7日ほど前に人格が入れ替わってるから、それ以前の記憶がないんだよ」
「あれはちょうど、ケルベロスが生まれた頃でしょうね。お前の愛するバジリスクは再生する気配もないようだから、操を守る必要もあるまいなどと言い出したのよ」
コカトリスの唇が、またゆっくりと吊り上がっていく。
「わたしは寝台に組み伏せられたけれど、あなたの顔に唾を吐きかけてやったわ。わたしを抱きたいなら、わたしの屍骸で満足なさいってね」
「うわあ……それでよく無事に済んだもんだね。以前の暗黒神は、破壊欲と色欲の権化だったんだろう?」
「ふふふ。だけどあなたは、真っ向から歯向かわれると脆いところがあったのよ。どれだけの魔力を持っていても、心はそこまで強靭じゃなかったようね」
コカトリスが身じろぎをしたので、ギシッと寝台が軋む音をたてた。
「あなたは本当に、あの頃の暗黒神様とは別人みたい。……少なくとも、あの頃の記憶がないってことは信じてあげられそうだわ」
「うん。記憶はないけど、謝罪させてもらいたいね。今後、僕の人格がまた入れ替わったりしない限りは、絶対にそんな真似はしないと誓うよ」
コカトリスは唇を吊り上げたまま、うなだれた。
赤褐色の長い髪が、その妖艶なる顔を半分がた覆い隠してしまう。
「謝罪……あなたは昼間にも、その言葉を口にしていたわね」
「うん、そうだったっけ?」
「そうよ。あなたが再生の儀で膨大な魔力を使ったせいで、またバジリスクの再生が遅れてしまうかもしれない……そう言って、あなたはわたしに詫びたのよ」
「ああ、そうか。うん、きっとそれは間違いのないことだろうからね。君には、申し訳ないと思っているよ」
「……これも、わたしを篭絡しようという手管なのかしら」
寝台の毛布に、ぽたりと涙が滴った。
「あなたはそうまでして、わたしの心を奪い取ろうというの? 魔力や腕力ではなく、今度は言葉の力でわたしを屈服させようというつもり……?」
「だから、そんな気持ちはさらさらないってば。バジリスクの伴侶である君に、そんな真似をするわけないじゃないか」
「でも……たとえバジリスクが再生しても、それはあの頃の彼じゃない……すべての記憶を失って、新しいバジリスクとして生きるのよ……そんなバジリスクが、もう500年も生きているわたしを伴侶に選ぶと思う……?」
「それはわからないけれど、バジリスクが生まれる前から決めつける必要はないさ。それに、その論調でいくと、僕だって生後7日みたいなもんだからね」
少女の顔で、僕はコカトリスに笑いかけてみせた。
「まあ、僕には異界の人間として生きてきた期間もあるけどさ。それだって、せいぜい17年ていどだ。魔物としては、幼体だろう? 色欲にとらわれるには、まだ早いよ」
「…………」
「とにかくね、人魔の術式を打ち破れば、大地の魔力が活性化して、バジリスクの再生もかなうかもしれない。それを見届けるまでは、君も――」
日中と同じように、コカトリスはまた僕につかみかかってきた。
しかし現在は髑髏の甲冑姿ではなく、少女の義體だ。エメラルドグリーンの鱗に覆われたコカトリスの両腕は、僕の胴体を物凄い力でぎゅうぎゅうと締め上げてきた。
「わたしはあなたに、忠誠を誓うわ……10年前に抱いた憎悪を捨てると、ここに約束する……それを信じてもらえるかしら……?」
「信じるよ。蛇神族の君が、そこまで心情をさらしてくれたんだからね」
「あら……蛇神族っていうのは、魔獣族よりもうんと情が深いのよ……?」
涙声で言いながら、コカトリスはくすくすと笑い声をたてた。
そうして面をあげた彼女は、妖艶でない微笑をたたえていた。
艶のない黄色の瞳も、涙に濡れて明るく輝いている。
「情の深さに、血の温度なんて関係ないの……どうかそれを忘れないでね、暗黒神様……」
「了解したよ。胸に刻んでおこう」
僕の身体を解放したコカトリスは、僕の右手を持ち上げると、その手の甲にくちづけをした。
「おやすみなさい、暗黒神様……あなたの武運を祈っているわ……」
「うん、ありがとう。君もゆっくり休んでね」
コカトリスは、しずしずとした足取りで寝所を出ていった。
僕が寝台にひっくり返ろうとすると、休む間も与えずにノックの音が響きわたる。
「どうぞ」と返事をすると、今度はハーピィが顔を覗かせた。
「ごめんね。言いつけ通り、今日は大人しくしておこうと思ったんだけど……コカトリスが出ていくのが見えちゃったから……」
「うん。彼女とは、ちょっと話をしただけだよ」
「わかってる。でも……」
扉に半分隠れたまま、ハーピィはもじもじと身体をよじっていた。
ちょうどいい機会だろうかと思いつつ、僕はそちらに笑いかけてみせる。
「話すだけなら、入っていいよ。コカトリスに許して君に許さないのは、不公平だろうからね」
ハーピィはぱあっと顔を輝かせると、野ウサギのように跳ねながら寝台に近づいてきた。
そうして寝台に飛び乗ると、僕の顔を間近から覗き込んでくる。
「えへへ。ベルゼ様とふたりきりって、すごくひさしぶり!」
「うん。言われてみたら、そうかもね。そもそも僕は、誰かとふたりきりになる機会もほとんどなかったからさ」
今にして思えば、暗黒城においてそんな機会に恵まれたのは、ラミアとファー・ジャルグだけだったかもしれない。ルイ=レヴァナントさえ、ふたりで過ごした記憶はないのだ。
(で、僕が最初に顔をあわせたのは、このハーピィだったんだよな)
そのときのハーピィは本性をさらしていたが、現在は人間の形態だ。
たらふく酒を飲んでいたのに、べつだん酔っている様子はない。いつも通りの、無邪気で朗らかな笑顔である。
「ねえ、ハーピィ。君には、話しておきたいことがあったんだよね」
「なになに? ベルゼ様のお話だったら、なんでも聞かせて!」
「ありがとう。……君は、僕の人格が入れ替わったことに、何も不都合を感じていないのかな?」
ハーピィは、きょとんと小首を傾げることになった。
「またその話? だって、ベルゼ様はベルゼ様じゃん!」
「うん。だけど、君たちにも再生の概念はあるんだよね? 個体種が再生したらそれは別人であるように、僕も以前の暗黒神とは別人なんだよ」
「えー! でもでも、ベルゼ様は死んでないじゃん! 死なないで再生するために、あんな儀式を編み出したんでしょ? それに、再生したての魔物ってのは、みんな赤ん坊からやりなおすんだよ?」
「僕も、赤ん坊みたいなもんなんだよ。ただ違うのは、異界で17年の生を送ってきたってことだけだね。でも、そうやって別の存在として生きてきた過去があるぶん、いっそう暗黒神としての自覚を持つことが難しいわけさ」
ハーピィは腕を組み、「うーん!」と身体をのけぞらせた。
「ベルゼ様の話って、難しいよね! それで、ベルゼ様はどうしてほしいの?」
「だから僕は、ゼロからみんなとやりなおしていきたいんだよ。僕はみんなの知ってる暗黒神じゃない、新しく生まれ変わった暗黒神だ。だから、別人として扱ってほしいと思ってる」
「変なのー! ベルゼ様は、ベルゼ様だったら!」
やっぱりこの無邪気に過ぎるハーピィを説得するのは難しいだろうか。
僕がそんな風に考えたとき、ハーピィはにこりと微笑んだ。
「それにね、ベルゼ様が再生したって、あたしはベルゼ様のこと、大好きだよ! コカトリスを見てて、それがわかったの!」
「コカトリスを見て?」
「うん! ベルゼ様が死んじゃって……まあ、ベルゼ様は死なないんだけどね! でも、もしも死んじゃって、ベルゼ様が赤ん坊からやりなおすことになっても、あたしはベルゼ様が好き! だからもういっぺん、昔みたいに愛してもらえるように頑張るの!」
ハーピィの緑色の瞳は、翡翠みたいにきらきらときらめいていた。
「ベルゼ様は、あたしのこと嫌いになっちゃったの?」
「決して嫌いなわけじゃないよ。ただ、君はいつでも真正直だから……きちんと正しい絆を結びたいと考えてる」
「正しい絆って?」
「だから、これまでの関係はなかったことにして、ゼロから構築していきたいんだよ。それに、どうして君はそんなに暗黒神が好きなんだろう? 中身の人格が入れ替わっても関係ないなんて、それは普通の話じゃないよね?」
「そうなのかなー。好きって気持ちに、理由なんていらないんじゃない?」
そんな風に言ってから、ハーピィはぐっと顔を近づけてきた。
「でもね、あたし、前までのベルゼ様より、今のベルゼ様のほうが好きだよ! 今日でそれがわかっちゃった!」
「今日? 何かあったっけ?」
「ベルゼ様とコカトリスが話してるのを聞いてて、こう、胸の中がきゅきゅきゅーって痛くなったの! あたしもあんな風に、ベルゼ様に優しくされたいなーって!」
「はあ……それはまた……」
「でね! よーく考えたら、再生の儀が終わった後のベルゼ様は、ずーっと優しかったんだよね! いつまで経っても伽をさせてくれないから、ずーっと寂しかったんだけどさ! でもでも、昔より今のほうが幸せだーって気づいちゃったんだー!」
僕の鼻先で、ハーピィはにこにこ笑っている。
あまりに屈託のないその笑顔に、僕も思わず口をほころばせてしまった。
「だから今も、ベルゼ様にさわらないように我慢してるんだよ! ふたりきりで寝台の上で、ベルゼ様にさわっちゃったら、絶対我慢なんてできないもん! でも、ベルゼ様は我慢したいんでしょ?」
「我慢っていうか、出会って間もない相手とそういう行為にふけるのは、気が引けるんだよね」
「変なのー! でも、あたしはベルゼ様に従うよ! ベルゼ様に、喜んでほしいからね!」
「そっか」と、僕は笑ってみせた。
「それじゃあ最後に、もうひとつだけ質問をいいかな?」
「もう最後なのー? うん、どんな質問?」
「ハーピィは個体種じゃないから、ハーピィ同士で呼び合う名前があるんだろう? その名前を聞かせてほしいんだ」
ハーピィは、猫のような目をきょとんと丸くした。
「別にいいけど、そんなの聞いてどうするの?」
「ただ知りたいんだよ。僕の生まれ育った世界では、名前も知らずに絆を深めるのは難しかったからね」
「ふーん。……あたしの名前は、ナナだよ。ナナ=ハーピィね」
「ナナか。可愛い名前だね」
ナナ=ハーピィは、ぎょっとしたように身を引いた。
その顔が、見る見る赤くなっていく。
「あーっ! また胸がきゅきゅきゅーってした! それに顔が熱いんだけど、これ何だろう!?」
「さあ、何だろうね」
就寝前に、僕はまたひとつの達成感を得ることになった。
この世界で暗黒神として生まれ変わり、自分の心情をさらすことに決めた僕は、僕自身として新たな関係を築いていきたいと願ったのだ。
僕はもう、自分や他者を傷つけることを厭わない。そうして自分自身をさらけ出さない限り、世界と向き合うことはかなわないのではないか――僕は、そのような考えに至っていたのだった。
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