#114 : a complete farce / ep.2
「凛子ちゃん、私の出るトコだけ抜粋しといて」
早めのお歳暮くらいはありそうな大きさの箱に詰められていたA4用紙の束には見向きもせず、琴音はリビングの4Kテレビで敵チームを撃ち殺しまくっていた。
対する凛子も、台本の束には目も暮れずスマホで暇を潰している。例の台本だ。董子から話は聞いていたし、3日で書いたというくらいだから一朝一夕で覚えられるような他愛もないものだと思っていたのに、である。
「無理。長すぎ。だいたいこれ仕事じゃないでしょ」
「だーい好きな姉ちゃんのためだぜ?」
「分かってるけどさあ……」
不承不承スマホを置いて、視界に入れるのもうんざりする電話帳みたいな台本に目を通した。
《オフィスの片隅で》。作:柳瀬董子。
優柔不断な女性シャルロットは、別れたばかりの元恋人でバリキャリOLの美琴と再就職先で偶然にも再会する。すれ違うばかりだったふたりだが紆余曲折の末いろいろあって裏ですべての手ぐすねを引いていた恋敵を打倒し、元鞘に収まってハッピーエンドを迎える、というもの。
「主人公を応援するの死ぬほど嫌。少女マンガとか読んでても、私が応援したいのって恋のライバルのほうだし」
「自分と重ねてんねー」
「だって絶対いい女じゃない、当て馬のほうが」
「自分で言う? それ」
琴音に笑われても、特に気にもならなかった。
笑い話で済むようになったのはどうしてだろう。日は薬、なんて耳にタコができるくらい聞かされた乱暴な慰めの言葉のせいだろうか。
ひとつだけ思い当たる節があって、琴音の横顔を見た。器用なものだ。手元のコントローラーに視線を落とさず、画面だけを見て敵を撃ち殺し、あまつさえ凛子と会話までしてしまう。
「いい顔してんでしょ、凛子ちゃんの女は」
美琴への恋心が完全に死んで笑い話になったのは、別の恋をしているから。失恋の特効薬は新しい恋、なんてこちらも呆れるくらいのスローガンが身に染みてしまうのが、なんとも安い女みたいで嫌だったけれど。
「そうね」
自分の気持ちを確かめる必要なんてないほどに、彼女のそばに居たいと思えている。
「んじゃ結婚する?」
「来世でね」
「綺麗な女じゃないかもよ? もしかするとムサいオジさんかも」
「来世も黒須琴音じゃないと許さない」
「無理ゲーじゃん」
「そ。無理ゲー」
隙あらばプロポーズしてくるのはもう慣れっこだった。さらりと流して、台本をパラパラとめくってみた。女ふたりの恋模様が異常に濃く描かれている。もはやほとんど狂気だ。
「だいたい意味あるのお芝居なんて。すぐバレるでしょ」
「そこら辺はさ?」
腕がある、とでも言いたいのだろう。琴音は引き締まった腕をパンパンと軽く叩き、意味ありげに口元を緩める。
「主演も裏方もアタマいいから、ポンコツ姉ちゃんでもうまく演れるって」
「……そう?」
「てか、自分の心配はしねーの? 凛子ちゃんも出るのに」
「私はお芝居、それなりに得意だし」
「さすが夜の女」
「今はアンタの女」
動揺したのか撃たれて死んだ琴音を脇目に、台本をめくった。
マネージャーの仕事は、基本的にはオーダーメイドだ。担当タレントの個性がさまざまであるように、マネージャー業務もさまざまに変わる。
琴音の場合は、テンプレートの業務——スケジュールの調整や営業、ドラマ撮影時の差し入れやSNS・ファンクラブ運営など——の他に無数の雑用がある。そのうちのひとつが台本チェックだ。
台本をめくる。琴音の名を見つければ赤の蛍光ペンでマークして付箋を貼る。それを漏れなく繰り返す。まず先に自分の出番を確認するのが琴音のやり方だ。ストーリーラインの確認はその後の読み合わせの中で体幹に落としていく。
「ね、凛子ちゃんさあ〜?」
背中に伸びてくる琴音の手を身じろぎだけで払った。少し好意をチラつかせただけで露骨な猫撫で声を出して甘えてくるのが、黒須琴音という女のどうしようもないところ。鬱陶しいことこの上ない。
「仕事中」
「別にいーじゃん」
「いーじゃん」の奥に潜む真意があまりに見え透いていて辟易とする。そんな気分じゃないことくらい赤ペンと付箋を握っているのだから分かってほしいし、何よりヘタクソなのだ、琴音は。
「あのね。顔の良さとかステータスだけで今まで持ち込んできたんだと思うけど、私にはそれ、通用しないの」
「あっはは。何言ってんの? 推しの女優なのに」
いまだになんにも分かっちゃいないのだ。持ち前の、持って生まれた天性の美貌だけで浮名を流してきたこのヘタクソ女には。
この一年言わずに我慢してきたし、本人が上手いと思っているのだから無理に刺激はしないようにしてきたけれど、いいかげん腹も立ってきた。蛍光ペンと付箋を置いて、しなだれかかってきた琴音の肩を鷲掴みにする。
「貴女、口説くのヘッタクソなの。致命的に」
「は……?」
何言ってんの? と、これまで夜のお遊びに持ち込むための常套手段だった綺麗な顔が間抜け面になっていた。
「確かに貴女は綺麗だよ。世界で一番。私が保証する。でもムードとか口説き文句とか、ウソでもいいから目の前の人間を愛するって意識がまるで見えない」
「い……や、ちょい待って? 何それ?」
「顔面に頼りすぎなの。他の女は顔だけで流されてくれるんだろうけど私は違う。こっちはアンタの顔なんて毎日毎晩浴びるほど見てきてるの。顔がいいことなんて誰より分かってる」
「ど、どういうこと……?」
「アンタが口説くのヘタって話。口説くのヘタだからその先もドヘタクソって話」
おおよそ真っ昼間の時間帯にそぐわないバッシングをハッキリ言ってやると、琴音の頬はみるみるうちに赤く染まっていた。いい気味だ。
「ちょっとは私に合わせるとか、私のこと考えようって思わないの?」
「考えてるって! 考えてるから給料も上げたし、家具とか家電だって凛子ちゃんの好みに合わせてんじゃん」
あーもう、こいつ本当に何も分かってない。
「合わせ方が雑なの。給料上げてほしいなんて私言ってないよね? テレビ見ててアレいいよねとは言ったけど、買ってほしいなんて一言も言ってないよね? 第一まだ使えるモノ捨てるとか信じらんない」
ドラム式洗濯機って便利だと思う? 低温調理器でローストビーフ作ったら美味しいんだって! あのリングフィットってやつ、こないだ董子さんとやってみたんだけど運動不足でしんどかったなあ。
ほとんど、テレビCMを見ながらなんとなく口にしたことだ。
話がしたかっただけなのに、翌日には低温調理器とスイッチとリングフィットがAmazonから届いたし、3日経ったら洗濯機が変わって洗剤を買い替えるハメになった。
もちろん、琴音が貰っている額を考えたら安い買い物だ。
だからってねだって貢がせるような女だと思われたくないし、買い与えられたくらいで靡くような安い人間だと思われたくない。
「んじゃ、どうすりゃよかったん!?」
言いかけて、ひとつ深呼吸した。
ケンカ腰になったところで、きっとなんの解決もしないことは過去の経験から重々分かっている。いつもなら「もういい!」とピシャリ、心の扉を閉め切ってしまうけれど。
「……一緒に暮らすってことは、そういうことじゃないの」
身をよじって抱きしめたら、わずかに汗ばんだ首元から彼女の匂いがした。本当はこの香りだけで、この温もりだけで充分なのに、琴音は余計なことばかりする。従姉妹の葵生いわく「いらん
「好きだからやってんのに……」
「それは分かってあげるから、もっと考えて」
「何を……?」
「私のこと。私が本当に求めてるもののこと」
「……キスとか?」
呆れてしまって怒りは吹き飛んだ。
後に残るのは黒須琴音という女への憐れみだけ。どういう生き方をしてきたらこんな機敏のわからない人間に育つんだろう、なんで女優なんてやれてるんだろうという感心すらしてしまう虚無感。
まあ、いいかと思う。
選んだのは自分なのだから、文句はすべて自分にはね返ってくるものだし。
「……キスじゃなかったら何? ハグ?」
「クイズ番組じゃないんだから」
狼狽えた声色に笑ってしまったけれど、それを愛おしく思える自身もいる。
愛し方を考えないといけないのは琴音ばかりではないのだろう。分かってくれないなら歩み寄らないといけない。ちゃんと伝えておかないといけない。
西野カナの歌を思い出した。私たちの関係はきっと、あのヒット曲の歌詞よりも踏み込んだ先にある。
気まぐれな取説を飲み込ませるか。
あるいはふたりで書き換えていくか。
「……ま、いいよ。とりあえず、キスして」
「そっちのがムードなくね?」
だったら私は、書き換える方を選ぶ。
本当にうんざりするほどヘタクソで雑でしかないけれど、それしかできないんだから仕方がない。雑でガサツでヘタクソの中に、向けられた愛を見つけるだけ。
「アンタの雑なやつでいいから」
「雑って言われて、したくないんだけど」
「じゃあリップサービスしてほしい? キスされただけでイっちゃうくらい気持ちいいから早くって」
「それはもうウソじゃん」
「なら、して。ヘタクソなキス」
どうしていいんだか分からない。絵に描いたような間抜け面を晒す琴音に、どんな言葉をかけようかと考える。
マンガでよく見る天使と悪魔のように、白黒ふたりの自分が己の正当性をかけて激突——
『ギャハハハ! 見たかよ天使凛子! 琴音の反応、オモシロ!』
『こんなの金髪クソ女とやってること同じじゃない! 悪魔め!』
『あァ!? 好き好き言ってくる女転がして楽しんでんのはお前も一緒だろうが! 教えてみろよ、何が好きか!』
『琴音いじり!』
『オレと同じじゃないか!』
『私たちは』
『『よく似てるね〜♪』』
『『あ! また揃った!』』
——激突はしなかった。ルンルン気分で歌いながら和解した。
激突したのは唇のほうで、嫌に身構えたそれをゆっくりと解きほぐして味わう。そう言えば昼食は出前のラーメンだった。琴音は醤油で、凛子は豚骨。キスが雑という点では、どっちもどっちなのかもしれないなんて思いながら。
「……イった?」
バカバカしさを味わいたくて、おかわりする。今度はこちらから、琴音が大好きだというデカいだけで何の利点も使い途もないふたつの乳房で押さえつけて。
「イったイった。もうびしょびしょ」
「絶対ウソじゃんそれ……」
真っ赤に狼狽えた抗議の声が、一番ほしかったもの。雑な表現の中にある愛情をひとつでも多く、余すところなく感じたい。
今なら、あの金髪クソ女の——シャルロットの言う愛し方とやらも分かる気がする。結局同じようなところに落ち着いてしまうことが癪だけれど。
「ホントホント。上手になったね〜」
「ならリップサービスで確かめてやろうか?」
「はあ……」
心底ガッカリした。いらん事しいだ、琴音は。
「そういうところがダメなの。ホント信じらんない……」
転がっていたクッションでバカ野郎の顔面を押さえつけて、仕事に戻った。
こっちが歩み寄ったんだから、そっちもいらん事をしないように歩み寄ってほしい。できるまでしばらくお預けだ。
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