#93 : Impossible / ep.7

 わらわは猫である。名前はミモザ。

 どこで生まれたか見当はついているが、過去のことなど詳しくは覚えていない。せいぜい透明な檻の中でニャーニャー泣いていた事は記憶している。妾はそこで初めて、人間というものを見た。

 人間は数が多い。そして多様だ。

 子供から老人、岩のような体のものや、すらりと細長いもの。その誰もが妾を見て、愛着に悶えた声をあげる。どれもひどく猫背に寒気が走るような薄気味悪いものだ。

 ただ、ここでは。この生では。妾のような猫たちは、この人間ども庇護を得なければ生きていけないと知ったのもその時だった。妾は賢い猫である。


「あら、かわいい女の子」


 そこでわらわは、今生の飢えと糊口を凌ぐため、これまでで一番マシに見えた人間に目をつけた。透明な檻の向こうで、まるで我々猫のように琥珀色の瞳を丸く見開いている女だ。今ばかりはこの女を籠絡し、この透明な檻を脱出すべく泣く。


「ふふ。あたしを気に入ったのかしら?」

「珍しいですよ。この子、ふて腐れてそっぽ向いてばかりで、なかなかご主人様に巡り会えなくて」

「貴女も人間が嫌いなのね」


 妾たちに餌を寄越すエプロン姿の人間が、女に語りかけていた。その後何度か訳のわからぬやりとりが挟まり、妾は透明な檻から、箱に詰められた。あとで知ったことだが、この女はバーテンダーという人間じゅうで一番醜悪な種族であったらしい。妾には、人を見る目はなかったようだ。

 透明の檻を脱出した妾の次なる住処は、広く冷たいもうひとつの檻だった。当初、ともに暮らしていたのはバーテンダーのみ。昼間は寝て過ごし、夜に出かけ、朝方に複雑な臭いをまとって帰ってくるというおおよそ猫のような女ゆえに、妾はこの者を人間ではなく猫だと考え、図体ばかりデカい生意気な先住猫を妾の気高さで教育してやることにした。

 妾の食事の時間が遅れたら噛み付く。妾が遊んでやると言っているのに相手をしなかったら噛み付く。眠りの時に触れてきたら噛み付く。ともかく妾の機嫌を一瞬でも損ねたら噛み付く。こうして愚かなバーテンダー先住猫を躾けてやっているのである。感謝こそすれ、叱責される言われなどない。

 そんな生活を続けていた折、バーテンダー先住猫は新たな住民を連れてきた。人間の女であり、名をミコトという。この者は妾の意をしっかりと汲み取るよくできた人間で、腹が空いたら食事を、暇な時には時間潰しを、眠りたい時は安寧をくれる。

 妾は公明正大だ。相応しい働きをする者は、たとえ新入りであろうと取り立てて寵愛する気高き猫である。そして、ミコトを偏愛することでバーテンダーを嫉妬させ、より妾に尽くすよう仕向ける賢さをも備えている。

 そして時が経った現在。


「なあお」


 食事の時間になっても、愚かしきバーテンダー先住猫は酒を呑んだくれて眠っていた。どんなに躾けても覚えない、物覚えの悪い猫である。妾は賢い猫であるが故に、かつてこの酒というものを飲んで死んだ猫がいることを知っている。

 酒は体に毒だ。毒だと分かっていても酒を飲むのは、毒を以って毒を制したいから。よほどこの人間の社会には毒があふれているのだろう。

 だが、この先住猫の酒量はミコトの登場を機に減った。制せねばならない毒が減ったのである。妾は賢い猫が故に、こやつの考えていることなどすべてお見通しである。

 この先住猫を苦しめていたのは、寂しさという名の毒だ。

 名誉奴隷ミコトの曰く、バーテンダーのシャンディは、ただ寂しいのだ。妾を連れてきたのもミコトとの暮らしを望んだのも、自らを苦しめていた孤独という名の毒を紛らわせるため。

 孤独は恐ろしい毒である。

 寂しさが故にひとり泣き、愛しさが故にひとり慰める。その毒を制するために、先住猫は毒を好み、毒をんで気を紛らわせる。根本的な解決になどなるはずもあるまいに。


「いったー!」


 妾への食事も出さずに安らかに眠っている顔を見ると気分が悪い。無防備な耳を思い切り噛み付いてやると、ようやく愚かな先住猫は目を覚ました。


「ああ、ご飯の時間でしたね」


 妾は賢いので、ご飯という鳴き声は理解できる。食事を知らせるパッカンの音に駆け寄り、ようやく遅すぎる朝食にありつけた。途端、手のひらに収まる小さな板を見つめ、先住猫は吠える。


「お仕置きが必要かしらね。美琴?」


 猫背に冷たいものが走るが、妾には無関係なこと。この広く冷たい檻の序列は、下々の順序がどう変わろうと妾が頂点であることに変わりはない。


「わる〜いネコちゃんの躾に出かけてきますね。いい子にしててくださいな、ミモザ」

「にゃおう」


 かくして、先住猫は毒にまみれた檻の外へ出ていく。

 妾のように起きて食って遊んで寝る、この世の春を生きればよいのにそうしない。寂しさが故に愛しさが故に、自ら進んで毒を喰らう。そればかりか、毒を喰らうことを楽しんでいる。

 人間はまるで救いようがない生き物である。

 おとなしく、妾ら猫に支配されておけばよいというのに。


 *


「ごめんなさい。騙すつもりは、ないの……」


 企画部本部長室。美琴は手錠と足枷で自由を奪われ、本部長のデスクの上に横たわっていた。視界に入るミシェルは、九十度傾いた姿で椅子に腰掛けている。表情から伺い知れるのは悲しみだけ。


「だったらこの手錠は何!?」

「これで最後にするから。全部、話すから。聞いてくれるだけで、いいから……」


 悲しみの込もった独白が、美琴の鼓膜を揺らした。


「……話して」

「優しい、ね……」


 言うなり、ミシェルは首からかけていたIDを机に置いた。

 次いでカーディガンのポケットから4台の例のスマホを取り出し、さらには大きなポケットが縫い付けられたカーディガンも脱ぐ。そして髪留め、ピアス、指輪、ネックレス、靴と次々身につけていたモノを外していく。

 合計で11点。彼氏彼女の数と同じだ。


「みんな、わたしにいろんなものをくれた。だから、これをつけてれば、好きになって、話を聞いてくれるって思った……」


 美琴の薬指にも、最愛の人から貰ったプラチナが輝いている。ただ、送られたモノを身につけてさえいれば、愛を証明できるほど単純なものじゃない。


「でもね、みんな、自分のことしか話さない……。すごく大きな夢を持ってるとか、仕事で評価されてるとか、職場に居場所がないとか……。わたしは、すごいねとか、大変だねって言うだけで……」


 そこまで言って、ミシェルは自らのIDを見つめた。日比谷のIDカードは顔写真と所属、氏名がプリントされている、彼女が広尾ミシェルという人間であることの証。


「……誰も、わたしのことは見てくれない。ハーフで背がちっちゃい社員のことは知ってても、わたしのことになんて誰も興味ないんだよ」


 ミシェルの悩みが美琴には理解できた。


「第一印象って怖いよね」


 ふわふわしておっとりした、見た目通りの天然。それが広尾ミシェルだと美琴は——おそらく恋人たちも——思っている。第一印象で彼女を天然キャラの枠に当てはめてしまっていたのだろう。

 その時点で、それはミシェルではなく勝手に作り上げた都合のいい虚像にすぎないというのに。


「ミシェルは、話を聞いてくれる人が欲しかったんだね」

「美琴さんの彼女が……うらやましいな……」


 嗚咽を抑えることもせず、ミシェルは泣いた。できれば手錠と足枷を外してから泣いてほしかったが指摘もできず、啜り泣く声が聞こえなくなるまで、美琴は天井を見上げていた。


「……美琴さんは、わたしの味方、だよね」


 消えそうな声。だが、消してはならない心からの叫びに聞こえた。可哀想だと思うのなら、優しさを向けるのなら、優柔不断ではいけない。かつてシャンディに言われたことを思い出す。


「味方だから手錠取ってくれない?」

「裏切らない……?」

「そこは信じてほしいかな。私も信じるから」


 思案した後、美琴の拘束は解かれた。浜に打ち上げられた魚のように蠢いていた全身がようやく自由になる。肩と手首をぐるぐる回して机に座り、美琴は椅子に掛けたミシェルの手を握った。


「私でよければ聞くよ、貴女の話」

「パンツ、見えてるよ……?」


 今それを言わないでほしい。両足を閉じて仕切り直す。


「それで、ミシェルはどうしたかった?」

「あのね……わたし、秘書課を壊したいの」


 目を合わせず、ミシェルは呟いた。

 驚きこそすれど、受けた傷を思えば納得のいく結論だった。


「驚かないんだね……?」

「まあ、ツラかったのはなんとなくわかるから」


 右往左往するミシェルの話は、美琴の予想通りだった。地下2階で聞かされた愚痴がすべての動機。


「私のIDが使えなかったのは、貴女の仕業じゃないの?」

「違うよ、違うの。わたしじゃないの。わたしの計画は……総務の柳瀬さんに、課長を倒してもらうことだったから……」

「ちなみにどうやって?」

「え、口げんか……とか……?」


 そんな計画では、いくら早苗が優秀でも上手くはいかないだろう。秘書課を壊すというのも具体的にどんな状態か分からない。


「壊してどうするの、秘書課」

「えっとね……。来瞳さんは優しいから課長になってもらって……今の課長やほかのふたりは優しくないから……辞めてもらって、ふたりでがんばるの」


 現実が見えていない。甘すぎる。部外者の美琴でも、そう思わずにはいられなかった。おまけに今の状況で美琴が訴えれば、クビが飛ぶのはミシェルの方だ。


「それだと忙しくない?」

「がんばるから……」


 オーナーバーテンのシャンディと違い、会社員は客も同僚も選べない。課せられた仕事をこなすには、苦手な相手だろうと共に肩を並べて働く。それが人間社会の不文律。


「……難しそうだね」

「だけど、がんばってみたよ……。美琴さんを誘拐したら、秘書課の仕業ってことになって、課長がクビになるかもって思って……」

「課長さんに罪、着せられそう?」


 ミシェルはぷるぷると首を横に振った。突拍子がないミシェルの臨時プランが失敗に終わった今、彼女の行動にはまるで意味がない。


「……ありがとう、ごめんね。わたし、もう……諦めるよ……」

「諦めるって?」

「わからない……。でも、我慢して働いてれば……いつかいいことあるよね……?」


 本気でそう思っているなら、そんな弱々しい笑顔を向けないでほしい。


「それじゃだめだよ、ミシェル」


 ミシェルの手を強く握り、美琴は考えをまとめようとする。

 どうすれば、ミシェルが生きやすくなるのだろう。

 どうすれば、生きづらさを感じている彼女を救えるのだろう。

 アドバイスならいくらでもできる。職場が嫌なら辞めればいい。もっと活躍できる場所を探して転職すればいい。何か夢があるならそれを目指してもいい。あるいは仕事を辞めなくても他の部署に異動を願い出るとか、やりようはいくらでもある。

 だが——言えない。言えるはずがない。

 他人の人生を左右するような発言はできない。アドバイスを間に受けて行動に移して失敗したとき、美琴は責任など取れない。


「でも、わたしは……」

「私に嘘はついてもいいけど、自分に嘘はついちゃだめ」

「じゃあ、どうしたらいいの……?」

「それは……」


 ミシェルの悩みに対して、何もできない自信が虚しかった。味方になると言っておきながら、言えることはその程度しかない。

 なんの力にもならない、無力な回答だった。


「……回答は無言ですか。まあ確かに、無責任なアドバイスをするくらいなら黙っているほうがまだ誠実ですね。不誠実な行いさえしていなければ、ですけれど」


 背筋が凍った。聞き間違えるはずなどない。声の主の正体は耳が、そして体が覚えている。

 彼女がここに居るはずがない。そしてあの情事を知っているはずがない。だが美琴は振り向けなかった。


「あたしと目を合わせられないようなことをしちゃったのかしら?」


 声色は、まるで怒気が感じられない。普段と変わらない、よく通る鈴を転がすような音。それは彼女が、感情のすべてを微笑みで覆い尽くしているからだ。

 彼女は絶対に勘づいている。

 今日ばかりは、その笑顔の裏に潜む本心を悟りたくない。


「ご……」

「ご? 極道の妻たち? それともゴッドファーザー?」


 「ご」がつくタイトルの映画なんて他にいくらでもあるのに、わざわざバイオレンスなタイトルを選んでくるあたりが。


「ごめんなさいどうしようもない事情があったんです許してくださいシャンディさん!」


 流れるように振り向いて、美琴は土下座の体制をとった。

 顔は怖くて見られない。


「ブラ、透けてるよ……?」


 背後からミシェルの声がした。それは今じゃない。


 *

 

「凛子さん! 今すぐ5階、企画部に向かってください!」

『隠し部屋なんてなかったよ?』

「それらしいものを用意します!」


 人狼の炙り出しは済んだ。未登録のまま16階、情シス部の扉にタッチしまくっているふたつのIDをその場で即時承認し、5階企画部と本部長室の入室権限を与えておく。

 遠く離れた早苗にできることはこれだけだ。

 敵を秘書課だと勘違いして美琴を追い込んでしまった。その埋め合わせで頭がいっぱいだ。心のこもらない土下座程度では許してもらえないだろう。

 セキュア上の処理を終えてため息をついたところで、取り調べ室から野村が戻ってきた。


「終わったよ。聞いていた通り、君が憎かったらしい」


 憎まれるのには慣れている。部署の垣根を取っ払った越権行為を繰り返しているのだから尚更だ。出る杭は叩き潰さねば気が済まないのが日本社会である。


「どうする?」

「どうとは?」

「彼女の処遇だよ。勧善懲悪か、事なかれ主義か」

「野村さんに任せます」

「じゃあ、そうだな……」


 野村は頭をポリポリ掻きながら、董子を思わせる笑顔を見せる。


「クビだ。ふたり仲良く、今すぐ東京に帰りなさい」


 早苗は目を見開いた。意図を図りかねて反射的に聞き返す。


「ま、まだ仕事があります。私はセキュアの管理者権限を持っていて利用価値も高いはず。そして完全なシロです!」

「他のメンバーが信じるかどうかは別問題だよ。おまけに今、個別の事件を捜査線上に乗せたままにしておくのは非効率だ。聡明な早苗さんなら僕の判断は理解してくれると思うけど」

「ですが私は社長からの辞令を受けて……」

「仕事がすべてじゃないんだよ」


 そんな言葉をもらうことになるとは思わなかった。これもまた、出る杭を打とうとする、日本社会の縮図なのかもしれない。

 香織と揃ってクビというのも、面倒ごとを起こす人間だからと排除されただけのように思えてくる。いっさい非がないのに。


「足を引っ張ってきた人間を。降りかかる火の粉を払ったら、連帯責任ですか」


 野村は「うーん」と言葉を濁す。腹芸が上手いのか下手なのか分からない。考える時間が増えればそれだけ、言い逃れができなくなるのに。


「早苗さんは、ひとりで頑張っているんだねえ」

「仕事はひとりでやるものです。課せられた責務を個々人が全うした結果として、チームプレイが生まれるものだと考えています」

「うん、わかった。じゃあ連帯責任じゃない。董子のために東京本社に戻りなさい」


 野村の判断は、早苗には分からなかった。ただ、どこか困ったような笑顔だけが、言外に何かを語っている。その真意は早苗には悟れない。


「董子はもういいオトナだが、あれをひとりにしておくのは心配なんだ、親として」

「そうですが……」


 言ってから、さすがに失礼な発言だったことに気づいた。恐る恐る野村の顔を見上げたが、「だよねえ」とばかりににこにこ笑っている。


「それに、管理者権限を持っているのは君や楠本さんだけじゃないからね」


 野村は自らのスマホを見せる。日比谷探検隊が企画部の扉を開けたという通知が踊っていた。


「それならそうと言ってください……」

「隠し球は最後まで取っておくことだよ。ああ、それと」


 部屋を出てきた香織を一瞥し、野村は告げた。


「柳瀬早苗がどれだけ仕事に人生を賭しているか、楠本さんに伝えてある。帰りの新幹線で大いに青春したまえ。ははは」


 香織と同じく直帰命令をもらい、早苗は浜松支社を後にした。

 渡された帰りの新幹線まで時間がない。タクシーの運転手を宿泊していたホテルに待機させ、すぐに身支度を整えて駅へ向かう。同乗したタクシー車中でもギリギリ辿り着いた新幹線ホームでも会話はなく、ソーシャルディスタンスのご時世なのに隣り合った座席に座らされ、左手に見える富士山が小さくなっていくのをただ眺める。

 対策本部をクビになり、あと1時間で東京に戻る。

 本社での評判が落ちてしまうかもしれない。そんな不安より、董子に会えることの喜びと、美琴への埋め合わせが早苗の思考を支配していた。


「……ねえ」


 押し殺すような隣席、香織の独り言に、早苗は車窓から視線を戻した。


「なんですか」

「ゲームやったことある?」

「人狼なら」

「そういうんじゃなくて」


 荷物の中から取り出したのだろう。香織はゲーム機のコントローラーを早苗に握らせる。座席背後のテーブルを倒して本体を置くと、対戦ゲームを起動した。


「暇でしょ」

「勤務時間中です」


 断っても、香織は無断でゲームをスタートさせた。1対1のタイマン格闘。早苗が適当に選ばされたキャラが、あっという間にボコボコにされて画面場外へ吹き飛んでいく。


「……ザッコ」

「む……」


 たかがゲームでも、一方的に負けると腹が立った。

 次の試合では、早苗も少しだけキャラクターを動かしてみる。だが操作に慣れた香織には敵うべくもなく、一瞬で伸されて試合が終わった。


「もう一戦お願いします」

「何度でも殺してやる」


 コントローラーを握る手が熱かった。攻撃に防御、回避に復帰。見様見真似でなんとか立ち回るもまるで香織には歯が立たない。ほとんどパーフェクトゲームに近い試合が続いたのち、香織がおもむろに口を開いた


「……こういうゲーム作りたかったんだよね、私」

「そうですか」

「だけど、業界は全部落ちた。その時にすっぱり諦めた」

「だから?」

「……夢とか目標とかない? 人生賭けるような」


 密やかに野村を恨んだ。何をどう香織に吹き込んだのか知らないが、今さらこんな思春期みたいな会話はしたくない。第一、夢も目標も早苗にはもうない。ただ、日々があるだけ。


「仕事して稼ぎ、生活すること。それだけです」

「その程度の志しなら、いつか越えてやる」


 真剣に画面を見つめる香織の横顔に目を奪われた。が、油断した瞬間、片耳につけたイヤホンから試合終了のナレーションが響く。香織の勝ち星が増えていく一方だ。


「ゲームで私に勝ったところで、仕事は上手くいきませんよ?」

「悔しいんだ?」


 差は歴然だ。ゲームではなく、社内評価で。そもそも総務と情シスで職務範囲が違うから単純に比較はできないが、同期で括れば早苗に圧倒的な利がある。

 それでも、汚いやり方ではあったが楠本香織は早苗に挑んできた。そして今も、圧倒的に有利なフィールドで挑んできている。

 そうまでして勝ちたいのか。

 そうまでして張り合う気すらないのに意識してほしいのか。

 そんな香織の気概が、妙に面白かった。


「そうですね。悔しいので、何度でも負かします」

「言ってろ、ザコ」


 品川駅に停車するまで、早苗は香織の相手をしてやった。それがせめてもの罪滅ぼしかもしれない、そう思いながら、豪快に画面外に吹き飛んでいくヨッシーを目で追った。


「……弱くありませんか? ヨッシー」

「負け惜しみー」

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