#69 : Rosa Rossa / ep.2
日比谷商事、会議室。美琴にとっては日比谷商事の面接会場であり、またの名を面接
六名がけの長机の片方に美琴が、そしてその反対側に面接官たる早苗、来瞳。中央にはなぜかビジネススーツに身を包んだシャンディの姿があった。
「何してるのシャンディさん……」
「あらあら、面接ですよ? 黒須様。そんな言葉遣いでいいのかしら?」
「いやだっておかしいよ!? 早苗さん、この人侵入者ですよ!?」
「私が許可し、赤澤に案内させました。ちなみに彼女も面接官です」
「愉しみましょうねぇ、みーちゃん?」
美琴の向かい、長机の中央に座すシャンディと、その左隣の来瞳がそれぞれに人の悪さがたっぷり詰まった笑みを浮かべている。彼女ら二名は、人を責め立てることに関しては天才的だ。ただシャンディには遠慮がある一方で、来瞳には遠慮や配慮がない。
そしてシャンディの右隣、すべてを裏で操っていたであろう早苗が美琴に着席を促す。
「弊社の最終面接へようこそ。始めましょうか、黒須さん」
「最終って……」
「最初で最後の面接試験。言ったはずです、貴女と働きたいと。もっとも私は総務、黒須さんは企画部へ配属予定ですが」
「ちょうど一席、地獄へ堕ちちゃった人の席が空いてるものねぇ~」
美琴は事態を把握する。小杉が抜けて、企画部本部長が空席になったのだ。となれば企画部から新たな本部長が生まれ、連鎖的に末端に空席ができる。早苗はその空席に、美琴を滑り込ませようとしている。
早苗なりの優しさか出世欲だろう。それは美琴にも理解できた。
ただ、企画を続けるとなると、美琴の心を暗澹たるものが覆う。
「企画は……」
言い淀んだ美琴の言葉を代弁するように、早苗が口を開いた。
「就活の状況についてはシャルロットから話を聞いています。これまでの実績を無視して、企画以外の仕事を選んでいるそうですね」
「ええ、まあ。企画にはトラウマがあるもので。早苗さんもシャンディさんも……赤澤さんもご存じだと思いますが」
「小杉は地獄に堕ち、赤澤は私の軍門に下りました。もう貴女を陥れようとする者はいませんね?」
「…………」
来瞳はニタッと笑って美琴に手を振っている。早苗いわく人畜無害だが、仮に早苗は信用できても来瞳を信用することはできない。ムリヤリ唇を奪い、写真で脅し、土下座させられ、エキシビションではただ転ばされた。あの屈辱を忘れろというのはどだい無理な話だ。
「おそらく、弊社に抱いたトラウマは解消されないでしょう。それは私の失態でもあります。誠に申し訳ございませんでした」
「……はい」
「ですが、争点はそちらではありません。私が黒須さんに問うているのは、企画のトラウマが解消されたかです」
日比谷そのものと、企画の仕事。
どうにか問題を切り分けたところで、美琴には企画を続けられない、続けたくない確固たる理由が存在した。だから無言で首を横に振る。
「それはつまり、小杉と赤澤以外で、弊社で企画の仕事をできない理由があるということです。答えていただきます」
早苗の詰め方は残忍で冷酷そのものだ。来瞳を同席させたのは美琴のトラウマをかき立てさせるため。その直後に来瞳と小杉の問題を切り分けさせると、美琴が企画を続けたくない理由が浮き彫りにされる。
「こんな卑怯な手を使うんですね……」
早苗は息苦しそうに眉間に皺を寄せた。
「悪いとは思っています。私を嫌っていただく分には構いません。嫌われることには慣れていますので」
「早苗さんは裏で尽力してくれていたんですよ。美琴さんのクビ告知を聞いた時から」
珍しくフォローをしたシャンディの琥珀色の瞳は、憂いを帯びた色に染まっている。互いに顔を合わせることもなく口裏を合わせるシャンディと早苗は、おそらく初めから結託していたのだ。
何がモラトリアム遊戯だ、と美琴は思う。
最初からそのつもりだったんじゃないか。
「……日比谷は無理です。早苗さんと違って私には学がない」
だから美琴は抵抗した。どうしても企画では働けない。働いてはいけない。
そんなことをしてしまえば、大勢に迷惑を掛けることになるから。
「学ときましたか……」
こう言えば、高学歴の才媛である早苗は何も言えない。卑怯な手ではあった。
だが、早苗が口を噤んだ一方で、来瞳が笑う。
「学なんて関係ないわよぉ? あたし見てれば分かるんじゃなぁい?」
来瞳は、小杉に取り入って裏口入社した。
極端な例ではあるが、最悪学なんてなくてもどうにかなることを来瞳が証明してしまっている。どこまでも早苗の座組が優秀で恨めしい。
「…………」
「ふふ。学がないからなんてウソでしょう? 五年も社会人やってれば、学なんて仕事に関係ないことくらい分かってるはずですね」
明治文具は、大卒の方が少ないくらいだった。仕事のできる職人達はみな学歴など無関係に、毎日せっせと働いている。仕事の早い彼らと何の役にも立たなかった美琴の給料がさほど変わらないというのが、美琴にとってはつらくもある。
「さて、そろそろ腹を割ってくださいな。美琴さんはどうして、企画をしたくないのかしら?」
退路を三人がかりで塞がれては、もう精いっぱいの背伸びすらできない。
等身大の、二十七歳という年齢にしては幼すぎる自身をさらけ出してしまう他はなかった。
「私は……自信がないんです。企画能力というか、仕事全般に……」
沈黙。暗に「続きを話せ」と指示を送る三名の面接官に、美琴は言葉を詰まらせながら告げた。
「……早苗さんのように、部署を股に掛けて仕事はできない。シャンディさんのように、コミュニケーションで他人を魅了できない。赤澤さんは……」
――自身の美貌を使って人を転がすようなことはしたくない。
「なんか言ってよぉ。傷つくぅ~」
「……とにかく。私には実績がないんです。この五年間、私には何もありません……」
長い沈黙だった。シャンディも、早苗も、来瞳の目も美琴には見ることができなかった。ただ椅子に座って太ももの上に添えた両手が小刻みに震えているのを静かに眺めるばかり。
静かに息を吐いて沈黙を破ったのは早苗だった。
「正直に言います。私は貴女の背丈が、そして美貌が羨ましいです」
早苗はいつも唐突だ。彼女の中ではロジックが通っているのだろうが、美琴からすれば前後の脈略がまるでない。
「今それ関係ありますか……?」
「ええ」と、俯きがちに短く切って、早苗はこめかみに人差し指を押し当てる。何を言うべきか思案しているとでもいう風な様相。発した第一声は裏返っていた。
「……個人的な話なのですが。私は、董子と釣り合わないと感じていました。背丈は低いし、凹凸もない。世間一般に女性的とされる魅力を持ち得ない人間です。顔も童顔で、お年寄りには中学生に間違えられます」
「いやそんなことは」
よくあることだ。ほとんど反射的にフォローしたが、早苗は苦笑した。下手なフォローは時に、直接言うよりも相手をえぐるものだ。
「黒須さんのフォローほど、説得力のないものはありませんね」
「すみません……」
「構いません。ともかく、私は前述の通りのちんちくりんです。でも、董子はまるで違う。私に足りないものをすべて兼ね備えていて、まるで釣り合わない」
「聞かせてあげたいですね。董子さんに」
「何度も董子には話していますから、今さらですが――」
早苗の仏頂面がほんのりと色づいた。
「――今は少し……心境も変わりました。董子が、足りない私を認めてくれたので」
「早苗さんで足りない、って……」
「人間、どこか足りないものです。完璧な人間なんてこの世にはいません。貴女の婚約者にしても欠点だらけ」
「あらひどい。泣いちゃいますよ?」
「こういう、真面目な話をしている時に茶化してくるところなどその典型です」
早苗が何を言いたいのか、美琴には分からなかった。
「……あの、早苗さんは何を?」
「ここまで言っても分かりませんか……」
大きくため息をついた早苗に、伏し目がちに睨み付けられた。
「……私が、貴女が足りないと思っている能力を認めてやると言っているんです」
「いやでも私は――」
「くどい。貴女は仕事ができる。短期間で二本も企画を通す能力がある。私の能力を認めるのなら、私の人を見る目も、能力を嗅ぎ分ける嗅覚も認めてください。そして貴女自身の能力を認めなさい」
早苗の信頼が。そしてその信頼に応える度胸のない、自信のない自分が痛かった。
何の言葉も返せず黙した美琴へ、来瞳の鼻に掛かる声が追い打ちをかけてくる。
「早苗ちゃんが人を褒めるなんてよっぽどよぉ? あたしなんてぜーんぜん褒められたことないものぉ。褒められて伸びるタイプなのにぃ」
「貴女には褒めるところがないだけです」
ピシャリと切って、早苗は続けた。
「私を信じてください、黒須さん。悪いようにはなりません、なったとしても私が責任を取ります」
「ふふ。早苗さんもあたしの美琴にプロポーズかしら?」
「茶化すなと言いました。それに黒須さんは董子に遠く及ばない」
「盲目ですねー」
くすくすと茶化して遊んでいるシャンディの一方、早苗はどこまでも美琴を信頼して告げている。自身がまるで信頼できない能力を、必要だと言ってくれている。
「どうしてそこまでして私を……」
「出世のためです。黒須さんの企画力は日比谷に利益をもたらす」
「その説得は台無しですね、早苗さん。美琴さんを説得したいなら、貴女も素直になってはいかがかしら」
早苗の口角が片方だけ吊り上がった。シニカルでニヒルなようでいて、ただ笑顔が下手クソで、照れくさいのだろう。
「貴女たちを祝福したいからですよ。友人として、
「ええ、あたしはとっても満足しました。早苗さんをいじめられて」
「……いつか潰します」
「さて。美琴さん? 今の早苗さんの説得を聞いて、心は動きました?」
琥珀色の瞳を上弦に歪める。シャンディは遊戯特有の、試すような口ぶりだ。
「……早苗さんの気持ちは嬉しいけど、私には能力が足りないから」
真正面から引っ張り上げられたところで、腰が引けていれば立つことはできない。
早苗が本心から話してくれていることは美琴にも分かる。当初抱いていた不信感も、説得が目的だと思えば和らぎもした。だが、言葉だけで変われるほど若くない。オトナで子ども、中途半端な自分自身が心底イヤになる。
「みーちゃんも頑固ねぇ? もっと単純な生き物かと思ってたけどぉ?」
よりによって来瞳に図星を突かれて、美琴は思わず立ち上がっていた。
「悩まない方がどうかしてるから! 日比谷だよ!? 能力もないのにこんな会社で働ける!?」
「でも実際、形になったんでしょう? 見せていただけます? 美琴が心血を注いだ、仕事とやらを」
早苗から《デジタルメモ》を受け取って、シャンディはしげしげとそれを見つめた。開いたり閉じたり、遠目に見たり近づけたりして満足したのか、優しく微笑む。
「完成品を見て、美琴さんはどう思いました?」
「……悪くないと思ったよ。関わってくれた人に感謝してる。大勢の人が形にしてくれて嬉しかった、けど。能力不足の私の企画は、きっとみんなに手間を掛けたはずで……」
「その気持ちがあれば、能力は充分足りてるんじゃないかしら?」
「え……?」
アンティッカのカウンターで誘惑をするときのように、シャンディは両手で頬杖をついて美琴を見つめた。少女のようで妖艶で人形のような美の集大成に見つめられ、美琴は言葉を呑む。
「特別に、あたしの昔話を聞かせてあげますね?」
「でもそれは……」
「いーんですよ。別に大した話じゃありませんから。ふふ」
シャンディは謎のベールを一枚脱ぎ捨てた。
「あたしがマーベリックの見習いバーテンダーだった頃のお話です。ホテルに勤める前はまるで関係ないお仕事をしていたので、業界未経験。当然、苦労しました。何すればいいのかさっぱりで。師匠の飯森さんやお客様にも怒られてばかりで、毎日バックヤードで泣いていました。ぴえん」
「泣いていたのくだりはウソですね」
「ぶー。ちょっとくらい話を盛ってもいいでしょう?」
してやったりとせせら笑う早苗からぷいっとそっぽを向いて、シャンディは続けた。
「そんな毎日を過ごしていた時のこと。どうせまた能力不足で怒られるだろうと、覚えたての《シャンディ・ガフ》をお客様にお出ししたら、こう仰ったんです。『美味しい』って。あたし、感動して泣いちゃいまして」
「そうですか」
「……今の泣いたのもウソですと言ってくれないと、恥ずかしいんですけど?」
「泣いたのはおそらく事実でしょうから。貴女にも人間らしい一面があるのだと素直に感心したまでです」
高度に知的な読み合いを「そっくりそのままお返しします」と遮って、シャンディはテーブルの上に置かれたペットボトルのお茶を一口含んだ。
「当時出した《シャンディ・ガフ》は今とレシピが違います。教わった通り、レシピ本の通りに作っただけのマズいもの。それでも喜んでくださったお客様が居てくれたんです」
微笑んで語りを切ると、シャンディが再び美琴を見つめてくる。
その視線が「さて、何が言いたいのでしょう?」と雄弁に試しているように美琴には感じられた。シャンディが謎を話した意図を美琴は考える。
美琴は自らの能力不足を訴えた。だが早苗も、おそらくシャンディも美琴を励まそうとしている。
――能力が足りないなら努力して足せばいい。
そんな人口に膾炙する、誰でも言えるようなお説教がしたいのだろうか。
「……その出来事がきっかけで、バーテンダーの努力をした、ですか?」
「ふふ。するワケないじゃないですか! 努力なんて疲れますもの」
美琴の肩の力が抜けた。
シャンディはこういう女だ。真面目に語っている風で、いつもどこかで肩すかしを食らわせてくる。
「いったいなんなんですか、そのエピソードは……」
「まあ、もちろん努力を否定はしませんよ? でも、より大事なのは努力を認めてくれる人の縁、相性だと思うんです。混ざり合ってカクテルになる、お酒のように」
「相性……」
シャンディは静かにつぶやいた。
「下手の横好きでも我流でも能力が足りていなくても、気に入ってくれる人がいれば充分なんですよ。百万人のうちの――いいえ、全世界七十億人のうちのたったひとりでも好きだと言ってくれたら、あたしはそれで充分」
「まあ、たったひとりにしかウケない企画を出されるのは困りますが。とは言え、ひとりを満足させるよう作られた企画は、より多くの人に刺さるとも聞きます。ビジネス書の受け売りで恐縮ですが」
「私にその……能力があると……?」
「あるからこその面接でしょう?」
一瞬、心が揺らいだ。五里霧中の暗闇に一条の光が差したような衝撃だ。
実際、《デジタルメモ》の完成品をはじめて目にしたとき、嬉しかったのだ。足りていない自身でも、ようやく形になるものを作れた。まだ販売はされていないし、ヒットの基準がどれだけ売ればいいのかも分からない。
それでも報われた。苦心した甲斐があった。
もしかしたら、企画の能力があるのかもしれないとはじめて自信を持てた。
それでも、ほのかな成功に押されるだけでは、美琴は前に進めない。
「ごめんなさい、やっぱり覚悟が決まらない……」
「この女は……」
「まあまあ。美琴さんはいつもこんなものです。ひとり覚悟に悩んで落ち込んで、だけどそのうち覚悟を決めるもの。気長に待ちましょう?」
「企画部の席を確保しておけるのはあと一ヶ月です。上半期の企画コンペに例の《ポプリ》を忍び込ませて、黒須さんを雇うという筋書きなのですが……」
「企画コンペ……」
企画コンペ。
それは日比谷グループから持ち寄った企画を競わせる、実力主義の世界。
それがようやくにして美琴の背を押した。
「……なら、こうしてください。企画コンペの結果で、私を採用するかどうか決めていただけますか?」
面接官三名の顔が、まったく同じ驚きの色に染まった。
「それって新しく企画作るってことぉ? そんなことしなくても、早苗ちゃんがスカウトしてくれてるのにぃ?」
美琴の腹はもう決まった。
「誰の力も借りず、独力で、本当に貴社で働くだけの能力があるか試したいんです。試させてください」
「美琴さんは試されるのがお好きですね」
「理解に苦しみますね……」
頭を抱える早苗に、美琴はなおも食い下がる。
「早苗さんだって私を試したほうがよいはずです。あくまでも私が実力で日比谷の席を取ったほうがいいでしょう」
「非効率極まりないです。失敗する可能性もあるのですよ?」
「失敗すれば私を推した早苗さんの経歴にも傷がつく。私は……貴女の優しさにも甘えてばかりはいられないんです」
「対等でいたい。それが美琴の望みだったかしら?」
愛する人が相手でも、友人が相手でも、妹でもいずれは同僚になるかもしれない人でも代わらない。
一方的に甘えたくはない。自立していたい。それが美琴の本心だった。
「誰かの負担にならないことが、私の理想とするオトナですから」
「それはそれでいびつですけどね?」
「それでもいいと言ってくれるたったひとりが、すでにいますから」
「う」
シャンディは言葉を失って、手元にあった美琴の履歴書で顔を隠していた。思わぬラッキーパンチに気をよくしていると、早苗の大きなため息が耳に入る。
「……貴女の覚悟は理解しました」
「ご検討いただけますか?」
「ええ、こうしましょう。来月末の企画コンペで、貴女の新企画が採用されるかどうか。これを弊社入社の条件とします。希望に沿うため、いっさいの妥協も忖度もしません。実力で席を勝ち取る。それでよいですか?」
「はい」
「……私の譲歩を無視してでも?」
「早苗さんが認めるほどの企画力です。であれば失敗などするはずがないでしょう」
早苗は苦笑した。思わぬ意趣返しと、どこまでも頑固な美琴に呆れたのだろう。だが、それでもいいと美琴は思う。誰にも甘えず、対等であるためには、足りない自身を高めなければならないのだから。
「それが貴女の意思だと言うなら、わかりました。頑張ってください」
「ええ」
ようやく面接は終わった。美琴を含め四名が四名とも、OAチェアの背もたれにドカッと身体を預ける。顔見知りや恋人が相手だろうと――否、そういう人間だからこそ隠し事ができなくて、ただただ気疲れがひどかった。
こんな時は、お酒が飲みたくなる。
「美琴さんはちゃんと見つけましたし、モラトリアム
「シャンディさん、ここ職場ですよ……。しかも日比谷本社……」
「お酒さえあればどこでもバーですよ」
「それいい~。あたし飲みたぁ~い」
「赤澤、仕事中です。それに私は飲めません」
「なら早苗ちゃんはみっくすじゅーちゅでもお飲みになって? 下の自販機で買っておいてあげまちたよ~」
「挑発には乗りません。私はこれで」
「お菓子もありますよ?」
「お菓子……」
ぴくり、と早苗の動きが止まった。琴音の内情を探りに来たときも、なぜか菓子折を持参してきたことを美琴は思い出す。
実はお菓子が好きなのかもしれない。
「テレワークで人も少ないし、会議室使う人なんてほぼいないでしょう? 三密そのものですもの。パーティしたって見つかりませんよ」
「あたしはさんせ~い。みーちゃんはぁ?」
「反対したって押し切る人だからね……」
「よくご存知で。は~い、早苗ちゃんはどうちまちゅかー?」
完全に早苗を弄ぶ悪いママになっているシャンディに、早苗は背を向けてドアに手を掛けていた。
「……席に戻ります」
「ノリ悪いです。その場のノリだけで生きてる奥さんに愛想尽かされますよ?」
「自席のお菓子を取りに行くだけです。仕事のお礼にもらったお菓子が溜まっているので」
無愛想で社交性皆無なようでいて、早苗は理解も要領もいい。ああいう上司の下で働ける社員は――仕事は忙しいだろうが――幸せかもしれないと美琴は思う。
早苗もまた、美琴が近づきたい憧れのオトナ像だ。いつか仕事の面で、彼女と対等に立てるようになりたいと美琴は思う。
そのためにやることは決まっている。
日比谷の企画コンペで勝利を飾ることのできる、珠玉の企画だ。
「……ありがとうね、早苗さん」
「お気になさらず」
告げて、早苗は会議室を後にした。
いっぽう、わざわざ小型のクーラーボックスを持ってきていたシャンディは次々と冷えたグラスと酒瓶を並べていく。先ほどまでひたすらに詰められていた場が彼女の店、アンティッカさながらに代わっていく様子はひどくシュールだった。
「早苗ちゃん堕とすなんてすごぉ~い。お友だちになりましょう?」
「貴女は先に、あたしに言うべきことがある気がしますけれど?」
「そんなことあった? てゆーか、エキシビションでケンカの仲直りしてみーちゃんからプロポーズされたんでしょう? それってあたしのおかけよねぇ?」
「まあ、いけしゃあしゃあとよく言えたものです。悪女ですこと」
「あたしを魔女呼ばわりした女に言われたくなぁ~い」
「ふふ」
「ふふふっ……」
シャンディと来瞳は、不気味に笑いあっていた。
美琴はただただ帰りたかったのだった。
――モラトリアム遊戯、美琴の勝利。
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