#66 : Blue Bird / ep.1

 経堂お散歩遊戯ゲームの帰路。

 近くの中華料理店でテイクアウトの――野菜抜き――肉餃子の焼き上がりを店先で待っていた美琴は、LINEの未読通知が溜まっていることに気がついた。琴音だ。返信しようとした瞬間、通話が掛かってくる。


「どしたの」

『やっと繋がった。家にいてって送ったじゃん?』


 琴音の声色は不機嫌。呆れといらだちを含んだ声には、さすがに文句のひとつも言ってやりたくもなる。


「だったら事前に連絡するとかさあ――」

『いいから早く帰って来て。大変なことになってんの!』

「ちょっと!?」


 それだけ言って琴音との通話は切れた。忙しいのかなんなのか知らないが、甘えっぱなしの妹だ。何の用だったのかとLINEを確認して、美琴の指は止まった。


「え、葵生ちゃん……?」

「葵生というと、美琴のいとこだったかしら?」

「そう。でもこれ……」


 テイクアウト客用の椅子に腰掛けたシャンディに琴音とのLINEを見せた。「とっとと気づけ」とばかりに連打されたスタンプをたぐると、琴音が連絡してきた理由が分かった。


「……餃子、追加した方がいいですね」


 懇意にしているらしい餃子屋の店主に四人分の追加オーダーを出して、シャンディは琥珀色の瞳を上弦に歪めた。マスクで口元を覆ったシャンディの笑みは、これまで以上に真意が読みにくいものだった。


 *


「うわー! みこ姉の家ひろーい! しかも猫おるし!」

「シャーッ!」


 経堂、シャンディ宅。

 ひとりで住むには広く、ふたりで住むにはちょうどいい2LDKは、女ばかり六人集まるとどうしようもなく手狭だった。この城の女王様たるロシアンブルーのミモザ様は、キャットタワーの最上段で長い尻尾を真上に伸ばしていた。警戒するのも無理はない。


「説明してくださいます? 琴音さん?」


 シャンディは帰るなり、餃子とビールで一足早めの晩酌を決め込んでいた。表情こそ微笑んでいるが、ミモザが警戒している時は、それによく似た飼い主の本心もだいたい同じ。


「や、今日は凛子ちゃんを雇ったよって報告を」

「そっちじゃないでしょう?」


 シャンディは微笑みを顔じゅうに貼り付けたまま、ミモザとにらめっこを続ける葵生にこれ見よがしに視線を送る。ようやく観念したのか、琴音は降参とばかりに項垂れて話し始めた。


 琴音によれば、テレビ収録で六本木へ向かったついでにアンティッカの様子を見に行ったら葵生とばったり遭遇、泣きつかれてしまったので仕方なく現場まで連れて行ったという。

 そこまでの経緯を話し終えたところで、葵生が割り込んできた。


「みこ姉聞いて? こと姉、ウチをテレビ局に置き去りにしようとしたんよ!? ほやけどこと姉の車見つけたから、タクシー拾って運転手さんに「あの車追って!」ゆーて」

「そうなの?」


 シャンディ宅に上がり込んだのは琴音と葵生のほか、琴音のマネージャーに就任した凛子と人狼遊戯で世話になったシンガーソングライターの犀川ひふみだ。この中で一番信頼のおける凛子に尋ねると、言いにくそうに答えてくれた。


「私は連れて帰らなくていいのって琴音に言ったんだよ?」

「凛子ちゃん裏切んなよー。一緒に住みたくないって言ってたじゃん!」

「貴女とも住みたくないって言ったの、私は!」

「待って、一緒に住んでるの?」


 視線を逸らした凛子を見るに、どうやら事実らしい。送られてきた《五つの約束》の真相は、琴音が凛子をうまく丸め込んだか騙くらかしたものだということは美琴にも想像がついた。

 それは同時に、琴音がワガママ妹の本領を発揮したということで。


「あのね……。凛子さんに迷惑かけないでよ?」

「ん。その点は平気。凛子ちゃんの仕事には感謝してるよ。飛び膝とか」

「言わないで……」


 マネージャーの仕事についてはよく分からないが、深入りしたらそれこそ「身内の下ネタ」になりそうで、美琴はそれ以上聞くのをやめた。

 ただ、とりあえず凛子の再就職を祝おうにも手放しで喜べない事情がある。ひとつは美琴自身がお祈りの連続である点。そして、葵生。


「おばさんから聞いたよ。葵生ちゃん、内定取り消されたんだよね」


 「ほうなんよ!」と故郷の伊予弁丸出しで、葵生がすがってくる。まるで甘え上手の子犬だ。十数年会っていないので距離感がまるで掴めないが、葵生の方は子ども時代の距離感のままだ。愛媛・松山の穏やかな気風の中、まっすぐすくすく育ったらしい。


「ほやけん、ウチの仕事が決まるまで家泊めて! みこ姉でもこと姉でもええから!」


 無遠慮な性格まですくすく育たなくてもいいのに、と美琴は頭を抱えた。閉口した美琴に代わって、琴音はピシャリと拒絶する。


「私も姉ちゃんも泊めねーっての。就職諦めろとは言わんから、いったん田舎帰りゃいいでしょ。今どきは面接だってオンラインなんだしさ」

「イヤ! ていうか、帰れんの! ママから帰ってきちゃダメって言われとんの、ウイルスのせいで!」

「どうしてまた……」

「田舎は都会に比べて医療体制が充実してないからだよ。都会から帰省した人への風当たりが強くて、私も無理に帰ってこなくていいって言われてるし」


 ため息交じりに語る凛子もまた地方・静岡浜松出身だった。生粋のハマっ子たる美琴には分からない、地方特有の空気があるのだろう。

 となると。葵生が自活できるようになるためには最低限の衣食住と、生活費が必要になる。


「やけんみこ姉泊めて! こと姉と違ってみこ姉は優しいもんね!?」

「事情は分かったけど、ここは私の家じゃなくて……」


 横目にシャンディの様子を窺う。二缶目の《よなよなエール》をタンブラーに注いでいた手がぴくりと止まった。


「黒須葵生さん、でよかったかしら? ちょっとあたしと遊戯ゲームしません?」


 琥珀色の瞳がらんらんと輝いている。それもそのはず。シャンディにとって遊戯とは人間を試すものだ。結果次第で葵生の処遇を決めるということは、この場の葵生とひふみ以外には理解できたことだろう。

 経堂のマンションにアンティッカにも似た緊張感が走った。カーペット敷の床に腰掛け、ローテーブル越しにシャンディと葵生が向き合う。


「みこ姉、この外人さん誰なん?」

「貴女の話し相手はあたしです。シャンディとお呼びくださいな」

「ほえー」


 シャンディは強制的に一対一の空間を作り出す。どんな遊戯を仕掛けるつもりなのかまるで分からない。美琴以下、琴音たちチーム芸能人にできるのは少し離れた場所で見守ることだけだ。


「今からあたし、葵生さんにいくつか質問をします。その結果、プラス五ポイントになればそちらの勝利。マイナス五ポイントになれば《エックス・ワイ・ジー》」

「みこ姉この人なんなん? 何言うとるん?」

「はい、マイナス一点。家主の言うことは素直に聞くものですよ。凛子さん、記録を」

「なんで私なの。まあいいけど……」


 凛子は仕事用のタブレットを取り出して、でかでかと《-1》と表示させる。この表示が《-5》になれば《エックス・ワイ・ジー》、つまり出禁である。ということは《+5》なら、葵生の面倒を見るつもりなのかもしれない。


「さて、遊戯を始めましょう。よろしいかしら、葵生さん?」

「しょーがないなあ……」

「マイナス一点」


 凛子のタブレット表示が《-2》に書き換わった。

 《エックス・ワイ・ジー》の騒動で分かったように、シャンディは基本的には優しいが、礼を弁えない人間には厳しい。葵生が不満げな対応をし続ける限り、マイナスがかさんで遊戯の敗北は確実だろう。

 その時シャンディがどんな態度を取るかは想像できない。想像するのも怖い。


「貴女はなぜ、上京して仕事を探したいのかしら?」

「ウチ田舎イヤやもん!」

「プラス1ポイント。正直な子は好きですよ、ふふ」


 「よしっ!」と葵生がガッツポーズした。凛子の表示が《-1》に戻る。

 ただ、まだ規定のポイントには達していない。勝負はまだ続く。シャンディは微笑みを浮かべたまま、質問を続けた。


「では、どんなお仕事をしたいと考えているのか教えてくださいな」

「ほんなんどうでもええんよ。東京で働けたらなんでもええから!」


 凛子がタブレットを《-2》にしようとした瞬間を美琴は見逃さなかった。が、シャンディはプラスもマイナスも答えず、質問を重ねていく。


「本当になんでもいいのかしら? 世の中にはお仕事がたくさんありますよ? 《13歳のハローワーク》ってご存じ?」

「知らんけどウチ器用やからなんでもダイジョーブ!」

「ふふ。若いですね。プラス1ポイント」


 判定にシャンディの性根の悪さがにじみ出ていた。雲行きが怪しい。

 表示は《±0》。勝負は五分に戻る。そもそも遊戯というよりほぼ面接だ。


「なら今すぐ、求人情報誌や就活サイトで適当にエントリーしてはいかがかしら?」

「それ思ったんやけど、それでウチにぴったりな仕事見つかるんかな?」

「と言うと?」

「ウチ器用やん? それに、みこ姉やこと姉ほどじゃないけど美人やと思うし! ほやったらもっとラクに稼げるええ仕事あると思うんよ」

「ふふ」


 他人事なのに葵生の就活が不安になってきた。視線を合わせた琴音もまったく同じ心境だったようで、「まいったね」と肩をすくめている。

 シャンディはなおも葵生を泳がせる。


「葵生さんの理想の働き方ってどんなものですか?」

「ウチね、私服で働けるトコがええんよ! そんで会社近くのオープンカフェでランチしたい! あと残業はイヤ! 嫌味な上司も居らんとこがいい! それで給料も高くて、仕事もラクなトコ!」

「あら、なら丸の内あたりのOLさんがいいかも知れませんね。スタバのカップ片手に持ちながら洗練されたオフィスを肩で風切って歩きたい?」

「それいい! キャリアウーマンめっちゃ憧れる! こと姉がCMしてる日比谷商事とかで働きたい!」


 葵生は恐ろしいことを言い出した。もちろん美琴は葵生の能力を知らないのだ。あの会社でも上手くやれるくらい器用だという可能性も捨てきれない。

 ただ、日比谷の名を出されるとどうしても――引き合いに出すこと自体そもそも間違いなのだが――早苗の姿が脳裏をよぎる。あの生き馬の目を抜くような仕事人間を知っている手前、美琴は何も言えない。


「ふふ。それなら芸能関係はいかがですか? テレビやラジオ、雑誌や映画、舞台のほか、今はインターネット上も。キラキラしていますよね」

「それもええね! こと姉のいとこってコトで女優デビューできんかな! マネージャーさん!」


 葵生のきらきらした瞳が突き刺さるも、凛子は持っていたタブレットで視線を遮った。下手な期待をさせないオトナの対応だ。気持ちは痛いほど理解できる。


「女優は楽しいですよ? 大勢のお客様に夢を見せて、明日を生きる活力を与えられる素晴らしいお仕事です」


 シャンディの発言に凛子が目を見開いていた。琴音のマネージャーを務める凛子には思うところがあるのかもしれない。


「うんうん! ファンのみんなにチヤホヤされるんうらやましい! ちょっと演技したり歌ったりするだけでええもんね」

「ふふ。そうですね?」

「ほれとアレよね? 欲しいモノ言ったらファンとか会社の人が送ってくれるし! こと姉もなんか貰ったことある?」

「貰ったら貰ったで気疲れすんだよアレ。ホントに欲しいモノはスポンサーの関係で言えないし」

「ほへー」


 琴音はシャンプー、清涼飲料水、保険会社と日比谷のCMに出演しているが、琴音本人はCMの商品を利用していない。本当に使っている競合他社の商品は、スポンサー契約の都合口が裂けても言えない。業界のお約束だ。

 そんな琴音の意図を汲めなかったのか、葵生ははてなマークを空中に散らしていた。


「分かりました。葵生さん、プラス5ポイントです」

「え!?」


 凛子の声が響く。気持ちはその場全員が同じだろう。シャンディが葵生のどこを評価したのかまるで分からなかった。


「シャンディさん。それって……」

「ごめんなさいね、美琴。二人きりの蜜月はちょっとおあずけ。あたしこの子なってしまったので」

「ウチの勝ちってことは泊めてくれるん!?」

「ええ。美琴の部屋を使ってくださいな。美琴にはあたしの寝室で寝てもらいますので」

「マジかシャン姉……」

「……本当に面倒見る気なの?」


 凛子の問いかけに、シャンディは「ええ」と短く切って答える。


「ついでに就職の斡旋もしようかと」

「やったー! これでウチも都会人やー! ねえウチも餃子食べていい?」

「たーんとお食べ。ビールもどうぞ」


 勝利の喜びにぴょんぴょん跳ね回る葵生の一方、仕掛けた遊戯に敗北したにもかかわらずシャンディは不気味に微笑んでいた。


 *


 同日、経堂。

 シャンディの意図が分からないまま、琴音たちは葵生を置いて横浜へ帰っていった。葵生はさっそく美琴の部屋にスーツケースを広げて自分の空間に変えている。


「みこ姉シャワー借りるねー!」

「はいはい……」


 ご機嫌にも鼻歌交じりで風呂場へ消えた葵生を見送って、美琴はリビングのソファに崩れ落ちた。シャンディの白い太ももを枕に、公共放送の気が滅入りそうになるニュースをぼんやりと眺めることしかできない。

 こうした触れ合いは、葵生の前ではできなくなる。


「あらあら。美琴は二人きりになれなくて寂しいのかしら?」

「そりゃあ……まあ……」

「別に気にしなくてもいいでしょう? 見せつけてあげればいいんですよ。壁薄いですし」


 それこそ「身内の下ネタ」というヤツで、いたたまれない気分になる。葵生に声を聞かれるのは避けたい。


「……それは論外として。ていうか就職の斡旋ってどうするの?」

「ええ。実は早苗さんに連絡を取りまして。葵生さんをインターンに連れていって貰うよう頼んだんですよ。美琴さんを付き添いで」

「早苗さんの仕事ぶりを見せる、と……?」

「ええ。これ以上ないキャリアウーマンのロールモデルだと思いまして」


 シャンディはくすくすと鈴を転がすように笑っている。その声色に、若干の毒気が混じっていることを美琴はすぐに見抜いた。


「早苗さんのお仕事を見学した後は、琴音さんや文香ちゃんにも協力いただこうかと。あたしの仕事ぶりを見せられないのは残念ですが」

「一流の仕事ぶりを間近で見せて心を折る気でしょ。性格悪いよね……」

「まあ、そうとも取れますねー?」


 シャンディは否定しなかった。ようやくにして遊戯の意図が浮き彫りになる。


「ずっと泳がせてたでしょ、葵生ちゃんのこと? 私も世間知らずだなとは思ったけど、あの年頃はみんなあんなものだよ?」

「だからこそですよ。お仕事は楽しくもあり、大変なものでもある。あの考えでは遅かれ早かれ心を折られてしまいます」

「だから先に折るって?」


 膝枕に収まったまま、ちらりとシャンディの顔を見上げる。白磁の肌には不気味な笑みが浮かんでいた。

 が、これもシャンディの照れ隠しなのだろうと美琴は思う。


「……ホントは、葵生ちゃんがちゃんとやりたい仕事を見つけられるように、いろんな仕事を見せてあげたいってトコ?」

「あたし、そんなに聖人君子じゃありませんよ? 実際、二人暮らしを邪魔されて結構イライラしていますし」


 美琴の膝の上で、ミモザが「シャーッ!」と鳴いていた。それでもシャンディは、どこまでもオトナの対応をしてみせている。自分ばかりか身内の面倒まで背負わせてしまっていることが申し訳なくなるばかりだった。


「それに葵生さんは、今の美琴に似ているんです。葵生さんは自信過剰、美琴は自分を安売りしている点は大きく違っていますが、のは同じ。見捨てるなんてできませんよ」

「充分、聖人君子だよ。女神様って感じ」

「どうぞ、存分に崇めてくださいな。お供えものはキスでいいですよ?」


 頭を持ち上げ、美琴はシャンディの華奢な身体を抱き留める。餃子のニンニクの香りがしたが、どうせ誰に会うワケでもないので気にしない。そのまま長い口づけをする。


 美琴が甘えたら甘えただけ、シャンディは甘やかしてくれるだろう。自らの足下が不安定な美琴にとって、それはとても嬉しくてありがたいことだ。だが同時に、シャンディに負担を強いたくはない。たとえ美琴を飼うことがシャンディの望みだったとしても、美琴はあくまでも対等でいたい。純粋な稼ぎの多少ではなく、それこそ、明治文具で企画と戦っていた頃のように。


 美琴は唇を離した。間近にある琥珀色の瞳は、すべてを包み込む月の光のように柔らかく美琴を見つめていた。


「企画、か……」

「ふふ。何かが見つかればよいですね?」

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