#43 : Pousse Cafe

 六本木はずれにある恋敵シャルロット・ガブリエル――源氏名シャンディの店、アンティッカ。入口そばの暗闇を仕切るカーテンをくぐった向こうから彼女――黒須美琴の声が聞こえた。


「なんだ琴音か」


 普段とは違う気の抜けた声色。それだけでドキリとする。


「座席、空いていましたよ。せっかく来たんですから、飲んでいきましょう?」


 その彼女の妹、黒須琴音はイメージ通りの声で凛子を呼ぶ。

 凛子は自身の鼓動を抑えられなかった。騒ぎ立てる鼓動はとても早く、沸き上がる感情も様々にほとばしる。

 琴音は言った、想い人たる美琴は同棲を始めた。秒読みだ、と。


「……本日は桃の香りですね。いらっしゃいませ、凛子さん」

「…………」


 察しと諦めの悪い凛子でも、そろそろ引き際なのは理解していた。それでもそう簡単に自身の恋心にトドメを差すことはできなかった。


 黒須美琴を愛したい。悪辣な夜の女シャンディの魔の手から守りたい。

 だけど美琴は悪夢から醒めないばかりか、より深いところへ堕ちている。


「貴女を追い返すつもりはありません。歓迎しますよ」

「……どの口が言ってるの。同棲だなんて聞いてない」

「それが恋愛ラブ遊戯ゲームというものです」


 暗闇の中、シャンディの声だけが聞こえる。沸き上がって破裂しそうな怒りを握り拳に留めて、静かに告げる。


「遊びで恋愛やらないでよ。私は本気で美琴さんが好きなのに」

「あたしも本気ですよ」

「ウソ」

「本気で美琴さんを愛しています」

「ウソだよ」

「美琴さんになら、秘密を話してもいいとあたしは思っています」

「ウソだって言ってよ……!」


 信じられない。信じたくない。


「……信じて。あたしの秘密、貴女にだけ教えるから」


 暗闇の中で、懐中電灯が灯った。白いLEDの光が、青白い彼女の手元を照らしている。

 運転免許証だ。照らされた小さなカードに示された情報は、いずれも美琴が知らないものばかり。顔写真や住所のみならず、シャンディの本当の名前、生年月日がハッキリと、ウソもごまかしもなく印字されている。

 その名には覚えがあった。


「じゃあ貴女は……!」

「ふふ、嬉しい。だったらこの先は企業秘密。二人だけのナイショ話」

「でも貴女はもう死んで――」


 凛子の反応を愉しむように、シャンディはくすくす笑った。


「カーテンの向こうへどうぞ。皆さんがお待ちですよ」


 告げて、シャンディはカーテンの向こうへ消えた。

 シャンディの秘密の真相までは、凛子には理解できない。だが、秘密を凛子に告げたということは――シャンディの発言にウソはないと凛子にも断言できる。


「ズルいよ。そんなの絶対、美琴さんに話せない……」


 シャンディへの毒気を抜かれ、凛子は力なくカーテンをくぐった。


 *


 凛子が以前訪れた時と違って、薄暗い店内は活気に満ちていた。五名がけのカウンター席は埋まっている。壁際から美琴、凛子の知らない背丈の低い女性――早苗と言うらしい。その隣にはマーベリックの個室バーで共に飲んだ董子、琴音の順。

 琴音の隣に腰を落ち着けた凛子は、言葉を見繕う。シャンディから浴びせられた強烈な牽制に触れない程度に、一番離れた美琴に告げた。


「黒須さんの住んでる町田って、住み心地はどうかな? 私もちょっと興味があって」

「ああ、うん。いいところだよ。ほとんど神奈川の相模原市って感じだけど」

「そうなんだ。実は引っ越ししようかなって考えてるの。町田に越したら、お店とかいろいろ教えてくれる?」

「任せて。詳しいから」


 白々しい美琴の言葉が、凛子の心をへし折ろうとする。ウソをついてまでシャンディとの同棲を隠すのは知られたくないから。あるいは、凛子自身が傷つかないように気を遣われているのかもしれない。


 美琴の優しさはいびつだ。

 趨勢はすでに決しようとしているのに、未だに自身を繋ぎ止めようとしている。「ハーレムにくわえる」なんて言ったところで、甲斐性を見せようとしない。釣った魚にエサをやることを忘れている。

 美琴はきっと、破局を伝えて――脈がないことを伝えて凛子が傷つくことを恐れている。凛子が悲惨な恋愛をしたと伝えてしまったからだ。その表面的な優しさや思いやりが、どれだけ凛子を傷つけているか。燻った恋心にトドメをさせないでいるのか。想像すればすぐに分かりそうなことなのに。


「ところで琴音さん。凛子さんとはどういったご関係で?」


 シャンディの質問に、凛子は言い淀む。綺麗な体になって美琴と向き合うと誓ったのだ、100万で買われたなどとは言えない。辞めた後もずるずると風俗を続けていると受け取られてしまう。

 口を開いたのは琴音だった。


「や、ナンパした」

「ナンパ」冷たいトーンで早苗がそっくりそのまま聞き返す。

「正確には握手求められてさ。ファンって口堅いから手出してみよっかなって思って芸能人ヅラして連れてきた。騙してごめんね、凛子ちゃん。私オンナもいけるから。逃げるなら今だよ」


 琴音はしれっとウソをつく。自分の評判を落としてでも凛子を庇おうとしているのかもしれない。


「ううん、大丈夫。このお店には来たことあるから。黒須さんも居るし」

「私も黒須なんだけどなー」


 椅子の背もたれに身を預け、琴音はへらへら笑っていた。やはり黒須琴音のイメージには相応しくない。それでも今の琴音は、ウソをついて不作法な女を演じて、振る舞っている。

 凛子がかつて憧れた役者という職業。その舞台で培った演技力で存在感を放っている。


「すみません。先ほどの……オンナもいけるというのは事実ですか」

「心配しないで。公表するつもりないから、御社の評判落とすこともないよ」

「お気遣いありがとうございます、とは言いたくありません。ただ立場上そう言わざるを得ないのが正直なところです。ごめんなさい」

「ま、しょうがないって。気にしない気にしない!」


 早苗は、美琴の出向先――日比谷商事の人間だ。CMに起用した広告塔たる黒須琴音が突然カミングアウトすれば社会は騒然とするだろう。日比谷にはいいイメージも悪いイメージもつくことになる。当然、それは琴音自身にも波及する。

 逆に言えば琴音は、それだけのリスクを背負って凛子を庇うために告白したのだ。すべてウソの演技かもしれないが、込められた優しさは凛子にも分かる。


「でさ、姉ちゃん。私ちょっと面白い遊戯を思いついちゃってね? 凛子ちゃん借りていい?」

「あんまり白井さんに迷惑かけないでよ? あんた昔もって言って、私の彼氏のことボコボコにしたじゃない……」

「私と姉ちゃん区別できないようなヤツが姉ちゃんのこと幸せにできる訳ないっしょ。せめて初見で見抜いて脅しまでかけてきたシャン姉くらいじゃないとさ」

「あらあら、公認を戴いてしまいましたね?」


 琴音も、美琴にはシャンディの方が相応しいと思っているらしい。実妹の目からでもそう思われているという事実が、凛子の心に重くのしかかる。

 だが、琴音は続けた。


「でもさ、姉ちゃんには凛子ちゃんもいいんじゃないかなーって思うんだよね」

「え……」


 凛子の口は思わず動いた。薄明かりの中、隣に座る琴音がニヤリと笑う。

 感情が読めない、女優・黒須琴音の顔だ。何を考えているか分からない。


「あのね琴音――」

「凛子ちゃんはさ、あのバニーガールが姉ちゃんだって即見抜いたんだよ? 理由としては充分じゃん」

「だからそれは……」

「何? なんか文句あんの?」

「白井さんに悪いでしょ」


 美琴の言葉尻が小さくなる。隠し事をしている。凛子に遠慮している。

 二年間温めてきた同僚の関係性は、あの告白で壊れてしまった。自らに課した禁を破って告白した、報いなのかもしれない。それが凛子の心を締め付ける。


「ん。凛子ちゃんに悪いね。悪いけど。でも私、姉ちゃんのこと超ソンケーしてる悪い女だからさ。ハッキリさせたいじゃん?」


 琴音の声色に、わずかに熱がこもっていた。どこか怒りを抑えようとしている。ひりついている。


「ふふ。それで? 凛子さんとどんな遊戯をなさるおつもりかしら?」

「私、凛子ちゃんを姉ちゃん好みにプロデュースしようと思ってんの。姉ちゃんに相応しい女になるようにさ」

「琴音、さん!? 何を言って……!」


 凛子の言葉など無視して琴音は告げた。


「私って昔から姉ちゃんのモノマネ得意じゃん? だから凛子ちゃんには、私を黒須美琴だと思って恋愛の練習をしてもらうんだよ。お互いに秘密教えあってさ」

「何言ってんのよ琴音……」

「姉ちゃんになりきって教えてあげるんだよ。姉ちゃんの下着の趣味とかオナニーする頻度とか、恋人にだけ見せる顔とか。そーゆーのぜーんぶ、女優の演技力で教えて、鍛えてあげようと思って」

「あ、あんたいい加減に……!」

「美琴さん?」


 美琴の発言をシャンディが遮る。そして凛子の座席の正面に歩み寄って、シャンディはひどく真面目なトーンで告げた。


「凛子さんは構わないんですか?」


 琴音以上に、この女の真意は掴めない。

 琴音との恋に堕とさせて、美琴を奪っていくつもりなのかもしれない。が、それならばもっと勝ち誇ったような笑みを見せてくるはずだ。なら、琴音の指導で美琴好みの女になった自身に、美琴を奪われることを恐れているのだろうか。それは――おそらくあり得ない。

 凛子は考えるのをやめた。あゆる店長に連れられた時から怒って無理して笑って泣いて、混乱しっぱなしだ。


「もういいよ! 全部任せる!」


 昔からこんな癇癪を起こしてばかりいる。その癖が今回も出てしまう。それがどんな意味なのか、この時の凛子には分からなかった。


「つーワケで凛子ちゃん借りるね。シャン姉がうらやむくらいのいい女にしてあげっから」

「ふふ、悪い女だこと」

「そっちもね」


 琴音とシャンディは幾重にもウソを塗り固めた笑顔で目配せしあった。そもそも腹の底を探り合う会話が嫌いな凛子には、どちらの真意も分からない。

 凛子の脳裏にあるのはシャンディが晒してきた強烈な秘密と、これから推しの黒須琴音を相手に始まることになる遊戯への憂鬱さとほのかな期待だけだった。


「あの……お酒飲みたいんですけど……」


 ひりついたやりとりにしびれを切らしたのか、カウンター席のど真ん中に座った董子が怖ず怖ずと手を上げる。ずっと居心地が悪かったのだろう。


「ごめんなさいね、こっちの事情に巻き込んでしまって。お詫びも兼ねて、皆さんに一杯ご馳走します」

「琴音の分は要りませんから!」

「なんでだよー。飲ませろよー」

「そうスネないでくださいな、美琴さん? あたしからの祝杯でもあるんですから」


 見せびらかすようにシャンディが美琴を柔らかく嗜める。どうあっても美琴には――いや、シャンディには届かない。彼女の秘密を知ってしまった今となってはなおさらそう思う。


「では、今宵はあたし達6人の出会いと、赤澤さんとかいうワルーイ女との対決を前に親睦を深める一杯をお作りいたしますね」


 シャンディは笑顔で告げた途端、ウソのように真剣な表情をする。取り出したるは胴の細いグラスだ。どうせあのグラスも、落とすと死ぬほど高いのだろう。壊してやりたくなる。


「これからお出しするカクテルの名は《プース・カフェ》。あたしも滅多に作りませんし、オーダーを戴くと正直うんざりしちゃうくらい手間のかかる一品です」


 《プースカフェ》。

 「コーヒーを押し出す」という名前の由来通り、マッチするのは食後のコーヒーを愉しんだあと。シャンディの言うとおり、数多のバーテンダーをうんざりさせてしまうのは、その製法にある。


「《プースカフェ》は、混ぜないように作らなくてはならないカクテル。美琴さんはご存じですよね?」

「ええ。インスタ映えしないことでおなじみのアンティッカでお目にかかる機会があるとは思いませんでした」

「それくらいあたしも、申し訳なさを感じているということです」


 ちらりとシャンディが凛子を見る。反射的に「どこがだ」と言ってしまいそうになるのを抑え、彼女の手元を――くやしいが――見つめた。

 氷で冷やされた六脚のグラスを前に、柄の長いスプーンを弄んでいる。


「まずは深紅のグレナデンジュース。最初は楽なんですよ、グラスには何も入っていないので、混ざる心配は必要ありませんから」


 六脚のグラスに等量、深紅が注がれる。が、量が少ない。後から氷を入れてかさ増しでもするつもりなのだろう。せこい店だ、と凛子は思う。


「ここからが本番です。お次はミント・リキュール」


 シャンディの目の色が変わった。バースプーンを伝わせ、緑色のミント・リキュールをじれったいほどゆっくり注いでいく。注がれた緑は、最初に注いだ深紅とは混ざり合わない。ゆらゆらと揺れる境界線は、水に油を入れたときのように綺麗に分離している。


「わー、早苗見て見て! すごく綺麗!」

「私は飲めないと言ったはずですが……」

「あたしのお酒が飲めないと?」

「毒でも入っているかもしれません」

「毒でも入れたことがあるような物言いですね?」

「そういえば毒殺しましたね、三人ほど」

「ふふ」


 シャンディと早苗の間で、おぞましいブラックジョークが飛び交っている。凛子は心の中で密かに早苗を応援した。敵の敵は味方だ。

 深紅と緑の二層のグラスが六脚、カウンターの前に並んでいる。これで終わりだろうと凛子が思った瞬間、シャンディはまた別の瓶を取り出した。


「まだやるの!?」

「ええ、あと三層です。お待たせして申し訳ありません」

「シャン姉もよくやるよね。バーテン歴何年?」

「何年だと思います?」

「またこれだ」


 シャンディはあくまでも、秘密を話す気はないらしい。ただし、凛子が伝え聞いた秘密によれば、彼女のバーテン歴は自ずと想像がつく。


「……仕事は真剣なんだね」

「あたしの努力、お分かり戴いたようで嬉しいです。凛子さん」


 「続いてマラスキーノ」と語り、今度は無色透明からやや白濁したような液体を注いでいく。手つきは二層目より慎重だ。それもそのはず、ここで油断してしまえば、これまでの努力は一瞬で潰えてしまう。それが都合、あと二層続く。

 六脚のグラスは三層目まで注がれた。シャンディはふうと息を吐く。


「四層目は黄色のシャルトリューズ。参ります」


 先ほどの透明な酒の上に、やはりゆっくりと黄色の液体が注がれた。瓶から流れ出た酒をバースプーンの背で受け止めてクッションにし、じわじわと境界線を作っていく。


「どうして混ざらないか分かりますか、美琴さん」

「え、慎重に注いでいるからじゃないんですか……?」

「ふふ。まだアンティッカは預けられませんね。他に分かる方は?」


 シャンディにナメられたままでいるのはイヤだった。凛子は真剣に理由を考えてみることにする。慎重に注ぐのが理由ではないとすれば。

 凛子はアロマオイルをブレンドする時のことを思い出した。精油と一口に言っても、香りによって比重が違うと前に本で読んだことがある。


「比重が――」

「比重が重いものから注いでるからだよね?」


 早苗の解答に被さってしまって、凛子は軽く会釈して謝った。憮然とした表情を浮かべる早苗を見て、少し後悔する。せっかく敵の敵は味方だったのに悪いことをしてしまったかもしれない。


「正解です、凛子さん。バーテンダーやってみますか?」

「やりません」

「よく分かったね、白井さん」

「ホント? えへへ……」


 美琴に褒められると、つい舞い上がってしまう。隣でニヤニヤ笑っている琴音に背を向けていると、シャンディは大きく息を吐いた。

 四層目が終わったのだろう。いよいよ仕上げにかかる。


「泣いても笑ってもこれが最後、五層目です。あたしの代わりに注いでくれる方はいらっしゃいますか?」

「ぐちゃぐちゃにしていいならやるよ!」

「美味しく召し上がれなくてよいのなら構いませんよ?」


 くすくす笑って、シャンディは茶色の瓶を持ち出した。


「最後はもっとも比重の軽い琥珀色のブランデー。これを等量注ぎます。今あたしを邪魔した人は、問答無用で《エックス・ワイ・ジー》です」


 瞳に静かな光が宿った。スプーンの背を琥珀色の液体が伝っている。黄色い四層目の上、たゆたう境界線はハッキリとその姿を現す。


「長らくお待たせいたしました。交わるようで交わらないあたし達をイメージした《プースカフェ》でございます。ストローでお好きな層からお楽しみくださいな」


 「ふう」と息をついてシャンディは肩を揺らしていた。相当に緊張していたのだろう。カクテルに対して詳しくないし興味もなく、どちらかと言えば嫌いになりつつある凛子でも、その大変さは見ているだけで伝わった。

 深紅、緑、透明、黄色。そして最後には琥珀色。五色の層が織りなす幻想的なカクテル《プースカフェ》はまるで、この場六人を象徴しているようだった。


「あら、一人足りませんね」

「いえ、六人分しっかりお作りになったじゃないですか」

「違いますよ。六人なのに五層だと、ひとり仲間はずれになっちゃうじゃないですか」

「貴女が仲間はずれでいいでしょ」


 凛子が即座に告げると、シャンディはわざとらしく「おいおい」と泣き真似をする。つくづく癪に障る女だ。


「どうすんのシャン姉。こっからもう一層足す?」

「そうですねえ。ブランデーより比重が軽いとなるとドライ・ジンくらいですが、透明ですし……」

「ねえ早く飲みたい! 私が仲間はずれでいいから!」

「悲しいこと言わないでください、董子。飲まないので私が外れます」


 周囲が幻の六層目についての論争を繰り広げている間、凛子は誰がどの色なのかというどうでもいいことを考えていた。

 凛子の肩に手が添えられる。壁際の特等席を外れた美琴のものだ。


「白井さんは、誰がどの色だと思う?」

「あ、私も同じこと考えてたんだけどね」

「聞きたいな、白井さんの解釈」


 楽しげな美琴の声色に、心を揺らされる。好きなのに、叶わない恋。そう分かりかけているのにこんな態度をされるから、また恋心が芽吹いてしまう。


「一番下の深紅は、琴音……さんかな。真っ直ぐで熱い感じ。緑はなんとなく早苗さん。落ち着いてるから。真ん中の透明なのは白だから私。黄色は明るい董子さんっぽくて。一番上の琥珀色は……」

「あたしですね?」

「……それでいいです」

「つまり仲間はずれは美琴さんです。はい、《エックス・ワイ・ジー》」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよシャンディさん」

「冗談ですよ。ね、凛子さん」

「う、うん! もちろんだよ黒須さん! 私、黒須さんのこと仲間はずれにしたいなんて思ってないから」


 当初の腹を探り合うギスギスした雰囲気は、シャンディがカクテルを作り出した途端、霧散していた。

 以前シャンディが言っていたことを思い出す。


『あたし達プロのバーテンダーは、美味しいカクテルを作るだけではなく、綺麗な内装やお高いグラス、洒落の効いた言葉で、カクテルのある時間を愉しんでいただくことも仕事のうちですから』


 バーテンダーの仕事だから、ここまでのことをやってしまえるのだろうか。

 それともこれはシャンディの――人を喰ったようなナメた態度ながらもうまく愉しませる人柄によるものなのだろうか。


 どちらにしても、凛子には出来そうもないと思う。

 そしてこんな女が相手なら、自分には勝ち目などないのかもしれないと思う。


「全然ダメだ、私……」

「あはは。気にすんなってー」


 話を聞いていたのか適当なのか、今度は琴音にバンバン肩を叩かれた。

 同じ黒須の苗字と血を分けた姉妹でも、二人はまるで違う。凛子の心には暗澹たる思いが募るばかりだ。


「ああ、名案を閃きました! 美琴さんを仲間はずれにしない方法がありますよ」


 シャンディは冷蔵庫から真っ赤な果物を取り出す。ナイフで一筋切れ目を入れて、六脚のグラスの縁に刺していく。


「それは何?」

「マラスキーノチェリーです。ね? 美琴さん」

「うぐ……」


 マラスキーノチェリー。チェリーというくらいだから、サクランボなのだろうが、美琴の反応がわかりやすく鈍っていた。


 ――美琴さんはサクランボが好きなのかな?


「はい、今度こそ完成です。それでは――」


 グラスを持ち上げると層が崩れてしまう。シャンディの指示もあって、アンティッカに居合わせた六人はグラスの脚だけ持って、声を揃えた。


「乾杯」

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