#21 : Black Velvet / ep.3

「あの! 私アドホリック新入社員の高橋麻里奈と申します! 本社企画部の方に、企画について伺いたくて!」


 高橋麻里奈。美琴が演じるピカピカの企画一年生だ。役作りに悩んだ美琴は結局、白井凛子の姿をイメージして容疑者に接触することにした。

 三名はすぐに見つかった。会場の壁の花になって、まとまって固まっている。


「うわー、キラッキラでまぶしー!」


 告げたのはライフスタイルに強みを持つ寺門仁美。さばけた印象を受けるショートヘアの女性だ。

 その後に続いてスポーティーな青年・上島と、落ちついた肥後が苦笑しつつ語る。


「つっても、逆にオレ達の方が聞きたかったくらいすよね、肥後さん」

「まったくだね。悪いけど僕達は、もう企画部に席はなさそうだから」

「それー! だから参考にならないんだよね! 悪いね、新人ちゃん」


 ほぼ今後が決まっているからなのだろう、三名は清々しいほどに自らの異動を笑い飛ばしていた。企画を盗んでまで部署に残る熱意があるようには見えない。


「あの、皆さんは仲がいいんですか?」

「僕は二人の上司だからね。残念ながら部下の才能は引き出せなかったけど」

「ホントですよねー。でもまあ、届かなかったのはウチ自身のせいですし」

「だな、肥後さんの下でやれてよかったすよ。ダメだったけどね」

「慰めるか貶すかどっちかにしてほしいなあ」


 三名は笑っていた。結果が伴わず解散の憂き目に遭ってしまう割に、関係は良好だったのだろう。美琴のチームとは大違いだ。


「だから新人さんにアドバイスするとしたら……そうだね……」


 肥後はしばらく唸った。「早く言え」と部下達から煽られた末に出てきたのは、まったく関係のない――


「とりあえず、チームメイトとは仲良くしようね」


 *


「首尾はいかがでしたか、麻里奈さん?」

「それがですね……」


 会場の隅。談笑する人々から離れたソファに座り、美琴はシャンディに三名と交わした内容を伝えた。ソファに座って飲み物を作る様子は、バーテンダーというよりキャバクラ嬢だ。


「なるほど。聞き出せず、すごすご退散してきたと」

「どうにも違う気がしまして……」


 美琴は遠くを見る。三名は先ほどの場所から動くことなく、和やかに談笑を続けていた。目が合った寺門に手を振られたので、美琴も手を振り返す。

 同じように彼らの様子を眺めてシャンディが告げた。


「演技かもしれませんよ? チーム一丸となって企画を盗んだとか」

「そんな人達に見えますか?」

「あたしは人を見たら泥棒と思うことにしていますので」

「人間不信もここに極まれりですね」

「ええ。貴女のことは信じたいと思っていますけれど」


 瞳を満月のように見開いたシャンディに見入られた。絶対にウソはつかせないという圧を感じて、美琴は懲りたとばかりに肩の力を抜いた。


「私も信じたいですよ、自分のこと。企画屋としての能力とか、チームのこととか、将来のこととか。それに……」

「あたしを愛せるかどうか、とか?」


 シャンディに探られる腹はもう残ってない。美琴の不安や悩みはほとんど吐き出してしまったのだから。


「お察しの通りです。あいにく私には子どもじみたところがあって。貴女に釣り合う人間ではないと感じています。つまらない悩みだと笑うでしょうけど」

「ええ。あたしはそんなこと気にしませんから」

「…………」


 胸が痛んだ。それでは、余裕のあるシャンディに負担を強いてしまうだけだ。

 美琴にはまだ、董子ほど覚悟ができていない。愛する人と釣り合っていないと悩みながらも、愛する人に求められるままに振る舞うことを幸せに感じられるほど、人間ができていない。


「ははあ。あの二人に何か吹き込まれましたね?」

「そんなところです。董子さんが早苗さんに向けているように、貴女を愛せる自信がなくて」

「ふふ。本当につまらないことで悩んでらっしゃいますね。愛し方なんて人それぞれなのに」


 シャンディはころころと笑ってみせる。それが自身に対しての優しさであることは美琴にも分かったが、だからと言って凝り固まった考えはそう変えられない。


「……ですが、嬉しいですよ?」

「こんなに悩んでいるのにですか?」

「真剣に考えてくださっているから悩むんです。そんな貴女だからこそ、あたしはと言ったんですもの。人と人との絆が、いて上手くいった試しなどこの世にはないですから」


 シャンディは珍しく、自嘲するように微笑んだ。

 思い出されるのは、アリスとチェシャ猫の話だ。

 もしかすると彼女はずっと、急いてしまった過去を後悔しているのかもしれない。ならば、それも受け止めてあげたい。

 美琴は背筋を伸ばした。


「ええ、お待たせして申し訳ありません。以前のデートを超えるシチュエーション選びに難航しておりまして」

「日時と覚悟が決まったら教えてくださいな。休日は空けておきますので」

「愉しみにお待ちください。それと。これだけは今、伝えます」

「何かしら?」


 ゆっくりと息を吸い込んで、美琴は本心を吐き出した。


「貴女の優しさは、ちゃんと伝わっていますから」

「…………」


 シャンディは咄嗟に、ソファに置かれていたクッションで顔を隠した。意地でも顔色を窺わせないつもりだろう。イタズラの一つでもしてやろうかと思ったが、今はそれどころじゃない。

 デートより何より、その前にやらねばならならないことがある。


「シャンディさん、遊戯ゲームをしましょう。私と貴女のチーム戦。企画泥棒を捕まえたら勝利です」

「初めての共同作業ですね。ふふ、腕が鳴ります」

「では推理を……! といきたいところなんですが……」


 美琴は項垂れた。


「……やはり、あの三名が犯人であるとは思えません」

「あらあら。背伸びして意気込んだのにすぐ元に戻っちゃいましたね?」


 眉をハの字に曲げて苦笑された。

 手持ちの情報と美琴の観察力では、犯人捜しなど夢のまた夢だ。シャンディや早苗のように相手の腹を探るほどの洞察力も胆力もない。


「仕方がありません。今宵のあたしは勝利の女神。推理をたっぷり聞かせてあげます」


 「続きは静かな場所で」と告げられ、美琴はシャンディを連れて例の控え室へ舞い戻った。ミニバーから持ってきたジンジャーエールをグラスに注ぎ、シャンディは琥珀色の瞳を輝かせる。

 遊戯に集中している時の彼女の顔は、この世の誰よりも美しかった。


「美琴さんの読み通り、あの三名は犯人ではないでしょう」


 シャンディはメモ用紙に描いた三名の似顔絵を指差しながら続ける。さしものシャンディにも絵心はないらしい


「理由は単純、美琴さんがそう思ったから」

「それは推理ですか……?」

「三名は異動を確信していたんですよね。盗んだ企画が選考に残っていたらこんな反応はしませんよ。ウソをつくメリットだってありませんし」


 言われてみればその通りだ。あの気持ちのよいチームを疑わずに済んで、美琴は胸をなで下ろす。

 だがそうなると、容疑者は残る三十六名の中に居ることになる。


「となると、あの二人が頼りですね……」

「ええ、癪ですけど。何か他に言ってませんでした?」

「『チームメイトと仲良くしよう』くらいですよ」

「はー。誰でも言えそうな言葉ですねー」


 右肩に、シャンディがもたれてくる。彼女の体温とオレンジの香りが肩越しに伝わった。


「美琴さんは、例のピーチ・レディとは仲良くしているのかしら?」

「仕事上は、です。チームの話で言えば、面倒な女が増えましたけれど」

「また新たな女の影ですか。前途多難な恋路ですねえ」


 美琴の部下に収まることになった、営業・青海椎菜。「忙しいから見ない」と宣言されたが、彼女にはデジタルメモの資料を都度送っている。日比谷側に企画が漏れるとしたら、椎菜が原因としか考えられない。

 美琴は気づいた。


「ちょっと確認します」


 時刻は午後八時前。終業時刻をとうに過ぎている。プライベートな時間まで彼女と付き合いたくはないが、背に腹は代えられない。

 椎菜に電話をかける。数コールほど待つと、死ぬほど不機嫌そうな声が聞こえてきた。


『何よ』

「すみません青海さん、少々お時間よろしいでしょうか。どうしてもご確認いただきたいことが――」

『あーもう、その慇懃無礼な話し方やめてくれない!? 用件だけ言って!』


 電話口でギャンギャン喚く椎菜に毒気を抜かれた。聞き耳を立てていたシャンディのため、スピーカーフォンに変える。


「じゃあ教えて。私の送った企画資料、日比谷にメールした?」

『当然でしょ! アンタが前に寄越したモックだって送ってるわ!』

「担当者の名前分かる?」

『企画部の肥後! あと、CCで部下の上島と寺門! 私が仕事サボってたとでも言いたいワケ!?』


 ヒステリックに叫ぶ椎菜の抗議は、美琴の耳には届かなかった。

 椎菜が企画を送った三名は、美琴が取り調べをした三名だ。つまり担当者が、偶然にも企画を欲しがっていた三名ということになる。


「本当に偶然……?」


 企画部では四十名が働いている。なかには先の三名よりも盗まれた企画に向いたガジェット担当の社員も複数在籍しているのだ。そんな者を飛び越えて、どうしてあの三名が企画の担当者に選ばれたのか。


『はあ!? 何言ってるか分かんない! もう切るわよ!』

「待って青海。企画を送ったのは三人だけ? 他に誰も送ってない?」


 椎菜は機嫌悪そうに唸った。沈黙を埋めるように、活気に満ちた「いらっしゃいませー」の声が聞こえてきた。居酒屋にでもいるのだろう。

 メールログを調べ終わったのだろう、椎菜は鼻で笑った。美琴は一瞬ムカついたが聞き耳を立てる。


『いいこと教えてあげる。企画部にメールを送る時は、本部長にBCCして送るって社内規則があるらしいわ。ま、アンタには縁のない話だろうけどね』

「いいえ、そのような内規はありません」


 早苗の声だ。控え室に現れた柳瀬妻妻ふさいが、電話口の青海と軽く挨拶を交わす。

 美琴は早苗に尋ねる。


「今の話は本当ですか、早苗さん」

「ええ。本部長が独断で行っているのでしょう」


 電子メールには主だって3つの宛先指定方法がある。

 TOは最低ひとつ必要で、CCはまったく同じ内容を複数人に送ったり、送受信の証拠カーボンコピーを残す目的で使用される。

 BCCはコピーするという点ではCCと変わらないが、最大の特徴は受信者が秘匿されるブラインドこと。BCCで指定された宛先は、他の受信者には分からない。


「つまり、本部長も青海のメールを受け取っていた。しかも、三名には気づかれずに」

「ああ、そういうことですか……」


 何らかの結論に辿り着いたのだろう、美琴に答えた早苗が力なく床にうずくまった。心配して駆け寄った董子に背を抱かれている。


「見えましたね、美琴さん。この事件の真相が」

「え、じゃあもしかして犯人は……」


 シャンディはニヤリと微笑んだ。


「そうです。犯人は、いかにも怪しい三名にも企画を受け取らせたんですよ。自分が疑われないために」

「……辻褄が合います。私に依頼したのは、犯人をでっち上げさせるため。彼らは首切り対象、居なくなったても痛くもかゆくもない」

「あやうく犯罪の片棒を担ぐところでしたねえ、柳瀬早苗さん」

「…………」


 早苗の瞳から、光が消えていた。胡乱に見開かれた眼の奥には、猛烈な怒りの炎が燃えたぎっているように美琴には感じられた。


「さて。依頼者が張本人だったとなると、ここはやはり忖度かしら? 組織の飼い犬さん?」

「勘違いしないでください。私の目的は出世であって、クズ共と仲良くすることじゃない。それに、クズの始末には慣れています」

「落ちついて、早苗。昔の顔になってる」

「……落ちついています」


 早苗はスマホで方々に連絡を取りながら続けた。


「申し訳ありません、黒須さん。もう少々お付き合いいただいて構いませんか。クズを始末するためにはお力添えが必要です」


 早苗の剣幕に呑まれかけたが、美琴は自らの意志で返答した。

 企画泥棒を捕まえて、自らと明治文具の嫌疑を晴らさなければならない。


「ええ、私にできることなら」

「ありがとうございます。お手間は取らせません」

「お呼びですか先輩」


 控え室に呼びつけた部下・飯田が現れるや否や、早苗は用件だけ伝えた。


「飯田くん。私が合図をしたら重役会議に乗り込んで、本部長が企画を盗んだと伝えてください。訴訟になればこちらに勝ち目はないとも」

「は!? そんなの僕には無理ですよ!?」

「君は早苗の部下なんだよね? だったら黙って従って!」


 董子に恫喝され、飯田は飛び出していった。胡乱だった早苗の瞳に、再び感情が宿る。茫然自失、董子の恫喝に驚いている。


「あ、ごめん。早苗が言ったらパワハラになっちゃうかと思って」

「ああいえ、助かりました……」

「うらやましい共同作業ですね」


 くすくす笑ったシャンディに重なるように、電話口から別の声がした。白井凛子だ。


『す、すごい声したよ!? 何が起こってるの黒須さん!?』

「白井さん……?」

『私と青海さん、今日は専務にご馳走になってるの!』

『黒須さんは今日は午後休だったからねえ』


 凛子の声を追いかけるように、間延びした好々爺の専務の声が聞こえてきた。

 事後報告になるがこのタイミングしかない。美琴はすべてを打ち明けることにした。


「専務、聞いてください! 私の企画が盗まれて、日比谷の本部長とやり合うことになりそうです! 構いませんか!?」


 電話口でいの一番に叫んだのは青海だった。


『はあ!? ていうかアンタどこに居んの!? 盗んだ? 日比谷の本部長が? アンタの企画を!?』

「後で説明するから! 専務!」


 しばしの沈黙の後、専務は重苦しそうに口を開く。


『黒須さん。それはウチにとって、経営判断を伴うことだよ』


 当然だ。大企業の日比谷とやり合うことになれば、既に風前の灯火である明治文具などひとたまりもない。

 美琴は苦虫を噛み潰す。ここまでかという絶望が背筋を走る。

 専務の答えは違っていた。


『責任は僕が持つよ、黒須室長。存分に暴れてきなさい!』


 明治文具に勤続半世紀。鉛筆製造に心血を注いできたベテラン職人の矜持に、美琴の目頭は熱くなった。感謝の言葉を返すより早く、状況を察知したのだろう、青海が叫んだ。


『黒須、今から行く! 場所は!?』


 アイコンタクトを取ると、早苗は「任せる」とでも言うように頷いた。


「ホテルマーベリック。柳瀬早苗の名前を出したら通してもらえる!」

『三十分後につきます! ああ、すみません! 注文したフィズ、キャンセルで!』


 凛子の発した単語に、シャンディが反応する。そして、その逆も。


「ふーん? フィズですか。頼もしいご同僚ですね、

……? 黒須さん、そちらに居る女性は一体――』


 凛子の質問に答えようとしたところで、早苗が鬼気迫る声でまくしたてた。


「犯人をここに呼びました! 黒須さん、お覚悟を!」

「ごめん青海、いったん切る! 三十分後にホテルで」

『頼むわよ室長、失敗したら殺す!』

『待って! さっきの女性は――』


 電話を切ると同時に、控え室の扉がノックされた。

 美琴はその場の三名と顔を見合わせる。真剣な眼差しを向ける董子、胡乱に見開かれた瞳孔の奥に強烈な怒りを燃やす早苗。そして、琥珀色の瞳をぎらつかせるシャンディ。

 全員の意志は、一つところに重なった。

 美琴が頷くと、早苗は無感情に告げた。


「お入りください」


 扉が開き、真犯人――企画部本部長が姿を現した。

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