#20 : Black Velvet / ep.2

 最終選考会の幕が下ろされた。日比谷の重役達は別室へ向かい、会場の社員達は会話に花を咲かせている。


 作戦会議を指示された美琴は、例の控え室で偽の社員証を見つめていた。

 今日の美琴は、株式会社アドホリックの新入社員・高橋麻里奈だ。早苗達との作戦会議を終えた後は、設定ブックを演じながら、企画泥棒を突き止めなければならない。


「演技って言われてもね……」


 無意識のうちに、美琴の指先はLINEのトーク画面を開いていた。相手は演技のプロ、妹の琴音だ。アメリカ出発前に送ってきた「See you later!」というメッセージに返信がてらアドバイスを求めようとして、指先が止まる。

 琴音を信頼していない訳ではないが、事件は他言無用だ。それに、今の自分の置かれた状況を整理して伝えるのは難しい。

 結局スマホから目を逸らして天井を見上げる。シャンディ曰くの方法とやらにすがるとしても、それにはあの早苗を説得しなければならない。


「……どう柳瀬早苗を口説き落とすか」

「そうですか」


 咄嗟に振り向くと、控え室の扉の前に柳瀬妻妻ふさいが立っていた。

 ひとり言を聞かれてしまった。汚いものを見るような視線を二人から浴びて、美琴は急いで訂正する。


「い、いや違います! 口説くというのは言葉の綾で……」

「早苗をそんな目で見てたんですね、黒須さん」

「だから誤解ですから! 作戦をどうするか考えていただけで……!」


 訂正も虚しく、二人は二名掛けのソファに黙って座った。そして仲睦まじい様子を見せつけるように、董子が早苗に身を寄せて、冷たい視線を送ってくる。露骨に警戒されている。


「誤解ですって……お二人の仲を邪魔したりしません……」

「不用意な言葉遣いは謹んでください。これは遊びではないので」

「はい……」


 董子に抱きしめられんばかりの早苗からタブレットを託された。画面には日比谷本社企画部四十名の顔写真付きのリストと簡単な経歴がまとめられている。


「こちらは人事考課用のデータベースから持ち出した四十人分の社員リストです。ざっと確認してください」


 社員の属性は多岐に渡っていた。

 男性二十七名、女性十三名。年齢は二十代から五十代。出身は全国津々浦々で、得意ジャンルは製造、物流、人材管理、宇宙産業、ライフスタイル、エンタメ、スポーツ、エトセトラエトセトラ。

 こんなバラバラな個人情報を一瞬で記憶するなど至難の業だ。


「覚えましたか?」

「覚えられる訳がありません……」

「ええ。ですので、ある程度容疑者を絞ります」


 早苗はタブレットを操作し、先のリストに何やら条件を付け加える。すると四十名のリストが三名にまで減った。


「この三名は、どういった人物なんですか?」

「弊社企画部では、配属から三年以内にノルマを達成しなければ異動となります。この三名はノルマ未達。つまり喉から手が出るほど企画を欲しがっている人物」

「さすがに厳しいですね、日比谷は……」

「三年待つだけ温情ですよ」


 自身が企画広報五年目で大した成果を上げていないことは黙っておくことにして、美琴は三名の情報をざっと確認する――

 

 一人目、上島翔太(28歳)、得意ジャンルは工場自動化設備。

 二人目、寺門仁美(25歳)、得意ジャンルはライフスタイル。

 三人目、肥後和馬(31歳)、得意ジャンルは人材管理システム。


 ――たしかに、どの人物の得意ジャンルも《デジタルメモ》にニアミスしている。

 美琴の企画書には、若干盛り過ぎているくらいに用途が列挙されていた。ハードケースを使えば工場内での使用にも耐え、当然日常生活にも溶け込み、デスクワークにも使える。

 三名の顔と名前を覚えようとタブレットを凝視していると、早苗が告げた。


「それと黒須さん。あのバーテンダーとはどういったご関係ですか?」

「え……?」


 美琴は早苗の顔を見上げた。仏頂面からは質問の意図を読み取れない。


「ずいぶん長々と話し込んでいましたようですが」

「手も繋いでましたよね、それも恋人繋ぎで。あんな素敵な人がいるのに早苗に手を出すなんて!」

「いや、彼女は――」


 言いかけたその時、控え室の扉が開いた。


「ふふ。悪巧みなら、あたしも混ぜてくださいな?」


 ドリンクを四つ乗せたトレーを携え、シャンディが何食わぬ顔で現れた。

 突然の来訪者に、早苗はタブレットを即座に奪い取って眉を細める。


「関係者以外立入禁止と扉の前に書いてあったはずですが?」

「なら問題ありませんね、なんたってあたしも関係者ですから。ですよね、麻里奈……いえ、黒須美琴さん?」


 柳瀬妻妻ふさいの視線が美琴に突き刺さった。


「黒須さん。私は他言無用とお伝えしたつもりですが、これはどういった裏切りでしょう?」


 もはや言い逃れはできない。美琴は腹をくくって、なんとか言葉を絞り出した。


「……この人は、私が通っているバーのオーナーで、シャルロット・ガブリエルさん……です」

「ふーん、ずいぶん他人行儀な紹介ですね? あれだけ愛し合った仲なのに」

「シャンディさん!?」


 美琴の状況など知ったことかとばかりに、シャンディは嫌みったらしく微笑んでいた。性根の悪さがにじみ出ている。

 二の句を継ごうとした早苗に代わり、董子がなぜか興奮気味に声を上げた。


「やっぱり二人は百合だったんですね! ほら、言ったでしょ早苗! あの二人はきっと恋人だよ、って! 黒須さんが攻めでバーテンさんが受け! あ、でも今は逆っぽいかも。もしかしてその日の気分で攻め受けを――」

「少し黙っていてください、董子。妄想は後でいくらでも聞きますから」


 董子の警戒が解けたのはよかったが、それはそれで勘違いをされてしまった気がする。

 これ以上シャンディが余計なことを匂わせないよう、美琴は告げた。


「私とシャンディさんは、まあ……友達以上恋人未満くらいの関係です。今回の件は……すみません、私が話してしまったことが原因です」

「言っておきますけど、あたしは、あたしの一存でここにいますから。美琴さんを手伝いたくて、あたしが勝手にやったこと。責めるならあたしを責めてくださいな」

「わあ! 予想以上に深い愛だよ、早苗!」


 瞳をキラキラさせる董子とは対称的に、早苗は渋面を浮かべていた。が、手元にあった別の資料を読み直して納得したのか、言葉を続ける。


「ホテル側から提供された人事資料にも名前はありました。一応本人確認させていただけますか。貴女がシャルロット・ガブリエルに成り代わっている可能性も捨てきれません」

「お断りしますね、個人情報ですので」


 早苗のこめかみがぴくりと動いた。


「……名前を明かせないと?」

「ええ。美琴さんにすら教えていないことを、どうして初対面の貴女にお話しなければいけないのかしら」

「そのくせ、黒須さんの関係者だから信用しろと? 虫が良すぎますね」

「だってそうでしょう? あたしは貴女こそが企画泥棒である可能性も捨てていませんもの。貴女があたしをシャルロットではないと疑っているように」

「私は黒須さんの企画を盗んでなどいません」

「ならあたしの本人確認も必要ありませんね?」

「面倒な人ですね」

「お互い様ですよ」


 ――この居心地の悪い会話を早く終えてくれ。

 剣呑な空気が流れる中、美琴は心密やかに祈ることしかできなかった。

 先に折れたのは、「はあ」とため息をついた早苗だった。


「……分かりました。信用して、話を進めます」

「いいえ、もう一つだけよろしいかしら? 早苗さんと董子さんが婦婦ふうふであることを証明していただきたいのですけれど」

「柳瀬の苗字と揃いの指輪で充分でしょう」

「いーえ。あたしが見たいのは、お二人の間に愛の絆があるかです」


 シャンディはにんまりと――美琴を弄ぶときのイタズラな笑みを浮かべていた。彼女のSっ気に火がついてしまったらしい。止めないと後々面倒なことになる。


「シャンディさん。もういいでしょう? それとこれとは関係がないですよ!?」

「大アリですよ。お互いに手を出さないという証が必要ではないかしら? なんたってパートナーが口説かれるところだったんですもの。董子さんは不安だと思いますよ?」

「そうでした。黒須さんは私から早苗を奪おうと……!」

「だからアレは誤解だと! ていうかどこから聞いてたんですか!?」


 「ふふ」と意味深に笑うシャンディに、早苗が睨みを利かせる。


「時間もありません、手短にお願いします。どのように我々の……絆とやらを証明しろと?」

「そうですねぇ」


 シャンディは最高の笑顔で言った。


「あたし達の前でキスしてくださいな。とびっきり濃厚で、二人きりの時にだけする情熱的なベーゼを」

「わ、わかった! 見せつけてあげよっか、早苗!」

「と、董子。今は仕事中で――」


 美琴の目の前で、二人はシャンディの要求通りのキスをしてみせた。小柄な早苗の唇を、斜め上から董子が塞いでいる。仏頂面で真面目一筋と思われた早苗の表情が、見たことがないほど柔らかなものに変わっている。


 ――キスする時、あんな顔するんだ。


 長い時間触れ合っていた唇を離して、早苗はどうにか仏頂面を貼り付けて告げた。董子は余程恥ずかしかったのか、顔を手で扇いでいる。


「……これで満足ですか」

「ええ。ではあたし達もしておきましょうか。美琴さん?」

「いいえ、相手が違います」


 早苗は眉を怒らせて、冷たいトーンで言い放った。


「黒須さんは、私とキスをしていただきます」

「は……!?」


 早苗以外三名の声が重なった。「どうして?」と早苗にしがみつく董子をなだめてから、早苗は続ける。


「私と黒須さんの間に脈がないことを証明するためです。脈がないならキスしたところで何も起こりません。手を出さないという証になるはずですが?」

「……あたしへの当てつけかしら?」

「ええ。私と董子を小馬鹿にした報いに、一番イヤがる方法を取らせていただきます。元はと言えば貴女の蒔いた種、覚悟はよろしいですね。黒須さん」

「いや、ちょっと……!?」


 美琴の眼前に早苗が迫った。小柄でいて童顔だ。仏頂面でさえなければ可愛らしいのかもしれない。

 横目にシャンディを見ると、琥珀色の瞳を下弦にして、じっとりとした目で美琴を睨み付けている。


「早くしてください。キスくらいできるでしょう」

「そ、そんなことはありません、が!」

「あたし以外としちゃうんですね」

「シャンディさんこれは……!」

「なんかすごいことになっちゃった……! もしかしてこれ百合NTRってヤツかな早苗!」

「どうしてこの状況を愉しんでるんですか!?」

「……じっとしてください。意気地なし」


 一人だけテンションがおかしい董子の前で、美琴の唇が奪われた。

 閉めていた唇の隙間に柔らかいものが当てられる。早苗の舌だ。先ほど董子としたような濃厚なそれをシャンディに見せつけて、責め立てるつもりだ。

 早苗と目が合う。愛し合う者同士がすなる口づけの表情とは思えないほど殺気立った眼に射貫かれ、美琴は結局、咥内への進入を許した。シャンディとは異なる、冷たい舌と唾液の異物感が絡み合う。

 しかもその様子を、それぞれの大事な人に見られている。

 何とも、後味の悪いキスだった。


「以上、何も起こりませんでした。話を進めます」


 早苗は顔色一つ変えず、露骨に唇をハンカチで拭っていた。自身を恨めしそうに睨み付けているシャンディのことなど無視して、話を進める。


「ともかく。最も疑わしきは上島、寺門、肥後の三名。黒須さんにはこちらの三名を当たっていただきます。方法は問いません。貴女と貴女の会社を守るために、意地でも聞き出してください。私と董子は残りの容疑者を当たります」

「わ、分かりました……。ではシャンディさんは私のサポートを」

「……美琴さん? まだお気づきにならないんです?」


 美琴の唇をハンカチで拭い、自分の唇で上書きしてからシャンディは告げた。


「この女……あら失礼。柳瀬早苗さんは、企画泥棒をあぶり出す一番簡単な方法をずっと隠してらっしゃるのに」

「な、なんですかそれは」


 瞳をぎらつかせ、シャンディは早苗を射貫く。一方の早苗も、それを感情の読めない無表情で迎え撃った。


「簡単ですよ、ウソの表彰をすればいいだけです。デジタルメモが採用されましたとウソをついて、壇上に上がってきた泥棒を捕まえればいいだけなんですから」

「ああ、そうですよ! それじゃダメなんですか、早苗さん!」

「……却下です。黒須さんに危険が及びます」

「ふふ、ウソばっかり」


 シャンディはくすくすと鈴を転がすように笑った。


「貴女ほど頭が回るなら、この程度のアイディアはすぐに出たはずですよね? それをなさらないということは、この方法を使いたくない理由がある。違いますか?」

「言いましたよ。貴女の恋人に危険が及ぶ、と。逆恨みした犯人が何をしでかすか分かりません」

「いーえ。美琴さんがどうなろうと貴女には本来関係がないことです。だからその理由は建前。本音を当ててさしあげましょうか?」

「どうぞ」


 早苗は焦点の合わない目を向けてきた。静かに怒っている。

 シャンディは続けた。


「貴女は、企画泥棒が晒し者になる状況を避けたいんでしょう? あたしが提案したウソの表彰だと、誰が企画泥棒なのかが全社にバレてしまうから」

「それで?」

「さあ、そこから先は。始めは泥棒を庇っているのかと思いましたが、それなら美琴さんを呼ぶ必要はありませんものね。だから貴女も泥棒を探してる。見つけた泥棒をひた隠しにしたい理由は、あたしには見当がつきませんね」

「そうですか」


 早苗はその日初めて、口元を緩めた。ちらりと覗いた八重歯は、猟犬のごとく尖っていた。


「……まったく、面倒な女を連れて来てくれましたね。彼女の仰る通りです」

「え、と……どういうことですか……?」


 早苗は髪の毛を後頭部で括って、カーディガンの袖をまくり上げた。途端に、纏っていた空気が変わった。仕事に掛かるためのルーティーンなのかもしれない。


「私の仕事は、企画泥棒を秘密裏に処理すること。犯人を晒し者に……いえ、事態を表沙汰にしないのはそれが企画部本部長のご意向だから。コンプライアンスを犯すような社員を飼っていたなどと明るみに出れば、社内での影響力低下は避けられません。それを恐れて私に依頼してきたんです」

「話していいの、早苗……?」

「ええ、味方だと判断しました。もとい、これ以上腹を探り合うのも時間の無駄です。割れる腹なら割った方がいい」

「よかったですね、美琴さん。ようやく分かり合えたようですよ、あたし達」


 あの早苗と互角に渡り合うどころか、彼女が隠していた本音を引きずり出した。

 シャンディは恐ろしい推理力と洞察力を兼ね備えたバケモノだ。これまで自分は、どんな相手と遊戯を繰り広げていたのだろう。背筋が凍る。


「ですが、だからこそ改めて言います。シャルロットさんの方法は使えません。私は日比谷の人間です。他社の面倒まで見る必要は本来はありません。今回はあまりにも黒須さんの置かれた状況が不義理でしたから、私の仕事に付き合っていただけるならお詫びに便宜を図るとお約束したまで」

「ふーん? どうします、美琴さん?」


 ようやくにして事態を飲み込めた。美琴は状況を整理する。

 ウソの表彰で泥棒を晒し者にすれば、美琴と明治文具は守られる。だが早苗は仕事に失敗し、日比谷という大きなパイプを失ってしまう。

 地道に秘密裏に犯人を突き止めれば、美琴は企画を取り戻せる上に、早苗から便宜を得られる。だが、失敗する危険も孕んでいる。

 美琴は心を決めた。

 シャンディが持ってきたグラスの《シャーリー・テンプル》を飲み干して、宣言する。


「……もう時間はないんですよね。早く犯人を探しましょう」

「リスキーな方を選んじゃうんですね。せっかく助けてあげたのに」

「三人も味方がいるんです、なんとかなりますよ。ですよね早苗さん」

「ご決断に感謝します。……このグラスはノンアルコールですか?」

「ええ、毒なんて入っていませんよ」


 「いただきます」と告げて、早苗と董子も《シャーリー・テンプル》を干した。「美味しい!」と喜ぶ董子を見てシャンディは笑う。ようやくにして四名のわだかまりと誤解は解けた。


「では、仕事を始めましょう」


 順に控え室を後にした。向かうはグランド・レセプションルーム。

 美琴は、高橋麻里奈として気合いを入れた。作戦開始だ。

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