#15 : Triple Passion / ep.3
横浜店外遊戯、三番勝負。
早々に勝利して鼻を明かすプランは、シャンディの機転で見事に潰された。初戦は自滅、第二戦は身内に裏切られて大恥をかかされた美琴にはもう後がない。店外遊戯の決着は最終戦にもつれ込む。
「ふふ。琴音さんにサインを貰ってしまいました。高く売れるかしら?」
「それはよかったですね……」
女優・黒須琴音が書き残したであろうサインが、珍妙なパンダのオモチャにでかでかと書かれている。性悪妹に穢されてしまったパンダは、悲しげに電子音のランバダを奏でるばかりだ。同情してしまう。
「さて、いよいよです。この調子だと最終戦は、高級フレンチだったりして」
「ええ、その通りです」
「あら、大丈夫なのですか?」
珍しくシャンディは驚き、どこか遠慮がちに尋ねてきた。
それもそのはずだ。夜ごとアンティッカに通う美琴の家計は、シャンディにも推し量れるだろう。実際、美琴の給料では高級ディナーなど相当に手痛い。
「私もそこそこ稼いでいますから」
とは言ってみた美琴だが、もちろん見栄を張っていた。
実は美琴は、例のデジタルメモ企画の副賞としてランドマークタワーのペアチケットを貰っていた。誘う相手も居ない美琴にとっては、今回が唯一の使い所だ。
「なら少々お時間をいただけますか? 30分したら参りますので」
「おや、勝負に怖じ気づきましたか?」
「そちらこそ、ですよ。ふふ」
いったんシャンディと別れ、美琴は決戦の舞台へ足を運んだ。
最終戦の舞台――横浜のシンボルたる、ランドマークタワー。
シャンディが居ない隙にホテルのクロークで手続きを済ませ、チケットの証拠隠滅は完了。待ち合わせ場所に指定したロビーで、美琴は最終戦に向けて気合いを入れ直す。
最終戦の遊戯は、ホテルレストランでのディナーバトルではない。展望ラウンジバーでのアンティッカ流の鞘当てだ。予約したのはバーの防音個室。密室でのやりとりであれば、人目を気にせず遊戯に集中できる。
「さあ、参りましょうか。美琴さん?」
ロビーにやって来たシャンディを一瞥して、美琴は言葉を呑んだ。
着替えている。ケーブルニットのラフな着こなしから、襟付きのブラウスに、カーディガン、フレアスカート。ホテルでのディナーを念頭に置いた、TPOを弁えた上品なドレスコード。
シャンディの先制攻撃だ。
「どうかなさいました?」
「ああ、いえ。美しいレディに話しかけられたもので驚いてしまって」
「お招きに預かる者が適当な格好では、恥をかかせてしまいますからね」
「ええ、おかげで恥をかきそうです。貴女の美しさに釣り合う自信がありませんよ」
「あら。あたしはこれでもまだ、釣り合いが取れないと思っておりましたけれど」
怒濤の褒め殺し合戦。思わず歯が浮きそうになるが、シャンディはやすやすと琥珀色の瞳を輝かせたまま囁く。
当然、遊戯はまだ始まっていない。だがここで自分を見失うようでは、最終戦の敗北は必至だ。美琴は精いっぱいの虚勢を張って、シャンディの手を引いた。
「貴女をお誘いできて光栄です、シャンディ」
「え、ええ……。ありがとう、美琴」
シャンディの余裕が一瞬乱れた。美琴はそれを見逃さない。そのまま優しく手を引いて、ウェイターの案内に従い席に着く。
ホテル1階にレストランはあった。ガラス張りの窓から見上げる空はマジックアワー。夕暮れと宵闇の狭間、一日のうちでもっとも美しいとされるこの時間を選んだのは偶然だ。シャンディの衣装換えによってもたらされた奇跡とでも言うべき巡り合わせ。
「日が沈みますね、美琴さん」
「いかがでしたか、今日の店外デートは」
「ふふ。二度も辱めを受けたのに、やっぱり背伸びを演じるんですね」
「貴女の前ではこうしていたいんです。一番綺麗な自分を見てほしい乙女心が、シャンディさんには分かりませんか?」
「ええ、とてもよく分かりますよ」
饗された食前酒で乾杯し、前菜の塩気を流し込む。
せっかくの高級フレンチも、緊張している美琴にはまったく味が分からなかった。できることと言えば、事前に予習してきたテーブルマナーをしっかりと守ることだけ。
シャンディと二人きりの食事。たったそれだけのことだ。この程度のことは友人や元恋人と何度も経験しているはず。なのに美琴の心臓は、まるで異性とのデートの時のように――いや、それ以上に高鳴っている。
「……美琴さんはこういったお店にはよく来るんですか?」
「まさか。そんな経験があれば、テーブルマナーに四苦八苦などしませんよ」
「そうですね。魚料理に使う食器、間違えていますもの」
フォークとナイフを誤っていた。メーンの肉料理を切るべきナイフで、舌平目のムニエルを一口サイズに捌いていたのだ。
やはりシャンディは一筋縄ではいかない。一瞬の隙が命取りになる。
「普段から肉ばかり切って飽き飽きしていたでしょうから、たまには魚の相手をさせてあげようと思いましてね」
「ふふ。フォークとナイフに同情する方を初めて見ましたよ」
「それを言うならシャンディさんも、野菜に同情ですか?」
シャンディの前菜――クレソンとルッコラのサラダは、トッピングの生ハムとクルトン以外そのままの姿で残っていた。
「ええ。あたしもお野菜も、好きな人に食べられるのが本望ですから」
琥珀色の瞳を輝かせ、シャンディは野菜を美琴の皿に移した。テーブルマナーとしてはバッドマナーだが、彼女が禁忌を侵すなら、美琴も同じように侵すまで。
「では、私のキスを召し上がっていただけますか?」
「美琴さん? ここでは……」
「あーん」とばかりに。震える指先で、フォークの上のムニエルをシャンディの口元に運ぶ。向き合った彼女は人目があることを気にしてたじろいだ後、急いで口に含む。
「……そういうことしちゃうんですね。第一、
「ええ、間違えました。シャンディさんは別のものと勘違いなさったようですし、おあいこですよ」
「いつになく饒舌じゃありませんか。普段からそれくらい背伸びなさってくだされば、あたしももっと愉しめますのに」
「これからの私にご期待ください。きっと貴女を満足させてみせますよ」
「これ以上満足してしまったら、あたしはどうなってしまうのかしら?」
「試してみますか?」
「味見だけなら許しませんよ?」
「最後の一滴まで飲み干しますよ。そうお約束しましたから」
「…………」
シャンディは食器を置いて固まっていた。俯いている。さらに食前酒とワイン程度の酒量しか飲んでいない割には顔が朱い。
「シャンディさん?」
「あ、ああいえ。あまりの愉しさに胸がつかえてしまったもので。少々離席しても?」
「案内しましょうか」
「一人で大丈夫です、から」
シャンディは視線を合わせることなく離席した。一人残ったテーブルで、美琴は窓の外に目を遣った。夜の帳が下りている。遠くの観覧車のライトアップは風車のようにからからと回る。焦点を遠くから近くへ。ガラスには美琴が映っている。自身の顔色は伺えないが、シャンディと同じく、朱く染まっているだろうことは想像に難くない。
全身の血液が煮えたぎっている。目と目を合わせて言葉を弄するだけで、こうも身体が燃えることはなかった。口の中はカラカラに乾いているのに、瞳は、吐息は。そして身体が、じっとり汗ばんで湿っている。
認める気はない。認めるつもりもない。だが認めざるを得ない。
それでも今はまだ、この気持ちに蓋をしなければならない。
美琴はまだ、覚悟ができていないのだから。
「失礼しました、美琴さん」
シャンディが帰ってきて、再び甘い言葉の応酬が始まる。メーン、デザート。そして食後のコーヒーが饗されるまでやりとりは続き、その度に美琴は――そしてシャンディは言葉を詰まらせる。
まだ遊戯の前哨戦にも関わらず、一進一退の攻防だった。自身の本心を悟られないように、上辺だけの愛を囁きあう
初めてアンティッカを訪れた数週間前とはまるで違う、本気の言葉のぶつけ合い。幾度となくシャンディに敗れながらも、少しずつ自身の情報を小出しにして付けいる隙を与えてくれた彼女に報いる方法は、たったひとつだけだ。
――遊戯での勝利。
美琴は気づいていた。シャンディは倒されたがっているのだ。だが、負けず嫌いの彼女には、手加減してまで勝ちを譲る気はない。だからこそ美琴が強く成長するように、付けいる隙ができるように、態度を、言葉を選んできた。
あの占い師の言葉は当たっていた。優しくて寛大な教育者。つまりシャンディは美琴のことを――
「……美琴さん。そろそろ遊戯を始めませんか? あたしはもう、勝ちたくて勝ちたくてたまらないんです」
「では、そろそろ移動しましょうか。決戦の舞台へ」
「上ですね?」
人差し指を立てて、シャンディは上階フロアを指差す。遊戯のことを言わなくとも、シャンディは理解していた。決戦の地・最上階にある展望バーラウンジ。時間的にもちょうどよい頃合いだ。
美琴はシャンディを連れて、エレベーターホールへ向かう。二人の間に会話はない。試合直前のアスリートのごとき興奮と、油断すると本音が飛び出してしまいそうな緊張がない交ぜになって、喉から言葉を出すだけで精いっぱいだった。
「……愉しいですね」
「ええ」
「あたしをここまで酔わせた人は初めてです」
「酔うのはこれからですよ」
「いえ。あたしが酔ったのは、貴女」
エレベーターが途中階で止まった。客が降りていく。エレベーターの扉が閉まり、二人きりの密室になる。
「……美琴さん」
「なん――」
エレベーターが動き出した途端、シャンディに唇を奪われた。アンティッカの暗闇や、ご褒美でされるようなキスではない。長く、濃厚だった。美琴より数センチ背の低いシャンディが、エレベーターの壁に美琴を抑えつける。
繋がった口の中で、舌が絡み合う。湿った音がする。他人の舌の異質な感覚は愛撫のようで、くすぐったく、切ない。シャンディの口の中は湿って熱かった。その吐息が、その唾液が綿密に織り上げられた美琴の理性を絆していく。
エレベーターは途中階で止まった。扉が開いて、上階へ向かう宿泊客と視線が合う。それでもシャンディはキスをやめない。美琴をキツく抱きしめたまま、エレベーターの壁に抑えつけている。
乗客は空気を読んで二人を見過ごした。誰も乗せることなく、密室は再び上へと向かう。ややあって、シャンディは唇をようやく離した。上昇を続ける箱の中、オレンジの照明の中で、シャンディは琥珀色の瞳を伏し目がちに上向ける。
「……見られちゃいました」
「ええ、空気を読んでくれたようです」
「バカップルだと思われましたかね?」
「そんなこと気にしないでしょう?」
「ええ、貴女以外見えません」
再び、唇が触れ合う。密室が目的のフロアに到着したことを告げて、ようやく二人は唇を離した。
膝がかくついている。壁にもたれていなければ立てないほどに、美琴の足はふらついていた。自身とそれ以外の境目が曖昧だった。全身が空気の中に溶けていくような、不思議な陶酔感。ただ現実の――まとった着衣の湿り気が、美琴を現実に引き戻す。
「美琴さん、遊戯が始まる前に言っておくことがあります」
エレベーターを降りたところで、シャンディは真剣な顔で見つめてきた。上気した白い肌を隠す素振りすら見せず、琥珀色の瞳は艶やかに輝いている。
美琴は言葉を詰まらせながらも、勝負に意識を切り替えた。
「なん、でしょう?」
「申し訳ありませんがあたしは……負けるつもりはありません」
「それはいつものことでは?」
「いつもとは違うんですよ、美琴さん」
シャンディは笑わなかった。腕にくくりつけていたヘアゴムを使い、緩やかに降ろされていた金髪を後ろで縛る。途端、彼女はオフの日のただの女性から、アンティッカのバーテンダー・シャンディに姿を変えた。
意図はすぐ分かった。シャンディは本気で、美琴に挑んでくる。
「……遊戯の内容は、バーラウンジでの言葉の応酬。違いますか?」
「ええ。シャンディさんがシェイカーを振る必要はありませんよ」
「あたしも、あたしが一番綺麗だと思っている自分を見せたくなっただけです」
「分かっていますよ、シャンディさんの本気は」
「ありがとうございます、美琴さん」
シャンディは静かに息を吸って、続けた。
「……先に、ご褒美を決めさせてください。まずは美琴さんから」
「ええ、と。私は――」
まだ覚悟は決まらなかった。だが、適当なことを言って逃げるようなこともできなかった。自分の優柔不断さが嫌になる。
「――まだ考えています。中途半端な選択をして、傷つけたくないので」
シャンディは瞳を潤ませて微笑んだ。
「……優しいんですね」
――そう思っているのなら、そんな悲しそうな顔をしないでほしい。
「シャンディさんのご褒美は?」
「あたしは……」
歩み寄って、シャンディは耳元で囁く。
「……あたしに、手を出してください」
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