#14 : Triple Passion / ep.2

 横浜店外遊戯、三番勝負。

 初戦を落とした美琴は、シャンディに連れられて中華街を食べ歩くこととなった。肉まんの餡に入った刻み野菜すら嫌いなシャンディの主食は、もっぱら角煮まんや胡麻団子。油分を青島ビールで流し込んでは、串焼きや北京ダック――当然野菜は抜き――を見つけて駆けていく。

 どこがだと美琴は先の占いに心の中で文句をつけた。来月のコスプレデーで着るチャイナドレスや、珍妙なパンダのオモチャを買い込むシャンディは、大好物を見つけた子どもだ。

 ひとしきり散策を満喫したのだろう、シャンディは眩しいほどの笑顔で微笑んだ。


「さて、美琴さん。そろそろ二回戦の内容を教えていただけませんか?」


 勝負も明かしていないのに、琥珀色の瞳は勝ちを確信して輝いている。

 当然、美琴にも策はある。ホームゲームを取るために呼び寄せたがそろそろ到着する頃合いだ。


「その前に、シャンディさんに紹介したい人が居ます。構いませんか?」

「ふふ、ご両親に挨拶でもさせる気ですか?」


 くすくす笑うシャンディに「近いようなものです」と答え、美琴はLINEの画面を注視する。送った指示に既読がついた直後、美琴の傍らに助っ人が現れた。


「あら?」


 瞳をまあるく見開いて、シャンディは突然の闖入者を見つめていた。

 美琴はやって来た助っ人の正体を明かす。


「紹介します。妹の琴音ことねです。高2の17歳」


 美琴の妹、琴音。この日の彼女は黒一色のコーデで決めていた。パーカーからキュロットパンツ、ニーハイからパンプスに至るまで黒。


「いつもお姉様にはお世話になっています。シャンディです」

「……ども」


 琴音は、口元を覆う黒のマスクを下げて、美琴にアイコンタクトを交わす。黒のカラコンで覆い隠した瞳には、どんな設定でも演じきろうという魂が見てとれた。


 黒須琴音。

 黒須家の次女である彼女は女子高生などではない。23歳、役柄を選ばない演技でスターダムを駆け上がりつつある注目株。若手女優だ。

 今日は、今度映画で演じる役柄――《痴情のもつれから恋敵を殺す女子高生》の設定を忠実に演じているのだろう、強烈なオーラを放っている。誰が見ても気難しい女だと分かる芝居だ。


「第二回戦は、《琴音を喜ばせるプレゼントをした方の勝ち》。判定は琴音に決めてもらいます」

「いよいよ手段を選ばなくなりましたねえ、美琴さん……」


 シャンディは呆れたとばかりに嘆息した。


「確かに今回はシャンディさんに圧倒的不利です。ですのでシャンディさんは、琴音と買い物をしていただいて構いません。金額は五千円以内で」

「あら、そうですか」

「……チッ」


 琴音は舌打ちを残して歩き出した。一方でシャンディは笑顔を崩さず、美琴の隣で無言を貫いている。

 琴音を加え3名で目指す決戦の地は、中華街からほど近い総合ショッピングモール。ただし美琴は、琴音の欲しがるものがここでは手に入らないことを知っている。

 だって事前に尋ねたのだ――


「誕プレ何がいい?」

「今度の映画の役作り手伝ってほしい」

「じゃあ友達紹介するから、騙し通してみてよ」

「いいね、面白そう」


 ――つまり、この遊戯は出来レース。

 はじめから決着がついているのだ。


「じゃあ2時間後、ここで落ち合いましょう」

「ふふ、分かりました。じゃあ行きましょうか、琴音ちゃん」


 琴音はシャンディを無視してモールの中へと消えていった。さすがは本職、役作りが徹底している。

 ふたりの背中を見送った美琴は、プレゼントを探そうとすらせず近くのスタバに腰を落ち着ける。そしてシャンディの悔しがる顔を夢想して唇を歪め、キャラメルマキアートを静かに啜る。

 恋愛遊戯はルール無用。勝てばよかろうなのだ。


 *


 まったく、困った遊戯を言いつけるものです。妹さんを喜ばせるプレゼントを選べだなんて、普通は勝ち目などありません。なぜならお二人は血を分けた実の姉妹、あたしでは立ち入れない絆で結ばれた関係です。

 とは言えそれも、という話。

 別段あたしは負けたところで痛くもかゆくもありませんが、あの人が身内を使ってまで八百長勝負を挑むつもりなら話は別。どうしても背伸びをやめないというのなら、お灸を据えるいい機会。第一ズルや姑息な手段はあたしの専売特許です。正直でウソのつけない貴女には絶対に似合いませんから。

 ふふ。


「さて、琴音ちゃん。普段は何をなさっていますか?」

「…………」


 妹さんはあたしとのおしゃべりを愉しむ気はないもよう。軒を連ねるお店の品物を、歩きながらちらちら目で追うばかり。

 それはそうでしょう。あたしのような素性不明の人物、警戒されて然るべきです。もしくは何も喋るなと口止めされているか。あるいは。

 まあ十中八九、あたしが嫌いなのでしょう。なんたってあたし自身、あたしみたいな女は嫌いですから。


「困ったお姉様ですね、美琴さんって。昔からこうなのですか?」

「…………」

「話したくありませんか?」

「うっさいんだけど」


 いちおう試してみましたが、正攻法では脈はナシ。ならば、あたしの得意なやり口で、揺さぶることにいたしましょう。

 本意ではないですが、貴女の妹にします。それもこれもすべては貴女のせい。悪く思わないでくださいな、美琴さん。


「実は琴音ちゃんに相談があるのですが聞いていただけます? ああ、いえ。うるさいでしょうが勝手に話しますので、聞き流すだけで構いませんよ」

「…………」


 この子が見た目通りの性格ならば、実の姉に頼まれたからという理由だけでノコノコ姿を現すことはないでしょう。黒の衣装の本質は、自らを俗世の人間関係から解き放つための武装。群れに交わらぬ黒い羊でありたい厭世的な女の子が、自分とは無関係なあたしの前に現れるはずがない。

 つまりこの17歳の女の子には、どうしてもあたしに会わねばならない理由がある。それはおそらくこの辺り――


「実はあたし、貴女のお姉様に抱かれました」

「は……?」


 ――釣れました。

 もちろんウソはついていません。ハグだって立派な行為ですから。


「紹介が遅れましたがあたし、バーテンダーをしていまして。お姉様は毎晩のように来店して愛を囁いてくれるんです。じっと見つめてきたり、キスを迫ったり、それから」

「……マジで言ってんの、それ」

「マジですよ」


 さすがに妹、血は争えません。黒の武装で覆い隠していても、あの人とよく似た、焦った時特有の裏返った声です。


「ふふ、ごめんなさい。どうやらあたし、琴音ちゃんの恋敵みたいです。さて、どうしましょうか?」

「ふうん」


 口ではつれない返事でも、妹さんの動揺は明らかです。

 そして、物言わぬ双眸から激しい感情が見て取れます。

 あたしが人生で何度となく向けられてきた、明確なる敵意。


「焦るとお姉さんそっくりですね。かわいい」

「……私を狙ってるつもり?」

「ええ、貴女の心臓ハートを」


 ならばこちらも、勝負に出てみましょう。


「さて、質問です。恋路に割って入る邪魔者が、とうとう尻尾を現しました。貴女があたしならどうします?」

「決まってんじゃん」

「ええ。二度と近づかないよう警告するか、最悪……」


 軽く頭を振って周囲を見ると、ちょうどキッチン用品店がありました。

 ですのでここは、とても分かりやすい正攻法で。


「……そうそう。あのお店のナイフ、あたしも使っているんですよ? とても切れ味がよくて肉ばかりか骨までストンとやれます」

「面白いね。あたしがやってあげようか?」


 ああ、やはりそうですか。貴女もあの人のことを――


「ええ、どうぞ。間違って刺しちゃったらごめんなさいね」

「……ごめん、確認なんだけど。それはですか?」

「え?」


 お姉様より幾分か素直な妹さんは、すべてを話してくださいました。

 あたしが刺しかけた琴音さんは、本当の琴音さんではありません。彼女は女優で、役作りのために演じていたのです。それも《痴情のもつれから恋敵を殺す女子高生》というなんとも紛らわしい設定を。

 正直、一杯食わされました。彼女にだけは負けを認めるべきでしょう。

 なぜならあたしは目論見通りに、騙されてしまったワケです。ちょっぴり悔しい。


「びっくりしたよ、あまりに真に迫った芝居だったからさ」

「芝居のつもりはなかったんですけれどね」

「あはは。いつもそんな感じで姉ちゃんビビらせてんの?」

「ええ」


 誤解と芝居を解いた琴音さんとあたしは、モール内のカフェでお話をすることとなりました。

 素の琴音さんは、姉とは真逆の可愛げのない女性です。もちろん外見は美琴さんに似て美しい人ですが、瞳の中には表出している以外の感情が見えません。目が死んでいるというか、胡乱というか。感情をコントロールする術に長けている、付けいる隙のない人物。


「分かるよ、姉ちゃんからかうの楽しいから。必死で姉の威厳保とうとしてるの見ると、疲れないのかなって思うけど」

「よくご存じですね、美琴さんのこと」

「23年一緒だからね。姉ちゃんだったら完璧に演じられるかな」

「ふふ、やってみていただけます? 完璧に演じられるか試してさしあげますよ?」

「やだよ。あんたなんか怖いし。つか、疲れないワケ?」


 危ういやりとりです。琴音さんはこちらを見透かそうとしている。


「あんたのそれ、芝居でしょ?」


 あたしは微笑みました。悟らせないために。


「……上手いなあ。どうやんの? その、相手を黙らせる笑顔の芝居。盗みたいな」

「企業秘密ですね」

「じゃあまだ無理だな」


 琴音さんはひとしきりケタケタ笑うと、あたしの瞳を勝ち誇ったような表情で見つめてきます。

 あたしと同じ、瞳の技。


「姉ちゃんってさ、こんな風に見つめると弱いよね?」


 納得がいきました。おそらくこれこそが、美琴さんが背伸びをしてしまう理由。23年間、琴音さんの瞳に射貫かれながらも姉として振る舞ってきた美琴さんだから。琴音さんと同じようにあたしに見つめられると、威厳を保とうとしてつい背伸びしてしまうのでしょう。

 なんとも可愛らしい真相です。


「ふふ。ええ、その通り」

「あはは、姉ちゃんも災難だな。こんな性悪女に目つけられるなんて」

「あら? 23年いじめてきた性悪妹から解放するつもりなのですが」


 思わず苦笑が漏れてしまいます。それはもちろん、琴音さんも。

 しばらく話して分かりました。琴音さんとあたしは、根底では似たもの同士。であれば次に何を言い出すかなんて手に取るように分かります。


「じゃあさ、一発やっちゃう?」

「ふふ、ベッドのお誘いですか?」

「わざわざ確認するまでもないでしょ。姉ちゃんのモノ盗る気はないし、アンタみたいな面倒くさい女、仕事でも嫌」

「そうですね、あたしも貴女は願い下げ。では一発、お灸を据えてさしあげましょうか」


 遊戯終了までの残り時間は1時間ですが、それだけあれば充分です。カフェを出て、買い物の続きに舞い戻ります。

 遊戯の勝敗は既に決しました。あとはどれだけあの人を追い込めるか。慣れない姑息な手段を使った罰を、教育者として与えなければなりません。それにあいにくこちらには、強力なが居ますので。


「やっぱいい笑顔するよねー? ねえどうやんの? それも企業秘密?」

「これは本心ですよ」

「あはは、嫌な女」

「そちらも」


 *


「あ、れ……?」


 約束の時間。待ち合わせ場所にやって来たふたりを見て、美琴は目を見開いた。

 黒一色だった琴音が、全身をフルコーデされていた。甘くも清楚な装いに加え、メイクも病んだものから変わっている。トレンドに敏感なオシャレ女子大生と言った様相だ。


「こちらがあたしからのプレゼント。どうです? 似合っていますよね」

「清純派として売ってけそうだよねー?」

「え、いや琴音……? なんで勝手に設定を――」

「あら? 設定って何のことでしょう?」


 琴音はあろうことか、シャンディと調子を合わせて笑っていた。

 やってしまった、琴音は寝返ったのだ。わずか2時間足らずのうちに。


「あ、いや設定って言うのは、この遊戯の設定金額のことで! その格好、絶対五千円じゃ揃いません、シャンディさんのルール違反です!」

「ルール違反はどちらでしょうね? あたしたち二人の遊戯に第三者を連れ込んで。さらには八百長の片棒を担がせるだなんて」

「あーゴメン姉ちゃん、全部喋っちゃった。このシャンディさんって人すごいね? 姉ちゃんが惚れ込むのも分かるー」

「ほ、惚れてなんかないからっ!」


 自身が窮地に追い込まれたことを美琴はようやくにして悟った。だが、すべては遅きに失している。


「あら? じゃあ好きでもないあたしと店外デートしてるんですか? そういうの傷つきますね」

「いやそれはシャンディさんが言ったからであって……!」

「うわ、姉ちゃんヒドいな? 他人の心弄ぶように育てたつもりはないんだけど」

「あ、あんたに育てられたつもりはない!」

「もういいです。貴女はピーチ・レディとよろしくやってくださいな。ですよね、琴音様?」

「そーだねー。姉ちゃんの大事な人、奪っちゃうのもいいかも?」

「はあっ!?」


 二人がかりで強引に本心を引き出させようとしていることは美琴にも分かった。これは芝居だ、とても性根のひん曲がったイタズラだ。だけどそう分かっているのに、美琴は体面を取り繕えない。

 性悪の妹と、シャンディ双方を敵に回してしまった今、もう勝ち目はない。


「別にいいでしょ? だって姉ちゃん捨てちゃったんだし」

「ええ、愛してくださいな。二人で美琴さんのヒミツを言い合って」

「秘密なんてないから!」

「……実家の本棚の後ろに隠してるアレ、バレてないと思ってる?」


 全身の血液が一点に集中した。ショッピングモールの明るい照明の中では、ごまかしの利きようもない。盛大に赤面を晒す他なかった。

 だが、耳ざといシャンディが聞き逃すはずもない。


「あら、なんですかそれ?」

「実はね? 姉ちゃんって学生時代から結構頻繁に」

「お願いもうやめて! 私が悪かった! 私が全部悪かったから!」


 美琴は潔く敗北を認める他なかった。。

 妹にさえ握られたくなかった秘密を、他人であるシャンディに知られるのはさすがに耐えられない。腹を掻っ捌いて死にたくなってくる程に恥ずかしい。


「じゃあ、訂正してくださいな?」

「訂正って……?」

「いい加減、認めちゃえば? 姉ちゃん、この人に惚れてるんでしょ?」


 答えたくない。答えたくはないが、そうでもしないと終わらない。それどころかイタズラと分かっていても、彼女が自身の元を離れるのは耐えられなかった。

 美琴は半ば自棄になって叫んでいた。


「ああそうよ惚れてるよ、じゃなかったら毎晩通わないわよ!? だから何なの惚れちゃ悪いの!? でも私は絶対、好きだなんて認めない! 認めないから!」

「どっちだよ?」

「うるさいうるさいうるさい! もういいわよ、どうせ私の負けなんだから! でも次は勝つから! 次勝って私はシャンディさんを……!」

「ふふ。あたしをどうしたいんですか? 反則を侵してまであたしに勝って、何をさせるおつもりだったんでしょう?」

「も、もうやめて、許してください……!」


 ――横浜店外遊戯第二回戦、美琴の敗北。

 策士策に溺れるとはまさに、このことだった。


「逆ギレした途端謝るとか本当子どもだな、姉ちゃんは」

「そういうところが愛らしいんですよねえ」

「本当、嫌な女だねえ……」

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