縮小と収容

 こうしてシャボン玉の中にいれば、魔族の聴力でも外からの盗み聞きはできない。振動も熱も伝わらず、あらゆる外界の圧力を遮断するのだから、これは当然のことだ。そうでなければ、爆心地を漂ってはいられない。

 そうでなければ、密談など持ちかけるはずがない。


「魔樹の根の空洞に、ルペーニヤの人たちを避難させるんです。


 俺はロン毛のおっさんを見た。ついでに隣で絶句しているキタキツネも。

 彼が言いたいことは予測がついた。たぶん、俺と同じことを考えている。


「3万人を、あの中に誘導するのか? 冗談だろ?」


「起きて半畳寝て一畳」


「何?」


「いや、そういうことわざがあるんですよ、異界には」


 俺は大きく息を吸いこんだ。胸の奥が軋むように痛んで、わずかに意識がぼやける。頭の中で脈打つ血管の感触。


「何が言いたいかというと、半畳、つまり0.9平方メートルのスペースがあれば、人間は直立できるということです。3万人ですから、単純に考えて2万7000平方メートルって感じですか、東京ドーム0.56個分ぐらいですね。……確か観光案内のときに、っておっしゃってましたけど、どうですかね、東京ドーム半分を縮尺何分の1にすれば、全員を収容できますかね?」


 ちゃんと伝わっているのか、好き勝手に喋ると不安になる。平方メートルだの東京ドームだの、魔族語に翻訳することは可能なのだろうか?

 クーベルツェさんは、黒い三角形の耳元に、しばらく何事かを囁いていた。何度かこちらに視線をやりながらうなずいていたルナルカさんが、色の眼にかすかな光を灯す。


「お前のたくらみは、こういうことか。この街のニンゲンを縮小して〈複生〉し、魔樹の内部、根の中の空洞に収容する」


 まあそういうことです。


「……冗談だろ?」


「自分で言ってて冗談に聞こえないこともないですが、わりと本気ですね」


「いや、しかし、そんな荒唐無稽な……」


 でも魔樹はたぶん焼けませんよ、と俺は言ってみた。


「なぜそう言える?」


 なぜかというと魔王様が、


「時計の針が止まってしまったらどうしよう?」


 と言っていたから。

 なぜ、そんな些細なことを? 普通なら、熱風で消し炭になるんじゃないかと、そんな心配をするはずじゃないか?


「そもそも、そうでなければ変じゃないですか、魔樹の真上で爆弾を炸裂させる計画なんて。普通の植物が、爆風の温度に耐えられるはずないのに。まあ、魔界の常識なんか知ったことじゃないですけど」


「……〈複生術〉を人間に対して使うには、どうすればいい?」


 クーベルツェさんがうなると、ルナルカさんは唯一の条件を告げた。

 いわく、該当する生体の一部か、当人の姓名、居住地、筆跡、写真、指紋のついた道具など、その人間がこの世にいたことの証左。それが生を複する元手となる。

 その言葉にうなずくと、そのままこちらを見やった。


「兄者の部屋には?」


 俺は首を縦に振る。


「予備の〈骨肉〉が置いてあったろう?……兄者に限らず、ルペーニヤの人間は、人間どうしも含めて、いざこざで自分の指や眼球や四肢を差し押さえられることがよくある。だから住民たちにも、可能な限り同じものを作らせるようにしている」


「まったく、野蛮な連中だぜ」


 ルナルカさんは茶化すようにうそぶいてから、顎に自分の黒い指を添えた。


「だが言われてみれば、血縁の者も含めるというのは、きわめて好都合な魔術だ。どこかの誰かの爪一枚があれば、その血縁者すべてを避難させられるんだからな」


「理屈としては」


 そう、クーベルツェさんの言うように、理屈としては。実際に3万人全員を保護できる保証はない。そんな時間があるのかもわからない。

 それでもやるしかない。あらゆる居住地から、なんでもいい、物品を集めて――桶の破片、羊皮紙の切れ端、折れた羽ペン、カビの生えた黒パン、おが屑、唾液のついた根菜の芯。


「為政者の身分であれば、今から兵を動かすことも不可能ではない」


 クーベルツェさんは、どこか自嘲混じりに続けた。


「騒ぎになるぞ。怪しまれたらどう説明する」


「事実を呼びかけたところ暴動が生じたので、兵力を用いて鎮圧した。そんなところ……」


 コンコン、とノックの音が響く。

 音のほうを振り向いたのは俺だけだ。後ずさるのは無意味だが、身体が、というか足が反射的に後ずさり、カッ、という革靴とタイルの擦れるような硬音が、足元で鳴る。


 シャボン玉は、感触は柔らかいが、弱い衝撃を加えるとガラスかプラスチックのように硬質な音を立てる。

 加えたのは魔王様だ。背中のコートを突き破り、コウモリのような飛膜が生えている。


「……バケモンじゃねえか」


 唖然としてつぶやくと同時に、頭だけ突っ込んできた。そうでもしないと声が届かないのだろう。


「やあ皆々。そろそろ開始だが、大事だいじないかな?」


「いえいえ、万事快調でございますぞ。もっとも、手前らは何もさせていただいてはおらぬゆえ、この風雅なる特等席にて、泰然自若と構えておる心積もりでございますがね。さても惜しくはこの面構え、ここに麗しき天女でもおればと、かえすがえすも寂々じゃくじゃくたるものがございますなあ」


 口のよく回る、という低いつぶやきが聞こえた。


「はは、大丈夫そうだな……」


 飛膜の生えた少女は苦笑し、そのまま頭を引き戻し、螺旋を描いて周囲を旋回しながら遠ざかる。

 羽音も、風の巻き起こる音も聞こえない。俺たちの声も聞こえないはずだ。


「……え、今の会話、聞かれてないですよね。だ、大丈夫、ですよね」


 俺が確認し、ふたりが何かを言いかけた瞬間、視界が空白になった。使われなかった画用紙のような、真新しい白。

 これまでに見たこともないほど、強烈な閃光だと気づくのに、一瞬を要した。

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