造反分子と国体

「次の実験はどうなっている?」


 別れ際、コピー用紙をめくりながら顔を上げたルナルカさんは、そんなことを言いながらこちらを見すえた。

 そういえば朝食をガツガツと平らげているあいだ、魔王様はそんな話をしていた。今度は菓子ではなく、本物のルペーニヤの市街地の複製をつくる。その中で、なんとかという名前の魔術で俺を分裂させて、実際に爆発させる。

 うまくいったら、本番でも術式をそのまま使う。


「そいつは、おそらく〈複生術〉だ。まったく同じ生き物をできる魔術だな」


 ルナルカさんは露悪的な笑みを浮かべて、俺に手のひらを見せる。厚手のグローブのように盛り上がった、黒灰色の体毛の底に、チョークで描いたような紋様がある。

 それが何かは、なんとなく察しがつく。


「……魔術を使えるんですか?」


「魔族だからな」


「……えっ、それで、どうなるんでしょうか」


 馬鹿を見る眼差しが俺を射抜く。


「……この俺がに携われば、そのときには内容が、になれる」


 ルナルカさんはそう言い、俺は馬鹿なりに爆速で言葉の符丁を合わせる。寒帯=術式、輸液=組成、ゾクネシネの積み石=組み替えたもの。

 つまり、術式を俺たちの都合のいいように改変できる、ということ、か?


「……えっと、すみませんがそのへん、おふたりにお任せして、いいんですかね?」


「逆に、お前に何ができる?」


 何も。


「いいから、そっちはの舵取りに専念しろ」


 酩酊船?


「どう翻訳されたか知らんが、今のは符丁合わせじゃないぜ。魔界こっちに実在する船だ。の出る海で使う。……いつか、乗る機会があるかもしれない」


 先ほどとは異なる、やわらかい笑みを口元に残して、ルナルカさんはガラスの扉の向こうへと去っていく。



 もちろん、防災訓練の標語を強引に持ち出した俺だって、死ぬほど焦っているし胃が痛い。表向きは平静を装えているだけだ。

 ただし胃が痛いという事実は、総統、つまりクーベルツェさんのお兄さんとの会食を欠席するために役立った(病床に臥せっているひとに会食させるなど非常識にもほどがあるが、魔族なのでしょうがない)。

 食べなくていいから同席してくれと言われたが当然、拒否。約束を果たせないからだ。


 お兄さんが会食をこなしているあいだに、、そういう段取りになっている。難しく考える必要はない。要するに、朝風呂の密談で出た〈潜影術〉とやらをクーベルツェさんが利用するという話だ。

 もちろんそのためには、俺の影にたどり着いてもらう必要がある。仕事部屋から抜け出したルペーニヤの副総統を、影の中に招き入れる必要がある。


 部屋の中にいては、屋外に影を伸ばせるはずがない。だから欄干にもたれている。

 絡み合う青葉と蔓の、白い花を咲かせる木々の影に自分の影を重ねたくて――影を大きくしておけば、それだけ移動しやすいはずだ――、黒い太陽を見上げて動き回る。

 図式に書かれた、魔族が使う言葉の断片を思い出しながら。



 術式。解法。設置。実験。縮小。生物。渡された瞬間、不自然に思われない程度に目を通してみれば、そんな単語が読み取れた。

 表紙の次、2ページ目に大きく描かれた真円、あれがおそらく、俺を小さくするための術式なのだろう。


 その次のページは、人間の解剖生理を表した図式、次のページは元の兵器と思われる物体の図解、それから最後のページには、トドが壁に描いた模様を極限まで複雑にしたような、眼球や唇にも似た秘教めいたシンボルが、数えきれないほど並べられていた。

 シンボルの中にシンボルがあり、上下左右のシンボルは実線や破線でつながれていた。その意味は、俺にはわからない。だがどのシンボルの傍らにも、数字と記号を並べた数式のようなものが、いくつも書かれていた。

 あれの意味が、ルナルカさんとクーベルツェさんには理解できるというわけだ。



 開き直ってるんだろうか、とふと考えた。どうしても実感が湧かない。

 これがたとえば、を無きものにしようとか、を護持しようとかいう動機に支えられているならわかる。あるいはを地球上から抹消しようとする動機でも、類型として理解できないこともない。


 これらはどれも、。殺される者は、畢竟ひっきょうどうでもいい。それは誰でもいい、匿名の存在だ。その証拠に、ほんとうはでなくても、それらしい理由で殺されたひとはたくさんいる。井戸に毒を入れたとか、「十五円五十銭」という言葉の発音がおかしいとかで。

 そこに合理性はない。どうでもいいから殺した、それだけだ。


 だが、と俺は考える。彼女は違う。そんな動機で殺そうとしていない。殺すことで、

 たとえば俺が彼女に、人間にとって自分たちが殺されることは筆舌に尽くしがたい地獄だ、やめてくれと力説したとする。

 するとおそらく、こう考えるだろう。そうか、魔族が人間を殺すのは、多大な苦痛を伴うのだな。

 。魔族は人間を救おうとしているだけだ。人間がそれを理解できないとしても、殺すのはしょうがないことだ。



 考えてみると、滑稽なことをしている。

 こうやって、あてもないことを考えあぐねた結果がコソコソと、その場しのぎの弥縫策びほうさくを拵えることでしかないというのは、まさに人間の無力の証明だ。

 とにかく今は、無力な者どうし、内通する必要がある。

 俺は濡れた欄干にもたれて、せめて戸外へ向けて、薄い影を伸ばそうとした。

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