ため息と決意
喉の渇きを癒すために、果実水をすする。少しだけ酸っぱく、そして甘い。味覚が戻ったことに安堵した。
食器を動かす音が聞こえる。乱雑で不規則な、もてあそぶような音で、事実、礼儀を
「……だめだ、口に合わん」
吐き捨てるように言い、乳色の海に匙を伏せた。
「話をしないか。椅子をこちらに」
「話?」
「先ほどの議論を蒸し返すつもりはない。単なる
席を立つのをためらっていると、
「大丈夫だ、誰も見ていない。さあ、こちらへ」
と言いながら立ち上がり、自分の椅子を動かし始める。俺はちょっと笑いそうになり、動かしているほうも自分の挙動に苦笑している。
テーブルの角をはさみ、コの字型に向かい合っている。晩飯を一緒に食ったときと同じ配置で、それはつい一昨日のことだというのに、ふと懐かしく思えた。
「ルナルカから、温泉に入ったとも聞いたが。どうだった?」
魔王様は濃紫の眼で俺を見つめる。背もたれによりかかり、巨大な爪の生え揃う裸足を投げ出している。
魔族のほとんどは、室内で靴を履かない。魔術の
「どうというか……空に浮かんでました」
「ああ、よくある趣向だな。内陸の街にはそういう類の、景勝と湯治を兼ねた設備が多い。朝風呂もいいが、夜景はもっと……いや、ここは
ライキ。電気のことか?
「そうとも。
長いため息があどけない口元から漏れる。重たげな黒い牙が、穂波を薙ぐ鎌のように、鋭利な輝きを発している。
「万難を排し、ルペーニヤのニンゲンたちを滅ぼす」
魔王様はかえって、さっぱりしたように口にする。
「えっ?」
聞き間違いかと、つい笑ってしまうが、相手は真顔だ。
「この地のニンゲンのためにも、苦痛なく、一瞬で、あまねく抹殺しなくてはならない。うまく行くかはわからんがね。……何か、おかしなことでも言ったか?」
「え? いや、え?」
まずい、と俺は直感する。
いや、悩みを振り切ってくれたのはうれしい。たいしたことなんか何も言っていないが、こちらの言葉が心理的な打開につながったのなら、これはうれしい。教師として
この地の人間のためにも?
「そうですね。そうかもしれませんね。えっと、ところで陛下、ちょっとよろしいでしょうか?」
「分かっているさ、ニンゲンが死を恐れていることは」
「そうですか、ではその」
「だから、センセイにはぜひとも協力していただきたい」
魔王様は右手を差し出す。握手しろ、ということか。したくない。
「……どういうふうに?」
「センセイはわたしに何度か殺されているだろう? その経験を、ルペーニヤのニンゲンたちに伝えてほしい」
は?
「簡単だ。首を刎ねられ毒を撒かれたところで、生き返ることは可能なのだと、この地のニンゲンどもに納得してもらえばいい。ニンゲンがニンゲンに殺されれば、なるほど生き返ることはできんだろう。しかしだ、センセイはわたしたちによって幾度となく殺されている。つまりは生き証人じゃないか」
何をうまいこと言ってやがんだ? 正気か?
と思う一方で、なるほどその手があったか、と素朴に感心してしまう自分がいる。たしかに実体験を交えたほうが、話の説得力は増すよね。
相反する感情がないまぜになり、結果としてなぜか笑ってしまう。魔王様も笑った。華やぐような純朴な笑み。
まずいまずいまずい!
「ああ、なぜ出立の前に思いつかなかったのだろう! われながら冴えた発想だ。センセイも言ってくれればいいのに」
「いや、ふふ、思いつくわけないでしょ殺すぞ」
「え?」
「え? いえなんでも、ありますね、待ってください、すみません、申し訳ないのですがそれは荷が勝ち過ぎた聖務とお見受けします」
途端にぽかんとした少女は、一転して呵々大笑。何がそんなに面白い? 俺は胃が引きちぎれそうになっているぞ?
「ははっ、大丈夫だよ、わたしがついているから」
お前がついてるからダメなんですけど?
「言われなくても分かっている、大勢の知らないニンゲンの前だと緊張するのだろう?」
「そういうことじゃ」
「うんうん、わたしも式典の演説に呼ばれるたびに憂鬱になるから、気持ちはよーくわかるぞ。いつも母上の直後だからな、本当にいやでいやで……」
「話を」
「だが心配は無用だ。種族の垣根を越えて力を合わせれば、きっと乗り越えられる!」
「話を聞い」
「ニンゲンの記憶力は吐き気を催すほど劣悪だと聞くし、説明は執行の直前がいいな。起爆を1時間後ろ倒しにしよう。総統との打ち合わせが昼にあるから、先方にはその際に伝える」
「おい、おいコラ」
「きっと上手く行く。ふふ、こういうときのわたしの勘は当たるんだ」
不敵な笑みを浮かべて、こちらへ向けて、あらためて手を差し出した。
謝るタイミングを逃がし、話を聞いてもらえず、つまるところ握手を求められている。収穫は、殲滅が1時間後ろ倒しになったこと。
握手をした後、なぜか猛烈な空腹を感じて、彼女の分まで献立を平らげてしまった。
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