密談と長湯
原子爆弾の爆発は、「核分裂の連鎖反応」とでも表現することができる。元素を人工的に不安定な状態にすることで、莫大なエネルギー――数万度の放熱、数千度の爆風――を放出させるのだ。
ウランやプルトニウムなどは、原子数がより多く、したがって崩壊によるエネルギーも、より強烈となる。
くわしく説明しよう。
まず、原子には電位がプラスの陽子、電位を持たない中性子、電位がマイナスの陰子の3種類が存在する。
通常、あらゆる元素は決まった数の原子を持つことで、安定した構造を獲得している。しかしながら、外部から余計な原子が侵入することで、それは崩壊する。そして元素は安定した状態(これを基底状態という)へ戻ろうとして、膨大なエネルギーを生み出す。
具体的なプロセスはこうだ。
まず、元素に向けて外部から中性子を故意に侵入させ、その元素の安定を奪い、崩壊させる。崩壊した元素はふたつの核に分裂するが、その過程で一定数の中性子を放出する。するとその中性子が近くにあった元素の内部へ侵入し……
といった具合に、元素の崩壊による核分裂は次々に連鎖していく。連鎖反応は1億分の1秒で達成される。これが爆発の原理。
クーベルツェさんの話では、ルペーニヤの人口はおよそ3万人。戸籍制度が存在しない(彼の言によれば、戸籍という概念が浸透するほどの教育が整備されていない)ので、あくまで推定だ。
いっぽう、俺が爆発した場合の威力は、少なくとも「リトルボーイ」や「ファットマン」の上だ。というのもそれら実物に積載されていたプルトニウムは、およそ600グラムから800グラム程度であったらしい。
人間の心臓がだいたい1キロとして、それが爆発すれば、どういう規模の破壊が生じるか。想像もしたくない。
というか、どう想像したところで、爆心地にいる人間は全員即死だ。
*
どうやら密談に巻き込まれているわけだが、この流れをとどめる術が俺にはない。
流れをとどめていいのかもわからない。彼らの協力がなければ、ルペーニヤのひとたちを救うことはできないだろう。
「救う? お前はここのニンゲンどもを救うつもりか?」
見かけによらず
「……そうですかね」
「まるで、魔族のようじゃないか」
徐々に笑みを消して、真顔になった獣の相貌は、それでもそれ以上の追及はしない。なので俺は成り行きを静観していた、もうひとりの人間を見つめる。肩を白濁に沈めながら。
クーベルツェさんは濡れた髪を掻き上げて、ゆっくりと口をひらく。
「話を戻す。昨日の商人、あれは魔族語を解したろう? 外の連中には知られていないが、ニンゲンも魔族の知識を理解することができるし、一部であれば魔術を使うことさえ出来る。代償は必要だが」
むき出しになった薄紅色の胸には、ペースメーカーを思わせる鈍色の金属機器が埋め込まれていた。栗色の体毛が繁茂する皮膚に囲われて、そこだけが無機質に輝き、汗をかいていない。
なるほど、服を着ていなければ、煩雑な説明もなしに事情が呑みこめるというものだ。マイナス8兆点とか言ってごめんなさい。
「私が使えるのは、〈
「忍者みたいだな……」
思わずつぶやくと、視線がこちらを向いた気がした。ニンジャという概念について、説明したほうがよかったかもしれない(異世界のひとならば、そんなもの知るはずないわけで)。
「
「バッカク?」
「クロフュス殿のことだよ」
ルナルカさんが耳打ちする。ふわふわの体毛がこそばゆい。
「加えて説明しておけば、魔族にとって自らの精神世界は、客観世界の法則を凌駕するものだ。やつらの手にかかれば、ただの古紙が地図に、鳩に変じる。実際の兵器はオーハル君がいうように物質的なものであるにせよ、起動に際しては術式を用いるはず」
何を言っているのかわからないが、わかった顔でうなずいておく。
「で、どうすんだ?」
「そこを衝く」
「……つまり、式の一部を改変する?」
ルナルカさんがそうたずねると、クーベルツェさんは目を細め、なぜか俺を睨んだ。
「明白な失敗を起こせば怪しまれる。あくまで一部、だ。そう、たとえば爆風の被害が不完全となるような、あるいは局地的なものとなるような……」
俺は、湯を手のひらにすくって顔にかける。
外気温が上がってきた。丸めていた背を伸ばして首をのけぞり、肩こりをほぐす。
「繊細な失敗を求められるわけだな。それでも怪しいといえば怪しいぜ?」
「実験に失敗はつきものだ。規模が大きくなれば、想定だにしない阻害要因とて増える。不自然なことは何もない。肝心なのは不自然さを、どのように制御するかだ」
詳細がわからないので聞き手に徹するが、どういう話の流れなのかは見当がつく。
「それで、僕は何をすれば?」
「簡単だ。その兵器とやらの資料を入手し、私に横流しをしてくれ」
「……簡単に聞こえないんですけど……」
「言葉の綾だ」
副総統殿は真顔で言う。冗談なのか本気なのか。俺は後者だと解釈しておく。
ルナルカさんは見かねたように眉根を寄せて、
「気持ちはわかるが、このメンツで陛下のお
と言う。それはそうだけどさあ……。
「それなりのものは作ってあるはずだ。適当にごまかして、見せてもらえ。複写でも拝借できれば最高だな」
「できる気がしません」
「安心しろよ。言わずもがな、向こうはお前を虫けら以下だと思っている。だから術式が委細漏らさず記載されている書類を見せたところで、何もわからないと、そう考えるはずだ」
「見てもわからない書類を、貰おうとするんですよね? 誰かに何か言われたのかって、普通に聞かれそうですけど……」
「その心配も要らない。誰かに命じられた何かをこなせるほど知能が高いとも、お前は思われていない」
屈辱的かつ衝撃の事実だが、とはいえ相手の眼は真剣なので信じるしかない。
どの道、それ以外に可能性はない。少なくとも俺が提案できるような他の可能性は、ない。
「お兄さんとの、会食が、今日の昼でしたっけ」
ふたりは俺を見る。唇を引き結んだ表情は、悪だくみをしているようには見えない。これから訪れる破滅の運命を、辛うじて受け入れようとしているかのようだ。
なんだかおかしかった。おかしいと思う心の動きは、たとえば葬式で笑ってしまうようなものか?
俺は凪いだ気持ちで、悪だくみに参加しているらしい。
「僕も同席するように言われるかもしれませんが、仮にそこで欠席すれば、デンカの御目から離れることができそうですね」
「ふむ」
被毛が濡れてしおれた指を顎にかけて、ルナルカさんはうなずく。目の光が微妙に色合いを変えた。
「とっかかりは単純なほうがいい。クーベルツェ、お前は仕事が立て込んでいる。フミ殿は、
「資料を手に入れなきゃいけないと」
げんなりして言うが、相手の真剣さが崩れる兆候はない。長湯を終えたらすぐ行動しなきゃいけないと、まあそういうことのようだ。
「会食の場所は、迎賓館だったな?」
濡れた髪をかき上げ、クーベルツェさんがたずねてくる。俺はうなずいた。
「ということは、室内はまずい。元老院の爺どもがいる。執事も給仕も。口裏を合わせる手間が惜しい」
「……僕がそちらに伺うのは、ダメそうですね。そんなに人目があると」
「ああ、むしろ私が貴殿のところへ赴くのがよいだろう。そちらは目立たずにいてくれればよい。ついでに私たちが発見されたときの弁解でも考えておいてくれ」
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