露天風呂と情報共有
夜明けが近い。闇はゆっくりと、カーテンを払いのけるように取り払われつつある。
浮遊露天風呂から見下ろす光景も、明るさを増していく。
その向こう、彼方にとぐろを巻く積乱雲の底から、
朝だ。
湯温はぬるいし
思うがままに、白湯の中でリラックス。ひとりでに鼻歌が漏れてしまう。
唐突に肘で小突かれ、俺の中にある演奏停止ボタンが押された。
視線を移せばそこには、苦み走った髭まみれの
肩までもぐりながら目を逸らす。
今になって気づいたが、こんなカス異世界に4日間も滞在してやっているというのに、俺のまわりにはヒロインの影もかたちも見えない。本来ならここは、
「いやいや、俺のいた世界では男女が同じ場所で湯浴みをするのは一般的な習慣なんだ(笑)。だからそんなに恥ずかしがることないさ(笑)」
などとほざいて(直後にヒロインが恥じらいで頬を赤く染めたり、絶句して口をぱくぱくさせる)、限りなく乳繰り合いに近い馴れ合いを、延々と繰り広げるべきところ。
だというのに、誰の
「そう神経質になるなよ」
ルナルカさんは離れたところで、露岩に寄りかかって小さな酒瓶をラッパ飲みしている。
どこで用意したのかは考えないことにした。
「酔っ払いめ。さっさと本題に入れ」
「へいへい」
想像以上に気安い口調で話し込んでおられる。外務官僚と現地の政治的指導者が
ん? ちょっと待て。となるとこの場にいる俺は、その仲に引きずり込まれようとしている最中? あっ空中に浮かんでいるから逃げ場ナシ、そういうこと? はぁーんそういうこと。
はめられてんじゃんワタクシ。
「さて、登場人物の利害関係を確認しておこう」
瓶の口に突っ込んでいた舌を抜いて、ルナルカさんは口角を上げる。
登場人物。舞台はこのルペーニヤ、役者は俺たちというわけですか。できれば
……乗せられないようにしなくては。
「まずはフミ殿。畏れ多くも宮廷教師をつとめておられるが、殿下がニンゲンとかいう、生ける
「切望はしてないですけど、そんなんじゃないですけど、なんともいえないですけど、デンカのことは尊敬しております!」
あとのことを考えて、否定も肯定もしないでおく。
「さて、次にクーベルツェ殿。われらが〈自治区〉における副総統であらせられる。またの名を王弟殿下」
「余計なことをさえずるな」
汗をかいている桃色の首をねじり、不機嫌そうに狂言回しを睨む。
「当然ながら、こちらもニンゲン殲滅計画を望んじゃいない。……さてこの俺はといえば、名をルナルカ、種族を謬戌、手前味噌ながら王国国務省所属の木っ端役人」
ルナルカさんは何かを抱えるように腕をひろげる。陶然とした身ぶりで、まさしく舞台の上で演じているかのように。
「何より、光栄なる魔族の末席を賜わっているくせに、ニンゲンがむざむざ滅びゆくのを良しとしていない」
「なんで?」
素朴な疑問を口にした。場の流れで教えてくれるかも。
「もちろん、憐れんでいるからさ」
「へえ」
「はは、疑っているな? もう一度顔に出したら指をへし折るぞ」
「ごめんなさいゆるしてください」
「そんなわけで、ここにいる三者三様、事情はあれど目的は共有している――実験を阻止すること。さて諸君、その方策はいかに?」
「その前に確認したい」
クーベルツェさんが鼻を鳴らして、たずねる。
「陛下の実験とやらが阻止できれば、この地が滅亡を免れるという保証は?」
「保証はないが、公算は高い」
ルナルカさんはお湯を手のひらですくい、顔にかけて息をつく。
「あの御方の目的は、〈学園〉の卒業研究だ。とはいえ研究の発表はまだ先の話、今回はあくまで、その
「つまり、この地を滅ぼすこと自体が目的ではないと」
「そういうことだ。……此度の破壊は単なる実験、そして実験には成功も失敗もありうる。ここが駄目なら、他の土地にお鉢が回るだけさ。オピバニアの草原だろうとクァホートンの〈団地妻〉だろうと、あるいはベンツィゲンだろうとドルーガンだろうと、候補地はいくらでもある」
「次なる
「そのときはそのときさ。たとえそうなったにせよ、陳情なり抗議なり交戦なり、お前らもそれなりの手段を講じる時間はある。なんせお前らには、その権利があるんだから。俺の知ったことじゃあないがね」
紫蘇のような色味の苔を生やす、剥き出しの岩によりかかり、
「……まあ、いい。ならば次に考慮すべきは、言文の力に拠るか、武力に拠るか、あるいは両方か、といったところだ。……フミ殿、貴見を拝聴したい」
「え? えーっと武力は勘弁していただきたいですかね?」
しまった本音を暴露しちまった。
「何か根拠が?」
「いや、ワタクシ平和主義者ですし……」
「貴公は、
敬語だが、眼光の圧力が強過ぎる。もっとやさしいひとがよかった。できれば吉永小百合みたいな感じの、妙齢の、美しい女性がよかった。
正直なところ、居合わせたときの行動を考えると信用できないのだが――馬のような生き物から男を引きずり下ろすとき、いっさい躊躇いがなかった――、だからといって情報共有しないわけにもいかない。
「たいしたことじゃないんですが」
「構わん」
「今のワタクシは歩く原子爆弾です。デンカはワタクシを爆発させてルペーニヤを滅ぼす気です。それで」
この一件が示唆するように、魔族の科学力は凄まじいものがあります。ワタクシは異界の出身なのですが、生き物を爆弾に造り変える軍事技術なんて、見たことも聞いたこともないのです。正直なところ、人間が太刀打ちできるとは思えません。言葉で説得を試みる以外、採るべき方策はないというのが私見です。
と言い継ぐ前に、肩を脱臼しそうなほど強くつかまれ、ゆさぶられる。
「げん、げ、っ爆弾だと!? 貴殿がッ!?」
「あ、は、はい、あの痛い」
「私は今、いつ爆発するかわからん爆弾と共にいるのか!?」
「アッ大丈夫です強い衝撃を与えなければ痛い痛い痛い!」
叫んだら手を放してくれた。どーも。
「……風呂は、どうなんだ」
「あ、風呂は大丈夫ですね。心停止が起爆条件ですから」
「……ルナルカ、こんな馬鹿を引きこんで、われわれは大丈夫なのか」
「いないよりましだろ。肉の盾にならんのは痛手だが」
ふんふんと、人狐は野放しで鼻歌混じりだ。俺のときは肘打ちされたというのに。
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