Oct.『珈琲は月の下で』

銀色の月が輝く、山の中腹にて

 ゲヒャヒャ、と下品な大笑いをしていた男の顔が、宙を飛んだ。


 主を失ったでっぷりとした胴体が、ゆっくりと地面に倒れていく。持っていた酒瓶が手から滑り落ちて地面に当たり、激しい音を立てて割れた。緑色のガラスの破片が辺りに飛び散る。


 ドサリ、という音と共に首の切り口から流れる真っ赤な血。荒れた大地にじわりと広がり、割れた酒瓶から流れた葡萄酒と混じり合った。赤と紅が、地面に不気味な文様を描いていく。


「……えっ」

「うわ……うわ――!」

「お、お頭が!」

「やべぇ、逃げろー!」


 墨を垂れ流したようなどんよりとした黒い空、西に傾いた銀色の丸い月。

 その光の下、薄汚れた野良着を身に纏い、継ぎ当てだらけの革鎧や毛皮を不揃いに身につけた山賊たち。手にしていたコップを放り出し、足をもつれるようにしながらも散り散りに逃げていく。


「――無駄だ」


 首無し死体の背後から現れた男が、血の付いたファルシオンを振り払う。

 薄汚れた野良着に皮の胸当て、という山賊たちと変わらない恰好だが、月明りの下ひときわ目立つのは、その長い髪。白と黒、白虎のような斑髪が夜風に靡く。

 逃げ惑う山賊達の背中を見回すと、斑髪の男はポツリと呟いた。


「一匹たりとも逃がす気はねぇからな」


 その言葉だけが、闇に置き去りにされる。


「ひぃっ……!」

「……っ!」


 逃げる二人の山賊の頭上に現れた男の身体が、宙で一回転。山賊たちの首から噴水のように血が噴き出る。


「一、二」


 次の瞬間には、別の三人の男の前。血塗られたファルシオンを右肩に担いでいる。

 一見隙だらけだが、三人の男たちは一歩も動けなかった。

 長い前髪で目は見えない。が、白と水色の2粒の玉だけ紐に通された首飾りが、両目の代わりにキラリと光る。


「うぅ、うわああああ――!」


 一人の山賊が奇声を発しながら、必死の形相で斑髪に切りかかった。しかし斑髪の一振りで、山賊の両手首の先が無くなる。


「ひぃ!」

「このやろぉっ!」


 斑髪の背後に回った残りの山賊二人が、次々に剣を振り下ろした。斑髪はその鋭い剣先を、一方をファルシオンの刃先で受け止め身体を回転、もう一方を紙一重で躱す。


 剣先がバツ印を描いた瞬間、二人の山賊はピタリと動きを止めた。


 男たちの首が、皮一枚だけ繋がった状態でザックリと抉れていた。頭部の重みで不自然に曲がり、伸びきった皮が胴体からブツンと切り離される。

 苦悶の表情を浮かべた二つの首は身体が崩れるのと同時に無残にも地面を転がっていった。


「三、四……」

「ひぎゃああああ――!」


 そのとき、身の毛もよだつような悲鳴が辺りに轟いた。

 斑髪が鬱陶し気に振り返る。


 両手を失った男がでっぷりとした首無し巨体に頭を踏み潰されている。大男の足の下でジタバタと両腕を動かしていた。

 が、グシャリ、とトマトが潰されたような音が漆黒の闇の中で響き、ぴくりとも動かなくなった。


「……首を斬ったぐらいじゃ駄目だったか」


 斑髪がファルシオンを肩に担ぎ、チッと小さく舌打ちする。

 首無し巨体の切り口から赤黒い臍の緒のようなものが伸びて、地面を這っている。ズルリズルリ、と何かを引きずるような音。――斑髪が先ほど斬って落としたはずの、大男の頭部。


「よっぽど魅入られたらしいなぁ!」

「ケヒャ、ケヒャヒャヒャヒャ――!」


 首から緒で繋がっていた頭部が狂ったような笑い声を上げる。緒と共に宙を舞い、引き寄せられるように大男のもとへ。

 グイッと首の緒が縮み、大男の身体に頭部が戻った。


 その隙にあっという間に距離を縮めた斑髪の最初の一太刀を、大男が左腕で受け止める。斑髪は大男の左腕を押し返すようにそのまま左下から右上に振り上げた。剣を翻して空いた左胸を突こうとしたが、そのでっぷりとした巨体からは想像もできないほど素早い身のこなしで剣先を躱される。


 ブンッと振り下ろされた右腕を身体を回転させながらしゃがむことで躱し、そのまま両手を地面について両足を蹴り上げる。

 渾身の力で殴ろうとした男の顎に斑髪の蹴りが炸裂し、まだ完全にはくっついていない首がグラリと揺れた。

 斑髪はすかさずファルシオンで大男の首を刎ね飛ばし、剣先を真下に向ける。


「ぐがああ――!!」


 頭部を失った首にファルシオンが突き立てられる。ガキンという音が鳴った瞬間に剣を水平に、そして真っすぐ真下へ。

 真っ二つに割られた巨体がゆっくりと離れていく。


「――こっちか」


 割られた左側の肉の中にグッと右腕を突っ込んだ斑髪は、顔を歪ませる。

 斑髪が腕を引き抜くと同時に、裂けた巨体が地面に崩れ落ちた。

 しかし、斑髪の右腕と地面の肉の塊は、まだ赤黒い緒で繋がっている。


「うぜぇ」


 斑髪が腕を振り払うと、緒はプツンと千切れた。不穏な空気を放っていた巨体の半身は、ただの肉の塊になった。


「ああ、くっせぇー……」


 ブンブン、と肉の破片や血や汁がついた右腕を振り回す。

 そして斑髪がそっと右手を開くと、そこには淡いピンク色を放つ直径1センチぐらいの丸い玉があった。


紅水晶ローズクォーツ、しかも小っちぇ。……シケてんな」


 チラリと、肉片に目を落とす。


「これっぽっちでこんなに暴れるとはな」


 山賊たちが酒盛りしていた傍には、1メートル四方の木の箱が十個以上積まれ、蓋をされた素焼きの壺や大剣、鉄鎧などが近くに乱雑に置かれていた。

 その傍には開けっ放しになっている宝箱がいくつかあり、大ぶりのネックレスや金貨がギラギラと輝いている。

 すべて、山賊たちが近くの村やキャラバンから強奪した品物だ。



「……マオー」


 そんな舌足らずな声が聞こえ、斑髪が振り向く。

 その声に似つかわしくない、ほっそりとした大人びた美少女が林の奥から姿を現した。

 長い真っ黒な髪に、同じく真っ黒な瞳。褐色の身体を覆う金色のビキニとスリットが大きく入った金色のスカートだけが、月の光を受けて闇の中で浮かび上がる。


「サリー、後は頼んだ」

「ン」


 背負っていた麻袋を肩から下ろし、サリーは血にまみれた地面にペタンと座り込んだ。麻袋から炒った黒い豆、白い乳鉢と乳棒を取り出す。乳鉢に黒豆を入れ、何事かを唱えながらゴリゴリと豆をすりつぶし始めた。

 サリーの赤い唇から発せられた音が、死体があちこちに転がる地面を低く這うように広がっていく。


 マオーと呼ばれた斑髪は、正真正銘この世界の『魔王』


 しかし最も信頼していた側近に裏切られ、身体を十字に切り裂かれ、魔王の力を凝縮させた111個の玉――『魔王石』を結わえた首飾りを断ち切られた。

 玉が四方八方に四散すると同時に世界も分断され、絶対的な統治者を失った大地は混沌の世界へ。


 どうにか自らの肉体を取り戻し動けるようになったマオーは、かつての力を取り戻すため、ひょんなことから知り合った黒乙女サリーと共に旅をしている。


「これで3個。あと……108個。先は長ぇなぁ」


 紐に紅水晶を通しながらマオーが独り言ちると、

「デキ、タ」

という舌足らずの声が聞こえてきた。


 ふと顔を上げると、散らばっていた死体も肉片も血も体液も跡形もなく消え失せている。

 マオーが斬り散らかした後を綺麗に清めるのが、黒乙女サリーの仕事だった。


珈琲コーヒー


 ぬっと四角いカップを握った褐色の腕を突き出され、マオーは首飾りを首にかけながらサリーの元へと歩いて行った。

 カップとポットから漂う珈琲の香りがマオーの右腕を包み、汚れを消していく。


 魔王石は普通の人間に扱えるものではない。石にとり憑かれ、暴虐の限りを尽くし身を滅ぼすのが落ちである。

 そして、魔王石が放つ負の波動は周囲へと広がっていく。魔王石に触れた人間はすべて殲滅しなければならない。


 魔王石を回収したあと、こうして銀の月の下でサリーが淹れた珈琲を飲むのが、マオーの最後の仕事だった。


ありがとなシュクラン

「ン」


 サリーが無表情のままコクンと頷く。

 お互い、何も喋らない。銀色の月の光と珈琲の香りだけが辺りを満たしている。

 いつもの月夜ならばこの静けさを保ったまま、時間が過ぎていくのだが。


「……マオー」

「ん?」


 サリーが珍しく口を開いた。トン、と飲み終えたカップを地面に置く。


「首飾り、戻る。何、する?」

「力が戻ったら? 決まってんだろ、片っ端から制圧、征服だよ」


 ズズズ、と音を立てて珈琲を啜りながら、マオーが片目でサリーを睨む。


「この大地にあるものは、すべてもともと俺様のモンだ。全部取り返す」

「サリー、国は、イヤ」

「……ああ、サリーの国、トルバン皇国な。まぁ、最後にしといてやる」

「……」


 ジトッとした目で睨んだサリーがすっくと立ち上がる。

 その背後には、すっかり西に傾いた丸い月が東からにじみ出る太陽の光に押されていた。輪郭が曖昧になり、消えかかっている。


「あっ……」

「もう、終わり」


 その言葉を合図に、シュルリ、と金色のビキニとスカートが地面に落ちた。サリーの姿がどこにも見えなくなる。


「しまった!」


 マオーが喚きながら身を乗り出すと、金色の服の下から黒い猫が顔を覗かせた。

 のそのそと前に這い出てくると、伸びをし、「にゃーん」と一声鳴く。


「サリー、お前な! まだ時間あっただろ!」

「ナー?」


 黒猫は「何のことですかね」というように左足で耳の後ろを掻く。


「珈琲の後片付けまでが、お前の仕事だろうが!」

「ミー」


 魔王石の一つ、薔薇金剛石ピンクダイヤモンドにより呪いをかけられたサリーは、月が出ている間しか人間の姿に戻れない。

 昼間は黒い猫の姿でマオーの傍にいる。呪いを解くために、不承不承マオーの旅の供をしているのだ。


「ったく……」


 黒猫サリーはトコトコと歩いて乳鉢に近寄ると、グイグイと前足で押して見せた。ほらどうにもなりません、とでも言うように。


「ああ、もういいから、いいから。さっさと退け」


 マオーは右手をブンブンと振り黒猫サリーを追い払うと、乳鉢と乳棒を拾って乱暴に麻袋に入れた。それを見た黒猫サリーが抗議するようにニャーニャーと泣きわめく。


「乱暴に扱うなってか? うるせぇわ」

「ニャー!」

「だったらお前が、月が消える前にちゃんと片付けろ」


 余計な仕事をする羽目になったマオーは不機嫌だった。

 珈琲の道具とサリーの服を拾い集め適当に麻袋にしまうと、よいせ、と肩に担ぐ。


「あ、こっちもあったか」


 マオーは次に山賊たちが強奪した荷物の山に向かってスタスタと歩いていった。その後ろを、黒猫サリーもトコトコとついていく。

 宝箱をひょいっと覗き込み金貨を5枚ほど手に取ると、マオーはズボンのポケットに捻じ込んだ。


「ニャッ、ニャッ!」

「うるせぇな。当面の旅の資金だよ」

「ニャーッ!」

「残りは持ち主に返せばいいんだろ。……ったく、元を正せばぜーんぶ俺様のモンだってのに……」


 マオーはブツブツ文句を言いながら懐から1メートル四方の布を取り出すと、山積みになっている荷物に被せた。忽然とすべてが消え失せ、拳大ぐらいの丸い包みができる。


 すべてを包み込む魔法布マジッククロス。マオーの手に残った魔法具はこれしかなかった。奪われたであろう魔王愛用の品も、取り返さなければならない。


 肩に担いだ麻袋を一度下ろし、地面にしゃがみ込んだ。袋の口を開けて包みをしまうと、再び肩に担ぐ。

 立ち上がろうとしたマオーの背中を伝い、黒猫サリーがマオーの肩に乗った。


「こら、ラクしようとするんじゃねぇよ」

「ミー?」

「キリキリ歩け、キリキリ」

「ミュー……」


 黒猫サリーがそっぽを向く。黒い尻尾がピタン、とマオーの頬に当たった。

 はあ、と息をついたマオーは、面倒くせぇからもういいわ、と独り言ちた。


 銀の月は西の空からすっかり姿を消して、東の空にはオレンジ色の太陽がその姿を現している。

 マオーは黒猫サリーを肩に乗せたまま、東へと歩き始めた。



 力を失った魔王と呪いをかけられた黒乙女は、こうして魔王石を集める旅をしている。

 ――マオーが魔王になるまで、あと108個。

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