第59話 再会

 深呼吸をする。





 身体に染みこませるようにリズムをつけて。





 一つ、二つ。





 引き金に指をかけ、ただひたすらにその一瞬を待った。





 この時間が好きだ。





 銃を構えて獲物と向き合い。ただ照準を合わせるだけの機械と化するこの感覚が、かつて祖国日本でまたぎをしていた頃の記憶を呼び覚ます。





 引き金を引く。





 乾いた音と供に吐き出された光の弾は、怖いくらい速見の予測したラインを忠実になぞり飛んでゆき、獲物である猪型の魔物デッドボアの心臓を破壊した。





 いや、この銃は普通の銃では無く魔法武器が変化した姿なのだ。





 思った通りに弾が飛ぶなんて当たり前・・・もしかしたら上手く使えば弾道を曲げる事さえ可能かもしれない。





「・・・さて、飯にするか」





 あの日から、速見はこうして山にこもって生活をしている。





 勇者から告げられた衝撃の事実は、今もなお速見の心に深く突きささっていた。





 時間が必要なのだ。





 乱れた心を癒やすために、そして思考を整理するために・・・。





 そんな速見に対して、意外にも主であるクレアは何も言ってこなかった。あの日任務から帰ってきた速見がよほど死んだような顔をしていたのだろうか。むしろ気遣う様子までみせるほどだった。





「・・・はは、世界を滅ぼす魔神に気遣われてちゃ話にならんな」





 惨めだった。





 今の速見はボロボロだ。





 だから何も考えぬよう、こうして昔を懐かしみながら猟などをして暮らしている。





 薪を組み、火を起こしてからその横で仕留めたデッドボアの解体をする。人間だった頃より格段に身体能力が上がっているせいか、解体作業は思っていたよりも楽に終わった。





(ああ、やっぱり俺はもう人間じゃ無いんだな)





 そんな当たり前の事実がこんな作業で分からされるとは思わなかった。何とも言えない気分になりながら、木の枝をナイフで尖らせて串を作り、ぶつ切りにしたデッドボアの肉をそこに差し込んでゆく。





 完成した串を薪の横に突き刺し、簡易的な串焼きの準備を整えた。コツは串を火に近づけすぎ無いことだ。焦げ付かないようにじっと見張りながら一仕事終えた速見は薪の横に腰を下ろした。





(こうしている間にも世界は滅びかかっているというのに・・・俺は一体何をやっているのだろう)





 頭ではこんなことをしている場合じゃ無いと分かっている。しかし心がついていかないのだ。





 そもそも速見は異世界から来たよそ者だ。この世界を救う義理なんて無くて・・・そして先の戦いで勇者が話していた情報を信じるのなら最早帰る場所すら無くなった。





 100年という月日、仮に元の世界に帰れたとしても家族も誰一人として生きてはいまい。速見の知る日本はすでに無くなっていたのだ。





(すでに帰る場所も無く、この世界にとってもよそ者だ・・・もう正義を気取る必要も無いのかもしれないな)





 そもそもクレアには命を救って貰った恩がある。何をすべきかもわからなくなった今、その恩だけでも返さねばならないだろう。





 それが空っぽの自分にできる唯一の生き方かもしれない。





 速見がぼんやりとそんな事を考えていると、肉の焼ける良い香りが辺りに漂いだした。





「おっといけねえ」





 慌てて肉の具合を確認する。





 どうやら少し焦げ付いたみたいだが、問題なく食べられそうだった。





 火から外した熱々の肉を頬張る。





 溢れる肉汁と、味付けのされていない野性的な肉の風味が口中に広がった。





「・・・・・・グルルル」





 速見が焼けた肉を堪能していると、野性の肉食獣を思わせる低いうなり声。そしてのっそりと茂みから姿を表したのは灰色の毛並みを持つ大型の狼。





 一匹だけでは無い、速見を囲むように一匹また一匹と現れてはゆだんなく速見の周囲をぐるぐると回り始めた。





(肉の臭いにつられてきたのか? だが・・・)





 残念ながら今の速見にとって、この程度の相手では敵にすらなり得ない。落ちついた様子で肉を嚥下すると残った串をポイと背後に投げ捨てて横に置いていた ”無銘”を手に取る。





「・・・犬っころども、残ったデッドボアの肉はくれてやってもいいが、俺に襲いかかるようじゃ命は無いと思えよ?」





 そう言い放ち、懐からタバコを取り出して口に加える。





 狼が大人しく肉を食って立ち去るなら良し。もともと一人では食い切れない量だ。野性の獣にくれてやるのもいいだろう。 





 のんびりとタバコに火をつける速見の姿が癪に触ったか、天性のハンターである狼はその鋭い牙を向いて余裕を見せている速見に襲いかかった。





「・・・ったく、死に急ぐ事もあるまいに」





 背後から飛びかかる狼の一撃を振り向きもせずに回避する速見。その右目は紅く輝いていた。





 素早く立ち上がった速見は、攻撃後の隙だらけな狼に向かって蹴りを放つ。





 人ならざる脚力によって放たれた蹴りは、優に100キロはあろうかという狼の巨体を数メートルほど吹き飛ばした。





 骨が数本折れたのだろう。死んではいないようだが痛みのあまり立ち上がれない狼を庇うようにして仲間の狼が速見の前に立つ。





「・・・ったく、やめておけよな」





 別に非殺主義という訳でも無い。





 手にした ”無銘”を構えようとしたその時、茂みの奥から一際大きな狼の遠吠えが聞こえた。





 その声を聞いた瞬間、速見の周囲を囲っていた狼たちの身体がぶるりと震えた。そして何かに怯えるようにその場から離れてゆく。





「・・・何か来やがるみたいだな」





 そしてソレはやってきた。





 ゆっくりと茂みをかきわけて姿を現したのは、白銀の毛並みをした一匹の白狼だった。





 大きさは先ほどの狼と同じほどだろうか。しかしその姿は先ほどの野性味溢れる狼と違い、品位と神々しさに溢れていた。





 知性を称えた薄緑色の瞳が速見をそっと見据える。





 速見は静かに無銘を構えながら相手の出方をうかがい・・・やがて何に気がついたように唖然と口を開けた。





「・・・・・・お前、太郎か?」





 その言葉を聞いた白狼は嬉しそうに近寄ってくると、速見の足に頭をスリスリとなすりつけ、懐かしいあの鳴き声をあげた。





「ワフッ!」






































「おかえり下僕。もう山ごもりは終わりかい?」





 久しぶりに帰宅した速見に、家の主クレア・マグノリアは柔らかな笑みで迎え入れた。





「・・・ああ、色々と迷惑をかけたな」





「おやおや、ずいぶんとマシな顔つきになったね。・・・もしかしてそこのペットのおかげかな?」





 そう言って速見の隣に寄り添った太郎の頭を撫でるクレア。太郎は眼を細めて嬉しそうに「ワフッ」と鳴いた。





「お腹すいたろ? ご飯にしようか」





 こうして速見はクレアの元に戻ってきた。





 足下に寄り添う太郎の体温が、その心を柔らかくほぐしてくれる気がしたのだった。














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