第5話 : 女子力レベル1
シルフはもふもふで、柔らかい。膝の上に乗せながら、ゆっくりと首元からお腹のあたりを撫でる。気持ちよさそうにしながら、ふと耳がぴくりと動いてこちらを見た。
「冷はその姿で、外出とかしないの?」
「え? 外出……?」
唐突な質問が飛んでくる。シルフはいつも、思い付いたら何かを始める癖がある。膝の上でごろんと半回転しながら、落ちそうになったシルフを、私は抱きとめる。とても温かい。
「外出か……」
この姿で外出する。それを考えた事は当然あるが、私にはどうしようもない悩みがあった。もし外出するとなれば、どうしても直面する問題でもある。
「どうしたの?」
結論から言えば、まず女性の普段着なんて持ってないこと。これが悩みのひとつ。
先日コスプレ衣装を買ってしまったが、それを着て外出できる訳もない。他には下着を含めて、変身した時にデフォルトで着ている衣装(いかにも魔法少女な服)しか、選べる選択肢がないことが問題なのだ。
だからと言って、某アニメに登場する猫型ロボットのように、助けを叫べば無い物を出してくれる存在もいない。シルフに言えば解決する可能性はあるが、正論で返されると困ることも中には存在する。
シルフは時々、私より頭が良いと感じる言動をする。おまけに物覚えもよく、全く知らないことを少しのヒントで理解していく柔軟性もある。
一例を示すと、シルフは文字が読めなかったのに、既にパソコンの使い方を覚えたり、前足を器用に動かして、パチパチとネットで調べ物をしている。
シルフの朝の日課は、前足でテレビを付けてニュースを確認し、ネットで国際から芸能まで幅広い分野の情報を集めては、パソコンのメモ帳にびっしりと書き綴っている。
一方で可愛い部分もあって、
「うん……えっと、なんでもない」
歯切れが悪い私に、シルフは不思議そうな顔をする。
悩み自体は単純で、女性の方が、男性より考えることが多く、知らないと戸惑うことが意外にたくさんあったこと。例えば、すぐ必要かと問われたら微妙だが、メイクの仕方すら私には分からない。
「何を悩んでいるの?」
「何でもないよ……」
「さあ、僕に悩みを打ち明けてみなよ」
目を背けると、シルフは腕の中で器用に顔を覗き込んでくる。不思議と、憎めないシルフの顔をみていると、意地を張ってるのが馬鹿らしく思えてきた。
「実は、服のことを悩んでて……」
私は今、魔法少女である。魔法少女は変身すると、既に衣服を身につけている。それは下着や装飾、靴下まで完璧に着こなした状態でだ。もし違う服を着たいとなれば、そこから先は自分で着替える必要があった。
「当たり前だね」
問題は、私が男であることに由来する。変身した後の性別はともかく、精神的な性別は、完全に男なのだ。だから、知らない事が多すぎた。
例えば、既に着ている上着を着替えることは問題ないのだが、下着を変える事ができない。恥ずかしさもあるが、新しいデザインの下着を選ぼうとしても、サイズを測ったことも無ければ、どのようなお店に行けばいいかも分からない。
通販で全てが揃う時代だと言っても、通販で購入するまでに必要な情報が不足しているのだ。サイズと、あとは付け方も。
「この前、衣装買ったんだけど、適当に買ったらきつくてさ……。その……動きにくかったんだ」
「そんなの、お店に行って測ってもらえばいいじゃん」
シルフは簡単に言う。
「
まさに正論であり、反論する余地など残っていない。だが人間は、感情に左右される生き物なのだ。思っていても、実行できるかは別問題なのである。
「でも、外に出るのも恥ずかしいし……」
「ネットで配信してて、何言ってるの? 既に不特定多数の人に見られてて、それ以上に恥ずかしいことなんてあるの?」
「それは……」
後悔している訳ではないが、シルフが言うように、ネットでは既に姿を出している。観衆が目に見えるか、見えないかの違いでしかなく、そこに大きな隔たりは無いだろう。少なくも表面的には。
しかし、私も言い返す言葉がある。
「それに……いきなり私が近所を出歩いたら、絶対に目立つよ」
「……」
シルフの顔に、微かな笑みが浮かんだ気がした。まるで、ちゃんと理解してるねと、褒めているかのように。同時に、楽しそうな光が目の奥に宿る。
「なら……空間転移してみる?」
「っ!なにそれ、面白そう」
前のめりに食いつくと、シルフが説明モードに入った。こういうシルフは、学者気質で少し面倒臭い部分があったりする。だから、机の上に置いて少し距離を取る。
「冷が使える魔法について、具体的に説明しておこうか」
一部、小さくて聞き取れなかった部分はあるが、要約すると次のようになる。
まず魔法少女には、他人の認識を歪める魔法があると言う。例えば、見えているのに見えていない、目の前にいるのに、存在を感知できない、などである。
それには明確な弱点があるらしく、監視カメラのような映像技術には、全く効果が無いらしい。
「だけど安心して! 冷にはいくつか、特殊な魔法を用意したから」
声を潜めて、どこか自慢するようにシルフは語り始めた。
「初耳だね……」
「まず、冷は空間を飛び越える魔法が使える。分かりやすく言えば瞬間移動やワープ。僕は逃げる為に、同じ魔法を使えるんだけど、冷にはそれを標準で使えるようにしたんだ。少し代償が重いから、普通の魔法少女は使えないんだけど、冷なら問題が無いと思う」
「代償?」
頷きながら、シルフの話は止まらない。
「空間を飛び越える場合、魔法少女は少し若返る」
「若返る?」
「それも変身した後の体ではなく、変身する前の体が」
「なるほど」
世界中の若さを求める人達が、喜びそうな効果である。口には出さないし、興味もないが。
「うん。別にすぐ体感できるほど若返ることはないんだけど、戦闘が起きて魔法を乱用したらどうなる? 最悪の場合、日常生活に支障が出るほど幼くなってしまう可能性がある。だから普通は、魔法少女は時空に作用する魔法を使わない」
そこで、シルフが何を言いたいかを理解する。魔法少女は普通、十代の少女しかなれないと前に言っていた事を思い出した。私を例外として。
「まず最初に言っておくと、冷は戦闘なんて考えなくていい。襲われたら逃げること。逃げる為に必要なのが『転移』で、
「………分かった」
「本来、魔法少女は戦う為に存在するけど、戦う為に『空間転移』なんて魔法を持たせたら、強い力だから絶対に使う。敵が増えれば増えるほど、倒していけば倒していくほど、何度も何度も使う場面になっていく。そうすると、デメリットがいずれ勝ちすぎる。若い者ほど、目に見えて若返ったら生活に支障が出てくる」
これは相対的な問題だとシルフは言う。確かに十代と二十代では年齢に対する重みが違うだろう。場合によっては、誰が見ても気付くほど周囲へ違和感を与える。そういう意味で、もうすぐ三十代になる私が使っても問題が少ないのは理解できる。
「一応、極端な例だから勘違いしないで欲しいのは、転移の魔法を一回使っても、およそ一週間くらい肉体が若返るだけだから」
一週間というのは、確かにそれなりの代償だと感じたが、それとは別に、シルフは何かを躊躇うように言葉を濁す。
「それと……」
「なに?」
「近い内に少し、東京の都心部に空間転移して欲しいんだ。外出のついでにね。あとは、僕も一緒に付いていきたい」
「ん? 別にいいけど」
珍しいことに、シルフから頼みごとをしてくる。東京へ行く事に異論はなかったが、シルフは外出を避けていた節があるので、少し意外に思った。
「今度の週末でいいかな?」
「もちろん」
さすがに、今日いきなり出かけるのは不安だったし、シルフと次の休みに行こうと話し合う。少し前に、通販でコスプレ衣装を購入したので今更ではあるが、いきなり店頭で下着を買いにいく勇気もなかったので、心の準備をする時間が欲しかった。
ふと、財布を取り出して気づいてしまった。
「あ……。さすがにこれは、持っていけない」
財布も、せめて少女が持っていても不自然ではないものを、買う必要があるだろう。さすがに、今の無骨なデザインの財布を、そのまま使う訳にはいかない。
「服にも、お金がかかりそう……」
服も今まで、安いもので済ませていたが、これからは出費が大幅に増えるかもしれない。可愛いデザインの服は、意外と安くない。
「女性って大変なんだね」
そんな言葉とは裏腹に、私の内心は乗り気だった。今から週末が楽しみで、どこに行こうか頭の中で計画を練り始める。都心とは言っても、どこに転移すれば一番問題が少ないか?とか、最初に着ていく服はどうするか?とか。考えることは多かった。
やはりセミフォーマルな服にして、適当に着れるサイズの服を最初は着ていくべきだろうか。それなら、女子力が低い私でも、かろうじて通販で合わせて買えそうではある。
色々、自分に言い訳をしてきたが、断じて自分から外出したいと考えた訳ではない。下着のサイズや付け方だって、極論すれば自分で測ったりネットで調べられるとは、思わなかった訳ではないのだが、自分の中にある不思議な欲求を、素直に認めるのが怖かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます