20-2 嘘の月

「もしかして外に出たいのですか?この結界を外せたらいいんですが……私は術が得意じゃないのです。だからいつまでもこの屋敷にこうやってとどまってしまって……」


 金髪の男は結界に近づくとそっと触れた。すると、ばちっと静電気のようなものが光る。男は「ほら、そうでしょう?」と言うと肩を竦めてみせた。


 陽桜李は三日月のような目で笑う男の背後で、月明かりに赤く染まる兎山の屋敷を見つめる。


(機織さんとの連絡は途絶えた。では、やっぱり、それ相応の術が使える人を探さないと、外には──)


「八雲お父さま……」


 陽桜李はやるせない気持ちで八雲の名を呼んだ。


「あの、突然ですが、黒の着流しの男性を見ませんでしたか?私の父が居ると聞いたのです」


 陽桜李は目の色を変えて男に聞いた。


「お父様がこの屋敷に?おかしいですねえ、最近ここには誰も来ていないのですよ」

「……あなたは人形師?」

「人形師とは……人形職人のことでしょうか?」

「多分、そうだと思うけれど……」

「私がですか?めっそうもない!生まれつきの不器用でして……人形が作れるなんて凄いです、そのような人が居るならぜひ私も会ってみたいですねえ」

「どういうこと……?じゃあ兎山の屋敷には人形師は……居ない?」

「聞いたことありませんねえ」


 ひたすら首をかしげる男に陽桜李はこれ以上は聞いても彼を困らせるだけだと諦める。男は「うーん」と唸りながら自分の記憶の中を懸命にたどってくれているように思えた。


「どうして人形師をお探しなのでしょうか?」

「ある人が、機織という方が、私に忠告したのです。人形師には気をつけろと──」


 陽桜李は男から離れて橋の手すりから身を乗り出す。まるで墨汁ぼくじゅうのような水面に映る陽桜李は、さきほどよりはひどい顔をしていなかった。


「出会ったばかりで貴方のお友達を悪く言うのは失礼だと思うのですが……その方、ところどころ情報が間違っていませんか?」

「え?」


 男の静かな声に陽桜李は振り返った。男はそっと陽桜李の隣に寄ると空を見上げた。


「お父様が居るだとか、人形師に気をつけろとか、あいまいなことばかり言っていますよね?でもその方はもうこの屋敷に何年も居ない。どうしてそんな事が分かったのでしょうか?その……機織という方、どこまで信用できるのでしょうか?」


 男は優しく言った。ぜんぶ言い終わったあとに「……すみません」と眉を下げて謝る。陽桜李は「いいえ!」と自分に深々と頭を下げた男に顔をあげるように言った。

 男は初対面でありながら陽桜李をことを心配してくれているようだった。心細い今の陽桜李にとっては男の親切が身に沁みる。


「……機織さんを疑いたくない。だけど、少しなにか勘違いはしているかもしれない。とりあえず、人形師は居ないとあなたから聞けてよかった。でもお父様が居ることは十詩という女から聞いた……それだけは、確かだと思います」


 陽桜李は視線をすこし落とすが、すぐに真っ直ぐな目になって強く言った。

 

「そうですか。では、一緒にお父様を探すお手伝いをいたしますよ」

「……本当に?助かります!ありがとう」

「ちなみに人形師のお名前は聞いていますか?なにか手がかりがあれば……協力しますよ」

「あっ、そういえば……名前までは教えてもらえなかった」


 陽桜李がぽつりと言うと、男が急に黙った。穏やかな笑みが一瞬、消えた気がしたのだ。


 ──なんだろう?


 陽桜李は不思議に思う。


「そうですか……。私の名前は紫苑といいます。よろしくお願いします、可愛らしいお嬢さん」


 紫苑はまた笑顔を向けてくれる。陽桜李も微笑みながら頷いた。


 ぴちゃん。


 水の音が鳴った。


「……今、川から音が……?」


 陽桜李は橋の川をながめた。なにも落ちていないのに黒々とした川の上には波紋がいくつも広がっている。


「……ああ。この川はこの世とつながっているのです。たまにここから迷い込むことがあるんですよ」

「迷い込む……誰が……?」

「さあ……川で溺れた死人とかじゃないですか」

「死人……」


 陽桜李はぞっとして紫苑の言葉を繰り返した。その時だった。どこからともなく紫色の蝶が彼の前にひらひらと飛ぶ。


「なんだ。ただの蝶か」


 紫苑は冷たい声で言うと蝶を捕まえようとした。だが、蝶は紫苑の手を避けると、陽桜李の背中に止まった。陽桜李はそれに気付いていない。

 紫苑が口の中でした小さな舌打ちは、陽桜李には聞こえなかった。


「さて。屋敷にご案内いたしますよ」


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