19-2 ある従者の祈り

「ほう。生前はじゅつは得意でなかったのですが……ひきこもって勉強してると上達しますね」


 その声は小鳥のさえずりのようにうららかであった。


「まさかみずから影彦様にぴったりの憑代よりしろが来てくださるとは……」


 兎山の従者であった紫苑は、かつて与えられていた屋敷の部屋に居た。その部屋は薄暗く紫苑の道具であふれかえり、さびと木の匂いが鼻についた。

 紫苑は職人の頃に使用していた布の薄い黒の手袋を、口で噛んですっと取る。

 自分の"完成品"をうっとりとして眺めると、美しく細い唇をにやりと歪ませた。


「影彦様。起きてください。恋墨の娘がやってきましたよ……劉条とそっくりのその"からだ"で屈服させてください」


 紫苑が嬉しそうに言った。


「…………紫苑か。"久しぶりだな"。皆のものはどうした?」

「もうこの屋敷には私だけです。十詩は森を守り滅びました。機織は協力する気なし。まあ、あの人は昔から気が弱かったですからねえ」

「まあいい。お前が残ってるだけでも心強い」


 そう紫苑に返事する男は茶色のロッキングチェアに揺られて座らせられていた。


「……ところで、あの恋墨の娘、かわいいですねえ。影彦様にこんなこと言うのも失礼ですがね。私は恋墨様の"顔"は好みだったんですよ。でも"サイズ"が少し大きすぎた。恋墨様がもうちょっと小さくなったらいいのにとずっと思ってた………あの、ちょうどいい"サイズ"だなあ。いいなあ、いいなあ、"欲しいなあ"」


 紫苑は満月の光が差し込む窓辺に行く。屋敷の橋の先を見つめながら早口で言った。


「私のお人形さんになってくれないかなあ」


 雲の間から現れた光が紫苑の真っ白な肌に当たる。月は白くなかった。兎の目のように赤く染まっている。まるで紫苑の頬には血が流れているようだった。


「……勝手にするがよい」


 そう言い放ってロッキングチェアから立ち上がった真っ黒の着流しの男の姿は──八雲そのものであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます