18-2 はたおりの糸


 ぽつ、ぽつ──。

 頭上から顔につめたいものが当たる音で目が覚めた。小雨になった雲間からのかすかな陽射しが眩しくて目を細めた。陽桜李はいつのまにか朽ちた柱に寄りかかって眠っていた。自分で行った覚えはない。馬のヨキが目の前で待っていて、陽桜李を心配そうにして眉を下げている。


「陽桜李様、気がつかれましたか」


 静かに自分を呼ぶ声がした。だが瞬時に陽桜李はさっきまで見ていた悪夢がよみがえって目を大きく見開いた。


「いや!いやあ!」

「どうか気をしっかり持って」

「私が殺した!私が、お兄さまを、おじさまを!お父さまを!」

「大丈夫です。安心してください」


 暴れる陽桜李を落ち着かせようと、目の前に男が現れた。陽桜李は見覚えのある人物に、われにかえった。


『黒い桜を切れるのはこずみの娘だけ──あなただけだ、陽桜李』


 八雲邸の庭先で自分にそう言った咳をする男だった。


「……あなたは、たしか……」

「八雲様の屋敷の元住民でした。お化け屋敷の主人なんて呼ばれておりましたが、八雲様の手であの見事な家に……まあ、そんな話はもう今はいいでしょう」


 男は相変わらず顔色が悪く髪をだらりと伸ばしていた。腰の曲がった歩き方をしながら、ごほごほと咳をしている。ふうと一息ついて陽桜李の隣に座ると、ぼんやりとした瞳で荒れ果てた屋敷から差す日の光を見ていた。


「八雲様は確かに兎山の屋敷に行きました」


 男は格好は不気味であるが、陽桜李に優しく笑いかけた。陽桜李は男の言葉にはっとして勢いよく起き上がった。


「どこに?!これのどこにお父さまが居るというのですか!からかうならやめてください!」

「落ち着いてください。風見様も琥珀様も大和様も無事です」


 陽桜李は「えっ……」と気の抜けた返事をした。どうしてこの男がそんなことを知っているという感情が先だった。男は陽桜李の気持ちを察したのか話を続けた。


「……私の名は機織はたおり。実はこれでも兎山の上級従者をやっておりました。仲間だった身として十詩のことは詫びます。許してくれとは言いません。あの者はお坊ちゃまの忠誠心が強すぎるがゆえ、好き勝手にやり過ぎました。滅ぶのが妥当でしょう」


 陽桜李はどんどん衝撃的な事実を告げられて頭が追い付かなくなる。


「十詩が滅んだ……?どうやって?」

「……弓子というただの幽体がまさかあの十詩をねじ伏せるとは……。しかし無事ではなかった。もうこの世に未練はないから後悔していないとおっしゃっていました。陽桜李様にお礼を伝えてほしいとのことで、私は、今ここに」


 陽桜李は「ああ!」と悲痛の声が出た。一気に両目から涙があふれる。


(──弓子が、弓子が、消えた)


 陽桜李は八雲邸に来たばかりの頃を急に思い出した。文机の下にひそんでいて、大和のことに必死で、二枚目好きでよく八雲と琥珀をからかっていた。最初は勝手に友達と名乗っていたが、今では陽桜李にとっても大切な人だった。


「……ゆみこ……ゆみこ……」

「母は強いですね。おかげで大和様も大丈夫ですよ」


 お別れを言えなかった弓子に天にまで届くように名前をひたすら呼ぶ。機織は陽桜李を慰めるようにそう返した。

 しばらく陽桜李はぐずぐずと泣いていた。ヨキが鼻を伸ばして陽桜李の頬を撫でた。陽桜李もここまでよくやってくれたとヨキの頭を抱き締める。


「……陽桜李様、兎山の屋敷にご案内いたしますよ」

「……案内?」


 機織はすっと立ち上がると体を浮かせながら陽桜李の前を通り過ぎていく。陽桜李はぽかんとして機織のやっていることを見つめた。機織は穴のあいたボロボロの障子をいくつか開ける。するとなんと障子の奥に襖が出てきた。襖はこの雨に濡れて朽ちた屋敷のものとは思えないほど綺麗な状態だった。何枚も何枚も襖を開けたあとに、やっと、とため息を吐くと機織は手を差し伸べた。


「あの世とこの世の狭間はざま……常世とこよです」


 陽桜李はおどろきの光景に目を丸くした。襖の奥には真っ暗であるがうっすらと何かが見えた。橋だ。その先には巨大な日本屋敷があった。


「……まさか!あれが、兎山の屋敷?」

「ええ」


 陽桜李は襖を覗き込む。機織はゆっくりと頷いた。


「い、今、あ、あの世って……?」

「驚かれているようですが既にここもその境界線。戻るなら今しかありません。しかしこの先に八雲様が行ってしまわれた」


 機織は困った顔で言った。


「そんな……八雲お父さまはあの世に入ってしまったというのですか?屋敷にはなにが?風見おじさまは刀といっていたけど……」

「兎山の宝物ほうもつがあります。一族が滅んだ際に従者達わたしたちがこの空間を作りあげ、封印いたしました」


 機織が襖の先に手を伸ばそうとして、そっと降ろした。兎山家に居た頃を懐かしんでいるような身ぶりであった。


「影彦坊ちゃまは、兎山家に残るある守護刀に、桜の解呪かいじゅの術をかけました。八雲様は恐らくそれを探しに……」


 陽桜李は真剣に機織の話を聞いていた。


「常世にはそれ相応の霊能力がなければただではすみません。そう簡単に人が行ける場所ではないということを承知の上でご覚悟を決めてください」


 ごくりと陽桜李は唾をのむ。自分が人ならざる者だとはいえ此処まで来るのにもやっとだった。ここは目標地点ではない。屋敷に入ってからが始まりなのだ。

 しかし陽桜李は迷わなかった。


(──兎山の屋敷は存在した!そこに八雲お父さまが居るのなら!)


 そう考えるとさっきまでの絶望感がうそのようだった。陽桜李はヨキの前に行った。「少し休んだら耳塚邸まで戻れる?」と聞く。風見たちの助けを呼ぶように命令した。賢いヨキは鼻を鳴らすと颯爽と霧の中を走っていった。


(──もう自分に戻る手段はなくなった)


「……機織さん、ありがとう。私は大丈夫です。……絶対に皆のもとに戻ってきます」

「私などお礼を言われるような立場ではありません。……兎山家でやってきたことはいくら坊ちゃまのためとはいえ非道極まりなかった。今さら罪滅ぼしする気も起きません」

「でも私は貴方のおかげで救われた。それだけでいい」


 陽桜李は襖の前まで行くと笑顔を向けた。機織に深々と頭を下げると闇の中へ入って行く。


「……最後にひとつ。屋敷に居る“人形師”にはお気を付けください。あの者も生前は厄介でした」


 振り返った瞬間、機織がぽつりとなにかいった気がした。

 

(──人形師?)


 そう疑問に思っている間にも、陽桜李はぐらりと視界が歪んでいったのを最後に──兎山の屋敷の空間に消えた。



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