15-1 森の女

「大和お兄さま。見て……霧の中なのにお花が咲いている」


 陽桜李は満開に咲く鬼百合の花を指差した。ヨキがひずめで踏みつぶしている。花を避けて通れないほどに鬼百合でいっぱいの地帯を歩いていた。


「ねえ、聞いてる?」

「あ、あぁ……」

「本当に?」

「う、うん……」

「大和お兄さま……だから言ったのに……もうここまで来たら戻れないですよ」


 顔が青ざめている大和に陽桜李は心配になる。思わず振り返った。風見が先頭を陣取り、次に陽桜李と大和、そして最後に琥珀が進むことになった。青く包まれた空間に目を凝らして見渡す。風見も琥珀の姿はもう何処にもなかった。


「な、なぁ……俺だけ?今さ、変な声が聞こえたんだけど……」


 大和がやっと喋りだした。


「え?声?」

「女の声だよ。鬼百合だ、兎山が、とか……言ってたような……」


 大和は心細いのか小さい陽桜李をぬいぐるみのようにぎゅーっと抱きしめる。ヨキが寒さから「ぶしゅっ!」とくしゃみをしたのに大和が耳元で「うわあ!」と叫んだ。


(……私が言えたことじゃないけど……どうしよう、大和お兄さま、変。やっぱり大和お兄さまは置いてきたほうが良かったのかもしれない……)


 陽桜李は自分より年上のはずな大和に軽くため息をついた。


『そうねぇ……このオトコがいちばん“美しい“わ』


 突然、キーン……と耳鳴りがした。ねっとりと体に絡みつくような女の声が聞こえたのだ。


『知ってるかしら。人なさらざるお嬢さん。ひとは美しいとね、“もろくなるのよ”』


 陽桜李は確実に自分に話しかけられたことにはっとして、頭をぶんぶんと振った。


「き、聞こえました!たしかに今、女性の声が!」

「だ、だろ?!でもどこから……?人なんて見えないし、声が聞こえるほどの距離に誰も居ないのに……?」


 大和が慌ただしく騒ぎだす。陽桜李は「ヨキ!止まって!」とヨキに声をかけると馬を止めてしまった。


『名前は琥珀というの、良いわねぇ、“食べてしまいたいくらい“。影彦お坊ちゃまが生きていたら“差し上げたのに“』


 陽桜李は女の言葉に一瞬だけ息が止まった。

 最後に来るはずの琥珀が霧の中に入ってきたのだと気づいたのだ。


「なに?なに言ってんだ?この女……」

「……琥珀お兄さまが!危ない!大和お兄さま!戻りましょう!琥珀お兄さまに来てはだめと、伝えないと……!」

「で、でも振り向いちゃいけないんだろ?!」


 陽桜李は必死になってヨキを来た場所から戻そうとした。それを大和が止める。陽桜李は自分の行動にはてと疑問になる。

 陽桜李はさっきまで大和が怯えているのに呆れていた。今更もう戻れないと進むことだけを考えていた。なのにだ、自分は今、大和より戻りたがっていた。


「……そういうことなのですね」


 陽桜李は苦虫を噛み潰したような悔しい気持ちになる。


「大和お兄さま、この女の話は聞いてはいけない。どんなことでも無視しなきゃいけない。でないと兎山の屋敷には……」


 陽桜李は風見が言っていたことを思い出す。20年、兎山の屋敷に辿り着けなかった。その原因は──この森の女の声。


「……だろうな、風見おじさんが言ってたことって……」

「声を聞く前に早く進みましょう」

「お、おう……」

『……残念ねぇ、せっかく好きなが出来たのに、“また裏切られたのね“』


 ──聞いてはいけない。


『お母さんにも“裏切られて”、妹にも“裏切られた“、もう女なんていやよね、女なんて、女なんて、女なんて……どう?あの娘をうばってしまうのは?いい案でしょう。自分を選ばなかったのがわるいんだから、みんなみんないらないでしょ、あの子の気をひくような男はいらないでしょ、この世には』


 ──お願い、お願い、聞かないで、琥珀お兄さま。


『手始めに“弟”を殺してごらんなさいな、手伝ってあげる』


 ぴたりと動きが止まったのは、二人とも同じだった。陽桜李は大和をちらっと見上げる。大和もコクリと頷いた。


 ──聞こえる。足音が。


「おい、うそだろ……まさか」


 カタッ、カタッ、と速度のある音が間近に迫ってきた。青い闇の中で見えた人影に陽桜李は口を抑えて「そんな!」と絶望した声をもらした。


「琥珀っ!」


 大和の懸命な呼び声を最後に陽桜李たちは馬から落ちた。びしゃっと頬に湿った地面の泥がかかる。横たわった陽桜李がなんとか顔を上げると、目の前には体当りしてきた馬に乗り、自分たちを見下ろしている琥珀が居た。

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