10 跡継ぎ問題


 女中たちがきびきびと働いて夕飯を運んでいる。豪華な食事が黒檀こくたんの座卓の上に並べられた。とても美味うまそうだ。あたたかな白飯の香り。かりっとあげられた天ぷら。刺し身の盛り合わせを見ていると、八雲は唾が口の中で出てきて、ごくりと飲み込む。


『いいなあ。いいなあ』


 なにかの気配を感じた八雲は眉をひそめる。いつの間にか居間に侵入してきた男の霊が隣に座っていた。だらしなくよだれを垂らしながら、指をくわえて食卓をじ──っと眺めている。


『俺んちビンボーだったからこんな食事、死ぬ前に一度でいいから食べたかったなあ……』


 それは誰でも思うかもしれないと同情する。自分が死ぬと一日でも前に分かっていたら、好きなものを食べまくるだろう。

 八雲は上座かみざに居る、父親の正嗣をちらりと見る。彼の前で失礼なことはできない。ぎゅっと目を閉じ、黙って無視を決め込む。


『なあ、一口でいいからくれよ』

「……」

『くれよぉ、けち、けち。くそぉ、金持ちは冷たい!お前だって親の財力がなければただの無一文むいちもんなんだぞ!ありがたくおもえ!』

「……あっちいけよ!父上の前だぞ!」

『タベタイ……タベタイ……』

「人は死んだら食べたくても、もう食べれないんだよ!」


 八雲の大きな声が居間中に響き、はっとする。

 食事の用意をしていた女中が不思議そうな顔でこちら見る。目が合った彼女らは「八雲さま、し、失礼しました」と気まずそうに出て行った。自分たちが怒られたと思ったか。違う。八雲の霊能力の噂を知っているのだ。


「お得意の”おばけごっこ”か、八雲、お前もまだ子供だな」


 霧夜がにやけた笑みを浮かべ、八雲をからかった。

 それは決して兄弟仲からくるものではなかった。


「おい、自分の弟に対してそんな言い方ないだろう」


 風見が厳しい口調で霧夜に言った。しかし霧夜は負けじと風見を睨みつける。


「耳塚家はもう霊能力だとか馬鹿げた一族ではないんだ!ふざけたことをするのもいい加減に……」

「二人とも、やめなさい」


 正嗣がぴしゃりと言った。おだやかな人物ほど怒るときは恐ろしい。とくに強い語調ではないのに、彼の一言で二人は一気に静まり返る。


『うーん……なんか俺、邪魔しちゃったな』


 男の霊がこの家族の異様さを感じ取ったのか、罪悪感をもったような顔をして、ふわりと消えた。



「父上、俺は院には行かず、卒業したら直ぐにでも家業を手伝うつもりです」


 八雲は霧夜の必死な説得を右から左に聞き流していた。霧夜は目の前の食事には全く手をつけずに、一方的に正嗣に語り続けている。


「俺は院で研究したいです」


 風見が天ぷらを口にしながら行儀悪く言った。

 八雲は風見の要望に眉をひそめる。彼は留年しそうだと言ってなかっただろうか。


 ──女だ。

 八雲は気付いてしまった。

 美人な女教授のことを嬉しそうに話していた。風見の目的はつまりそれである。女のために耳塚家の金銭を貢いでるのと同じではないか──。

 呆れた視線を風見にぶつけると、彼は内緒だと言うように片目を閉じる。

 八雲は少し残念な気分であった。風見が大学の寮に居る二年間、寂しい思いをしてきた。彼が大学を卒業して父親の手伝いをすれば家に帰ってくる。しかし、風見は本当に耳塚家というものに興味がないのだろう。彼がそう言うからには研究者になって大学から戻ってこないような気がした。


「……まあ、二人ともゆっくり考えなさい」


 霧夜と風見はおもわず顔を見合わせる。互いに考えていることが同じだったのか。正嗣が、今日、どちらに跡を継がせるか決めるのだとばかり思いこんでいた。しかし肝心の父親は、無言でひたすら食を進めている。


「……父上。あの、今日は何のために俺たちを呼び出したのでしょうか」

「久しぶりに家族全員で夕飯を共にしたかった。それではいけないかな」


 二人の兄は目を丸くすると、どこか反省したような顔でうつむいた。


『美味しいか?』


 八雲は聞き覚えのある声に隣を見る。さっきの男の霊が微笑ましく話しかけてきた。


「美味しいぞ、みんなで食べるご飯は、美味しいんだ」


 八雲が男に笑顔で言った。彼は父と兄に言ったつもりではなかった。しかし自分よりも年下の小さな子供が、無邪気に発したその言葉に、兄たちは深く考え、父はやわらかく笑みを浮かべた。


『うん、良かった良かった、生きていればご飯は美味しいよな、生きてるっていいなあ』

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