10-2 淡い想い



 あれから風見と宿で二泊した。二人で何をしてたかと言うと特に何もしてなかったというのが正しい。憂うつな気持ちで寝てばかりいる陽桜李を、風見がとがめることもなかった。夕方になって起きてみれば風見は眼鏡をかけて、窓際のテーブルで一人で黙々と資料を眺めては執筆をしている。彼に言わせると論文といって自分が勤めている大学の講師の仕事のうちなのだそうだ。

 風見に勧められて個室の温泉というのに入っては体を癒した。あんなに嫌いだった風呂はもう一人でも入れるようになっていた。


 風見は陽桜李に干渉しない。だから一緒に居て楽だ。籠の中の鳥が外に飛び立ったような自由な気分だった。

 八雲のことを考えようとすると苦しい。だけど風見と普通の世間話をしていると忘れられる。


 琥珀や大和が作った家庭料理ではなく、宿の者が特別にこしらえる懐石料理を口にしながら、風見と笑い合う。


「陽桜李、このあとに温泉街に行くか」


 風見が夕食時に一口、酒を飲むと言った。

 陽桜李も浴衣を着ていた。風見が頼むと女中がわざわざ持ってきてくれた薄い桃色のを何着か用意してくれた。


「温泉街?」

「そんなに大きなところじゃないけどな、風情はあるだろ」


 陽桜李はたいの刺身を醤油につけながら頷いてみた。

 


「きれい……!」


 風見が連れて行ってくれたのは宿からだいぶ歩いて離れていた温泉街。こじんまりとしていて木造旅館が立ち並ぶ。夜に照らされるライトが絶景だった。まるで極楽浄土に来たかのようだ。


 赤茶色の橋の上には川が流れている。

 ──この川は涙川、否、ヒオリ川から来ているのだろうか。

 陽桜李はふとそんなことを思い出して首を横に振った。


「おじさま!あれなに?」


 陽桜李は興味深く辺りを見渡すと嬉しそうに言った。


「ああ、あれは射的だな」

「射的?」

「やってやろうか。なにが欲しいんだ?」


 屋台の男性が「らっしゃい!」と声をかけると明るく微笑みかけた。風見が鉄砲を持って片目をつむる。陽桜李はそれを真似してもう一本の鉄砲を持って、大きなうさぎのぬいぐるみを見据えた。


「いい!私やる!」

 

 陽桜李はコルク玉を入れると、ぬいぐるみに向かって引き金をひいた。ばんっと大きく音が鳴ると一発で当たり、ぬいぐるみが落ちる。


「おお、上手いな、陽桜李」


 風見は陽桜李の頭をくしゃりと撫でた。さりげなく屋台の男性に千円札をわたす。


「釣りはいらん」

「いや、射的にしちゃ高すぎますよ」

「あれ大物だろ、一回で貰われちゃ商売にならねぇ」


 風見はこそこそと男性の耳元で話した。


「お嬢ちゃん、かっこいいお父さんだねぇ」

「うん!」


 男性はぬいぐるみをあげると元気よく笑って言った。陽桜李ははしゃぎきっていて反射的に返事をしてしまった。陽桜李はハッとした顔をすると思わず口を噤んだ。


「……行こう。陽桜李」


 風見との間に気まずい空気が流れる。陽桜李はうさぎのぬいぐるみを抱き締める。うさぎの赤い目がこちらを見てこう言ってる気がした。


『ウソツキ』



 その日の夜の宿。陽桜李はうさぎのぬいぐるみを抱き締めたまま布団にもぐった。隣で風見が寝相わるくいびきをかいて先に寝ている。陽桜李は風見のそんな顔をながめる。

 同じ男性でも風見を見ていても苦しくならない。今、八雲と一緒に寝ると考えると陽桜李は絶対に出来ない。八雲が隣に居ると思うだけで体が熱くなる。きっと八雲はいびきはかかない。死んでいるかのように寝息が静かだろう。だけどそのわずかな八雲の息をそっと聞こうとする。きっとそうする。


「ちょっと!陽桜李!どうして帰ろうとしないの?!」


 陽桜李は聞き覚えのある声に我に返った。起き上がると弓子が「やっと見つけた!」と言いながら布団の上に乗っかっていた。


「弓子……」

「八雲様に場所を伝えろって命じられてるの!風見様ったら八雲様に……とんでもないことを……あなたを引き取るなんて言ってるのよ!八雲様が血眼になって探してる!」

「……私がお父さまにそう言ってって、おじさまにお願いしたの」

「な、なんですって?!」


 弓子から目を逸らすと陽桜李はうつむく。


「……疲れちゃった。もうお父さまと一緒にいるの、疲れちゃったの。ヒオリさんとか絹代さんとかみんな、みんな……考えると……苦しいの。だからもういい。ここにいる」


 陽桜李は潤んだ目で真っ直ぐと弓子を見つめた。


「私、風見おじさまといっしょにいる」

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