8-1 次男の帰還

 

「お嬢ちゃん、大丈夫かぁ?うなされてるぞ」


 まだ日が昇ったばかりの薄闇の中で鼻につんとくる匂いがした。陽桜李はうなりながら目を閉じたまま寝返りをうった。足にごつん、と何かが当たる。なにかがおかしい。

 自室に敷いてある布団の範囲が狭く感じる。

 陽桜李は眠たげに目をあけた。

 横に見知らぬ男が寝ている。


 陽桜李はびっくりして飛び上がった。


「……おじさま、誰?」


 ぼさぼさの茶髪に無精ひげを生やしている男がだらしのない寝相でいる。陽桜李が思わず「おじさま」と言ってしまうほど年をとってそうだがやけに品のある端正な顔立ちをしていた。しかし清潔感はまるでない。


「俺?俺かぁ?俺は誰のものでもないさ」

「なにを言ってるの?」

「というかここは何処だぁ?俺の部屋は?」


 男は呂律がしっかりまわってなかった。陽桜李は起きた時に嗅いだ匂いに鼻をつまむ。これは酒の香りだ。時々、八雲が夕飯時に飲んでいるのと同じ。でもこんなに人に匂わせるほど彼は飲まない。


「わかった、これは夢なんだな」


 男に腕をひっぱられて布団に戻された。


「……そっか。まだ夢の中……」


 陽桜李はこの光景だけで疲れて思考がうまく回らない。ただでさえ自分が別の女性に成り代わっている不思議な夢を見たというのに。そうか。まだおかしな夢の中にいるのだ。陽桜李はそう思ってもう一度ゆっくりと寝ようとした。


「おっ、金色夜叉を読んでいるのか。お嬢ちゃん乙だねぇ」


 男は今度は起き上がってごそごそと人の枕の下を探り始めた。陽桜李は大きくため息をついて面倒くさい絡み方をする男だと思った。


「でもこれは……あんまりお嬢ちゃんの年で読むものじゃないぞ。さては親に隠れて読んでいる」

「別に隠してない」

「じゃあなんで枕に隠してるんだ」


 問い詰められて陽桜李は胸が妙な音で鳴る。言われてみれば確かにそうだ。実際に陽桜李は無断で八雲の書斎から借りた。八雲に読んでいい本なのかどうか聞いてない。

 男に惑わされる。気にしていなかった事なのに八雲に怒られたらどうしよう、と。


 陽桜李は少しだけ冷や汗を流しながら無言で「お願いだ、ひみつにしてほしい」という視線を送る。男は理解するとにやりといやらしく笑った。


「わるい子だ。お嬢ちゃん……よく見たらべっぴんさんだな」

「……べっぴん?」

「可愛いって意味さ」


 男と変に視線がばっちりと合う。彼が布団の中で自分を押し倒すような格好になったからだ。すると男は陽桜李の白い首筋にそっと口づけを──。


 陽桜李は瞬時に枕元にあった本で男の頭を殴った。しかも角のほうで思いっきり脳天を刺した。


「そこまでです。……これ、夢じゃない」

「ううん……目が覚めた。どうやらお嬢ちゃんの感触からしてそうだな。すまん。たぶん部屋を間違えた」

「……今の一発でゆるします。お互い起きましょう」

「八雲が本気にしたらまずいしな」


 男はしっかりと目を覚ますと途端に冷静になる。

 陽桜李は起きようとすると突然、夢の名残りで頭がずきずきと痛み出した。気を失ったかのようにばたん、と布団の上に倒れてしまった。


「おい、お嬢ちゃん、大丈夫か?」


 目を大きく見開いたまま息を荒げてしまう。男がそんな陽桜李をおかしく思い、真面目に心配した。「だい、じょうぶ」と辛うじて返事をしているが、目の前の景色がちらりと光続け、現実と夢の区別がつかなくなった。


『──コズミノムスメ、ヨ──ワタシノ話を……』


 この世のものではない声が聞こえてきて、陽桜李は頭を抱える。


 その時だった。ガラッと自室の襖が思いっきり開いた。毎朝の神社の掃除をしてきた仏頂面の八雲が「ひお……り……」と名前を言おうとして絶句した。


「あ、本当にまずい」


 男は陽桜李を介抱しようとして伸びた手を引っ込めた。誤解をとこうとして微笑したのがさらに誤解を生んだ。八雲は鬼のような顔をして男の背中を蹴り飛ばす。そして胸ぐらを掴んだ。普段から行儀を気にする八雲には有り得ない行動だった。


風見かざみ、呪い殺してやる」

「おおい、ちょっと待て、宮司の台詞じゃねぇぞ、そりゃ」

「陽桜李!弓子はどうした!どうしてこうなった!」

「……弓子は、最近、琥珀お兄さまの寝顔を見るのが日課です」

「……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます