14 決意


 

 ──長い、長い夢を見ていた。

 八雲は起き上がると、目の前が眩んだ。八雲は毎日癖のように子供が悪夢を見て驚いたような起き上がり方をする。

 縁側から差す淡い夕の光から八雲の全体像が、そっと浮かび上がった。

 黒髪のなかにまじる白髪に、乾燥肌と痩せ細った手足に丸まった猫背、顔の造りは端正な鼻筋であってかつての見目麗しき少年の面影があるが、とても二十代後半の年齢とは思えない老けた容貌であった。

 彼を死神のような姿にさせたのは、その分の絶望と苦痛が与えられたからである。


「よう、家出少年」


 何年も前に聞いた軽快な声がした。それは八雲にとっても愛おしかった。

 縁側から風見が顔を出していた。彼のくるくるとした髪は肩の上まで伸び、顔には八雲より一回りも違う年相応の無精ひげが増えていた。


「八雲が帰って来たと噂に聞いてたが、まさかこことはな……」


 風見は笑いながら“八雲邸”を一望した。

 八雲はあの“おばけ屋敷”を貯金で買い取った。自分一人で改築し庭に生えている雑草を掃除した。数週間もかかりやっと終わったと、畳の上で大の字になってぐっすりと寝ていたのだった。


「んで、繁盛してるのか。“拝み屋”ってやつは」

「俺は金は取らない主義だ。宮司の仕事は別として」

「よくまあ跡を継いだもんだ」


 八雲は──上春神社の宮司となった。安倍晴明にはなれなかった。

 八雲は確かにあのときヒオリと共に死のうした。なんとなく歩いていて辿り着いた神社があった。そこがかつての学友の兼吉が教えてくれた上春神社だったのだ。偶然である。上春神社の宮司である男が八雲を餓死寸前から助けた。八雲はその男のもとで修行をし、大人になるまで育った。


「……色々とすまなかったな。風見兄さん。……絹代は元気にしてるか?」

「ああ、この間、元気に一人目を産んだよ」

「……一人目?」


 八雲は首を傾げる。


「まあ……家出したお前はさっぱりだろうが……絹代ちゃんはもう立派な次期耳塚家の当主の奥様だ」

「はあ」


 八雲は間抜けな声が出た。

 ──ということは、つまり。


「……霧夜兄さん……」


 八雲は絹代の旦那であり、兄の名をポツリと呟いた。


「そのうち会いに行ってやれ、霧夜アイツもな……“ヒオリ”の件があって変わったよ。あの子が最後のはなむけとばかりに縁を結んでくれたんだな」


 風見は縁側に腰をかける煙草を取り出した。


「……ヒオリ、といえば……お前、あの桜の前の家になんて住み着いて……変なこと考えてないだろうな?」


 風見は昔から時々、勘が良かった。


***



「八雲……貴方の気持ちは痛いほど分かります。しかし、今考えている事をするのだけはやめなさい」


 師匠──かつての上春神社の宮司を看取ったときに言われたことだ。師匠は八雲のもう一人の父親だった。どこか本当の父の正嗣に似た穏やかな人物であった。優しいが修行は厳しく、でも八雲をそっと見守っていてくれた。

 ──父はどうしている?

 風見と再会した際にに真っ先に聞くべきことであった。しかし八雲は聞けなかった。情報だけは耳に入ってきている。病気がちでもう当主の役目は果たしてないそうだ。霧夜が正式に跡を継がなければ、耳塚家の衰退も近いと噂されている。

 八雲はこずみ桜の裏山を登っていた。師匠、風見──彼らに忠告されても八雲は決意は変わらなかった。

 雲ひとつなく広がる青々とした空。木々の葉が大波のような風に揺られてざわっと騒ぎ出した。八雲は一筋の汗を頬に伝わせながら、胸が苦しくなるような荒い息をつく。それでも歩くことをやめはしなかった。


『八雲!』


 八雲は声がするほうの幻を見る。ヒオリが桔梗の着物を着て笑顔で手を振っている。


「……ヒオリ」


 八雲はいつも返事をするとヒオリは消えて行ってしまう。

 涙はもう出ない。泣きたくても泣けない。

 ヒオリと見間違えたのは黒い桜だった。陽のあたる下で散ることなく闇のように咲き続ける。

 八雲は父の正嗣と同じ過ちを犯そうとしていた。


「……頼む。もう一度、“こずみ桜の娘”を──。俺の体を使え。そしてもう一度、”ヒオリ”のような娘を生むのだ」


 八雲は決意をもってそう言った。


 すると──。


 りん、鈴の音が鳴った。

 八雲は黒い桜の樹に触れる。ごうっ──と強い風が吹き八雲の格好を乱した。黒の花びらが八雲の体にくっついた。目と口と鼻に花びらが入って行く。八雲は痛みに耐えるように目を瞑る。

 

***


 りん──、りん。

 鈴の音が鳴る。八雲は裏山に居なかった。


(……ここは……耳塚邸?)


『劉条兄様!どうしてですか!』

『“こずみ”……これもお前のためだ』

『──どうして認めてくれないの……許さない、絶対に許さない』


(──誰だ?あれは、俺……?)


 劉条と呼ばれた男が自分と瓜二つであった。

 その隣に居る女も見たことがある。


 満開の桜の枝の先には白縄が括り付けられている。輪っかのなかには女の生白い首。だらりと腰まである長い髪が垂れる。


 ──“こずみ“と呼ばれた喪服の女が、体を浮かせていた。

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