12 桜のいのち


 庭園の池の前で葵と兼吉がはしゃぎまわっていた。八雲はさっきのヒオリの光景のショックが抜けきれないまま、暗い顔で二人の前に現れた。


「兼吉、悪い。今日はヒオリとは会わせられない」

「ああ、八雲さん!ええ、そりゃ残念。どうしたんですか?」

「ちょっと怪我をして調子悪いみたいなんだ」


 兼吉が八雲の存在に気づいて振り向いた。話の状況が掴めない葵は兼吉の肩をつっつく。


「ヒオリ……って誰?」

「八雲さんの……ですよ」

「ええ!」


 葵は驚いた声をあげた。

 八雲は今は冗談に乗る気になれなかった。二人に顔が見られないように背を向ける。下を向くと大量の桜の花びらが足元に落ちていた。

 花びらは地面の泥で、桃色から黒く染まり、潰れていた。



「……八雲さん。今日は上の空だったけど、大丈夫?」


 耳塚邸の門の前で、葵が心配そうな表情で言った。八雲は「ああ」と気の落ちた声で返事をする。葵と兼吉に目を合わせようとしない八雲に、二人は困ったように顔を見合わせる。

 八雲は自室で二人と課題だけはしっかりやってはいたが、何も喋らなかった。無理してでもいつものように二人と談笑しようとしたが、できなかった。気まずい空気をどうにか和ませようとしてくれていた葵と兼吉に申し訳ないと思いながらも、それでも口数は増えなかった。


「……ヒオリさん、きっとすぐ良くなりますよ」

「うん、私もそう願ってるわ」

「……今日はせっかく来てくれたのに悪かった、二人とも。また明日」


 夕陽が沈もうとしている。

 葵と兼吉は手を振って耳塚邸までの坂道をくだっていく。姿が小さく見えたところで、二人が楽しそうに喋っているのを八雲は見届けた。

 ふいに八雲の頬につぅとあたたかい水滴が伝わった。自分で驚いて学ランの袖で目を拭う。八雲は気付けば涙を流していた。

 一体、なにが悲しいのか。

 一番に苦しいのはヒオリである。なのに自分がクヨクヨしてどうするのだ。彼女を支えなければいけない。そうでなければ誰がヒオリを守るというのだ。

 ──今は自分がヒオリを助ける。


「八雲さま!八雲さま、どこですか!」


 八雲は突然の大きな声に肩を上げる。急いで目元を擦って鼻をすすった。振り向くと縁側のところに絹代が焦ったようにあたりを見回している。門前に居る八雲を遠目で発見すると、裸足のまま縁側から降りてきた。


「どうしましょう、どうしましょう……」

「絹代、どうしたんだ」


 絹代が目を潤ませながら、八雲の両肩に手をおいた。彼女は、はぁ、と何度も息をきらしてこう言ったのだ。


「居ないんです、ヒオリさまが、どこにも居ないんです」




「ヒオリ!ヒオリ!」


 八雲は喉が痛くなるほどに叫んだ。

 田畑のカエルの鳴き声が響き渡る。夜になろうとしていた。八雲の視界は薄暗くうまく見えない。


「ヒオリさま、居ましたか……?」


 後を追うように絹代が声をかけた。ヒオリが何処へ向かったのか分かった八雲は、絹代を連れて『おばけ屋敷』の裏山の前まで来た。八雲は気づいた。立ち入り禁止の看板が撤去されているのだ。


「絹代、今日、役場の人間がここに入ったことは知ってるか?」

「えっと……確か、朝、大学に行く前にご近所の方が噂していて……」


 絹代はおどおどとしながら言った。彼女は手を何度もすり合わせて落ち着かない。ヒオリの面倒を任されていた自分の責任だと感じているのだ。しかし八雲は責めたりしなかった。自分だってヒオリを放っておいて友人たちと居た。まさかあれほど具合悪そうだったヒオリが外に出て行くとは、二人とも思わなかったのだ。


「ここから先を探してみる。一緒に行けるか?」

「はい」


 八雲は裏山を指差して絹代に言った。

 入ると木々が影を濃くし、真っ暗闇を歩いているかのようだった。絹代は不安なのか八雲の後ろをゆっくりついていく。一方の八雲は怯えている暇などなかった。早く、早くヒオリを探し出さなければいけない。

 ざっ、ざっ、と落ち葉の地面を引きずるように歩く。すると八雲は下を向いて気がついた。小さな足跡がある。八雲は足跡をそって前へ進んだ。八雲はあるものが見えて、まぶたを擦り、もう一度、目を細める。


「ヒオリ!」


 八雲は叫んだ。あれはヒオリで間違いなかった。

 薄紫色の着流し姿の女性が倒れている。八雲は勢いよく走ってヒオリの元に向かった。距離があって一度ずさりと転ぶ。膝に傷ができて血が流れたが、気にもとめずに立ち上がった。


「……ヒオリ?」


 八雲はヒオリの前に着いて声をかけた。八雲がヒオリを抱きかかえると、ヒオリの真っ白な顔がぐらりと人形のように傾いた。


 ヒオリは眠っていた。いや、違った。


「……死んでいる」

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