11 異変


 新学期が始まった。今年は早咲きだったのか、中学校の桜はもう葉になろうとしている。新入生は残念だなと思いながら、送迎車から降りた八雲は校門をくぐる。


「八雲さん、おはよう」

「ああ」


 県内の私立中学校。耳塚の名は学内でも有名である。あまり顔を覚えていない生徒も八雲を見かけると必ず挨拶をする。気を遣わなくてもいいとは最初は思っていたが、彼らも彼らなりの礼儀があって悪気はない。もう慣れたものだった。

 八雲は耳塚邸を出る前のできごとを思い出す。


「学校?」


 ヒオリが学校へ行こうとしている八雲を門まで追ってきた。


「ねえ、学校ってどんなところ」

「どんなところ……」


 そう問われると八雲は難しく考えてしまう。非常に哲学的な疑問だ。


「あれを着れるの」


 ヒオリは門の外を指差した。八雲が振り返ると、近所の家の女子高生がセーラー服を着て登校していた。


「そうだな、高校までは」

「ふぅん」


 ヒオリはそのセーラー服の女子高生をじっと見ていた。しばらくすると女子高生は自宅の前で待ち合わせしたのか、もう一人友達がやってきた。二人は紺色のスカートをふわりとひるがえして微笑み合った。


「ヒオリも学校に行きたいのか」

「べつに!」


 八雲が聞くとヒオリは顔を背ける。着物の裾をつまんでスタスタと早足で屋敷に戻ってしまった。ヒオリに八つ当たりされたような気がした八雲は頬をかく。

 ──学校か。

 父上もそのうちヒオリに行かせてもいいのではないだろうか。ヒオリはもうずっと屋敷の中で暮らしている。もしかすると外の世界が羨ましくなったのかもしれない。

 普通の女の子のように過ごしたい。

 そう思ってもおかしくはない。

 しかし学校とてタダではない。それにヒオリは明らかに人間ではない。どのように俺たち人間と──。


「八雲さん、八雲さん」



 昇降口の前で誰かにぐっと肩を組まれて、八雲は現実に戻る。少し男くさい汗のにおいがした。

 八雲が横を見ると兼吉かねよしが居た。寺の息子で坊主頭が目立つ。普段からおちゃらけていて学校でも人気者だ。学校の生徒たちが八雲にどこか一線をおいて付き合う中、彼は何の気兼ねもなくこうやって話しかけてくれる。


「八雲さんにとっておきの良い情報を仕入れてきましたよ」


 兼吉はなんだか怪しい言い方をして八雲に耳打ちする。


「学校から歩いて二、3kmほど。上春うわばる神社という所に陰陽師の末裔が居るそうです」

「……陰陽師」

「まあ、清明ほど強いモンではないでしょう。今は”拝み屋”を名乗っている。相談事を承っていて中では大人でも本気で頼っているとか」

「八雲さんね。本気で陰陽師を目指すなら、弟子になるんですよ。八雲さんは三男であっても、あの耳塚家ですよ……そこから陰陽師が出たなんて、想像しただけでニヤケが止まらない……!」

「ちょっと!八雲さんになにやってるのよ!」


 八雲が声のする方を見ると、少し茶色毛のポニーテールでセーラー服を着ているクラスメイトのあおいが居た。兼吉は葵の前で手をすりすりと合わせながら、八雲から離れた。


「おっと、葵嬢。今日もご機嫌麗しゅう……」

「八雲さんに変なこと吹きこんでないでしょうね?!」

「とんでもない!八雲お坊ちゃまにそのような失礼なことはするわけないでしょう」


 葵はまだ腕を組んで兼吉を睨んでいる。

 彼女は県内の水産会社の社長の娘だ。可愛らしい見た目にはんして、海の男たちに囲まれて育ったからなのか、負けん気が強い。クラスでも委員長をしている模範的な優等生だ。


「ねえ、八雲さん。今日から始まる課題のグループ、一緒にやらない?」

「……ああ、いいぞ」


 兼吉を押しのけて葵は八雲に近寄る。八雲は下駄箱から上履きをとりながら頷いた。

 八雲は学校で女子から好意を寄せられることが多かった。それは耳塚の名からなのか──八雲のまだ少年とは思えない大人びた端正な容姿からか──おそらくどちらもだろう。

 しかし、昔から葵には、あからさまな下心を感じることはなかった。葵はさっきのように親切心から八雲を守ってくれることが多く、どこか虚無的に過ごしている彼をいつも心配しているようにも思えた。


「二人ともよく課題なんて憂鬱なものを覚えてらっしゃる……あれは三人までのグループでしたよね。俺もいいですかな」


 まだ兼吉はふざけた喋り方でいる。


「……ああ……」

「ええ!八雲さん!どうせ兼吉なんて課題を写してもらうのが目的よ!」

「……まあ、いいじゃないか」


 八雲は『さっきの情報と交換だぞ』と兼吉に目配せする。兼吉も理解したようにニヤニヤとしていた。


「そういえば、最近八雲さんの家に行ってないな。庭園にはまだ桜は咲いてます?学校がこの葉桜じゃどうも風情がないですよねぇ」

「え、うちに……かあ」


 八雲はヒオリのことを思い出してためらう。すると兼吉は横目で葵がよそを向いてるのを確認すると、また八雲に顔を近づけた。


「……耳塚邸にヒオリという美しい少女が住んでるというのは本当ですか?ちょっと見るだけです!話しかけやしませんから!いい情報も教えたでしょう?」



「あら、八雲さまお帰りなさい!」


 八雲が学校から耳塚邸に戻ると縁側の廊下で絹代に会った。今日の絹代は割烹着ではなく、薄水色のワンピースを着ている。顔にも化粧がされていて春らしい絹代の格好だ。


「ああ、絹代も……大学は?」

「今日は入学式のお手伝いだけで講義はないのです、あ……そちらは……」


 絹代が首を傾げる。八雲の後ろについてきてた葵と兼吉はおずおずと頭を下げる。ちょうど自室に案内して一緒に課題を始めようとしていたのだ。絹代は久しぶりに見た二人の名前を思い出したように「ああ!」とぱちん、と両手を叩く。


「八雲さまの学校の葵ちゃんに、えっと……」

「兼吉です!」


 兼吉は「えへへ」と鼻の下を伸ばす。その様子に葵が兼吉の背中をトンッと叩いた。葵はじーっと上目遣いで絹代の口紅で塗られた鮮やかな唇を見る。絹代は葵からの視線を感じて、細い首を無邪気に傾げる。葵は絹代の愛らしい微笑みを見ていると、はあ、と小さくため息をついた。


「……やっぱり八雲さんの周りは美人が多いのね」

「ん?」

「……あ……な、な、なんでもないのよ!……て、庭園の桜を見ていてもいいかしら!」

「うん、いいぞ」


 葵は顔を赤くすると、兼吉の腕を引っ張って、縁側から降りた。八雲は二人のあとを追うように視線を庭園に向ける。まだ舞い落ちる桜の木々を眺めた。八雲はもう桜を見るたびに彼女を思い出すようになってしまった。

 ──ヒオリはどこにいるのだろう。


「八雲さま、ちょっといいですか」


 絹代は二人が居なくなると小さく声をかける。八雲の肩をそっと抱いて庭園から背を向けた。


「今日、ヒオリさまが怪我をしたのです」

「え」

「池の前で転んだと……お医者さんを呼んで見てもらいました。足の打撲なので安静にしてれば大丈夫そうなのですが……」

「今、ヒオリは?」

「お部屋で休んでらっしゃいます」


 絹代は心配そうに眉を下げる。


「わかった、絹代、ありがとう。ヒオリの部屋に行ってみる」



「ヒオリ?入るぞ」


 八雲はヒオリの部屋の前で声をかけると、そっと襖を開けた。部屋には布団が敷いてあった。ヒオリは寝ておらず上半身だけ起こしていた。八雲はそこまで具合悪くなさそうに見えたヒオリに安心する。ヒオリの布団のそばにおぼんがあった。コップ一杯の水と、シートに包んである粉薬が置いてある。おそらく医者から飲むように言われている鎮痛薬だろう。


「ヒオリ、もしかして粉薬、嫌いなのか?」


 八雲はヒオリの前に座るとからかうように笑った。

 だがヒオリからは返事がない。

 ヒオリはさっきから顔を背けて八雲を見ようとしない。八雲はヒオリに触れようと手を伸ばす。


「お母さんが殺されちゃう!」


 八雲はビクリと手をとめた。彼女はいきなり外にも響くような叫び声をあげたのだ。そのまま頭を抑えて美しい髪を台無しにするようにグシャグシャと乱した。


「ヒ、ヒオリ?落ち着け」

「やめて!やめてよ!お母さんを殺さないで!」

「ヒオリ!薬、薬を飲むんだ!早く!」


 八雲はハッとして、暴れるヒオリを落ち着かせようと、布団の上に彼女を無理やり倒した。

 あの、ヒオリが、泣いているのだ。

 目から大粒の涙をポロポロとこぼしている。ヒオリの青白くなった唇が半開きになった瞬間に、粉薬をすばやく流し込み、ゆっくりと水を飲ませた。鎮痛薬だが、興奮をしずめるわずかな効果はあるだろう。ヒオリは横になって少し落ち着いたのか。頬に涙のあとを残しながら、天井をぼうっとと見つめていた。


「人が……死んだの……」

「え?」

「今日、あの桜を、村役場の人が、切っちゃうって……でも、途中で、ひとり、死んだの……」


 ヒオリはうわ言のように八雲に語ると、薬を飲んだからか、眠ったように目を閉じ始めた。


「はやく、はやくいかなきゃ、お母さんのところへ」

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