9 村の謎


「よぉ、八雲坊。元気にしてたか」


 次男兄の耳塚風見みみづか かざみが八雲を見つけるなり、声をかけた。八雲は風見に髪の毛が乱れるほど頭を撫でられる。八雲は風見が耳塚邸に到着したと聞いて門まで迎えに行ったのだ。


「まあまあ」


 八雲は風見の前では、つい小さな子供のようになる。風見は年の離れた弟である八雲を幼い頃から可愛がってくれた。


「まあまあか。良いことだ。普通が一番だ、普通が」


 風見は昔から変わった性格をしていた。詩人のような口調で喋る。外見もボサボサな茶髪に老け顔なほうで、二十歳になったばかりとは思えない。知らない人には年子の霧夜と逆で彼が長男だと言われても信じてしまうだろう。


「大学はどう?」

「父上にはまだ秘密だぞ。留年しそうでまずい」

「だらしないなあ」

「今、どうにかしてるところだよ。でも俺の単位を落とそうとしている教授が運が良いことに……美人だ」

「女性だから何なんだよ」

「……ま、八雲坊にはまだ早かったか」


 八雲は苦笑いするしかない。今までの風見の女性遍歴は子供の教育上に悪い話ばかりだった。別に大人でなくとも風見が何をしようとしてるのか察しはつく。『勘当されてもしらないぞ』と八雲はこっそり心の中で呟いた。


「しかし父上もいきなり呼び出して……ついに跡継ぎ騒動でも起こすつもりかね。もう霧夜でいいんだよ、アイツもやる気なんだから」


 風見はシャツの胸ポケットから煙草を一本取り出すとライターの火をつけた。涼しい夜風に吹かれて、紫煙しえんが漂う。

 風見は風見なりに何か心配しているようだった。彼は八雲だけにはよく話をした。『一族の跡継ぎなんてどうでもいい、俺は自由に生きたい』と。一族の繁栄に野心がある霧夜とはまるで正反対の思想であった。風見の霧夜との関係は、八雲以上に険悪かもしれないと思ったことがある。


「風見兄さんはヒオリのこと、知っていたか?」


 八雲は聞いた。


「ヒオリ?なんだお前ガールフレンドでも出来たのか」

「そ、そうじゃない!……父上が女の子を引き取るって聞いたから」

「はあ?なんだそりゃ」


 風見は指に挟んだ煙草を口から離して、すっとんきょうな声をあげる。


「一応、見に行くか?ヒオリは気が強い……というか、人見知りな奴だから、こっそり覗くだけになるかもだけど」




 この男に見せるんじゃなかった。


「絹代ちゃんはしばらく見ないうちにべっぴんさんに……」


 庭園の桜の木のかげから、八雲と風見はヒオリの部屋を覗いていた。ヒオリと絹代の女性らしい笑い声が響き渡る。ヒオリは絹代に髪を結ってもらっていた。さらりとした長い黒髪を絹代にくしで梳いてもらっている。さっき見ていた簪が気になったようだ。絹代につけてもらうつもりなのだろう。

 その光景を真顔で見ている風見のすがたは、樹木にへばりつく虫のようだ。八雲は自分の兄に冷ややかな視線を送る。


「ヒオリと言ったか。確かにあれはそうそうお目にかかれないなぁ……でも俺は幼女趣味は無いんでね」

「風見兄さん、そういう意味で俺はヒオリを見せようと思ったんじゃない!」


 つい大きな声を出してしまった。縁側から見えるヒオリの部屋から彼女たちの声が消えた。


「……今……どこからか声が……?」


 絹代の戸惑った声が聞こえた。


「おい!静かにしろ!」


 風見が焦ったように八雲の口を手でおさえる。桜の木からはみださないように二人で影を重ねて隠れた。


「……ばかね」

「え?」

「……何でもないわ。虫でも鳴いてるんじゃないかしら」

「鈴虫ですかね?」

「……鈴虫は秋でしょ」

「あ、そうでした」


 あははと絹代の気の抜けた笑いがした。絹代が天然で良かったが──ヒオリは間違いなく自分たちのことに気付いている。遠い距離からでも”視えている”のだ。

 一体、何をやってるのだろう。女風呂を覗いてるんでもあるまい。八雲は虚しくなってくる。


「……兄さん、父上が帰ってくる前に居間に向かおう」

「……」

「もういいだろう!早く!」

「あ、ああ、すまん」




 風見はどうしてか居間に向かわない。庭園をうろうろと散歩している。

 八雲もずっとこのまま風見と一緒に居たかった。気がかりなのは霧夜の存在だ。彼と食事をしても良い気分ではない。それにやはり当主である父親の正嗣の前では緊張をしてしまう。

 風見は或る程度、歩くと縁側に腰をかける。ポッケから煙草の箱を取り出し、一本とるとため息を吐いた。


「風見兄さん、耳塚家は、俺たちの一族は、……この村はいったいなにを隠しているんだろう。最近、分からなくなってきたんだ」


 八雲も風見の隣に座った。縁側で両足をぶらぶらとさせる。地に長い足がつく風見と比べるとまだ子供である証だった。


「まあ、お前は色んなのが見えるから、余計思うところがあるんだろうな。残念だが俺が一緒に見てやれないのも、たくさん」


 風見は八雲の霊能力を、不気味がることもなければ、とくに関心を持つこともなかった。彼とは他愛のない話ばかりをしてきた。


『おお、八雲坊はふしぎなのが見えるんだなぁ』


 八雲が変なものが見えると怯えても、彼は笑いながらそうとしか答えなかった。


『ま、お兄ちゃんが居るから平気だ』


 八雲は風見が抱っこしてくれた優しい記憶を、突然、思い出した。父親の正嗣は不器用な人だ。家にもほとんど居ない。霧夜は昔からあのような態度で今も変わらない。

 風見はある意味、八雲にとって兄であり父のような存在だった。となると絹代は母親がわりだったろうか。

 だから八雲は今、初めて風見が、自分の霊能力を同情してくれている気がした。


「なあ、風見兄さん、黒い桜がこの村にあるの知ってるか?」

「あのお化け屋敷じいさんの裏山のか」

「……見たことあるのか?」

「いんや、あんまり行く気にはならなかったからな、女が首吊りした桜の木なんて聞けば」


 八雲は思わず「えっ」と驚いた声を出した。

 ひゅうとした音の夜風が吹き、二人の間に沈黙が流れた。八雲の足もとに庭園の桜の花びらが落ちてくる。

 八雲は神々しい黒い桜の光景が忘れられない。膝についた花びらは桃色のはずなのに、一瞬、真っ黒に見えて、八雲はゴシゴシと目を擦る。

 こずみ桜の花びらが黒く染まった怪異は──あの喪服の女の怨念?

 八雲は考え込む。


「俺がガキの頃の噂だったな。『こずみ桜』とか言ったか。確か首を吊った女の名前が……」


 八雲は頭の中で描いていた現実離れした世界から戻ってくる。

 火のついてない煙草を口にくわえた風見は、無意味にカチカチとライターの蓋を開け閉めしていた。八雲が風見の鼻が高い横顔をじっと見上げたときだった。


「風見!八雲!」


 厳しい声が耳に響く。ばたばたと五月蝿い足音は聞き覚えがあった。縁側に向かって歩いてくる霧夜の顔から、八雲はあえて視線を外してしまう。


「もう父上が到着しているんだ!夕飯の支度もできている!いつまでも待たせるんじゃない!」

「……ハイハイ、お兄さま」


 風見がわざとらしく肩をすくませる。霧夜の眉間にしわを寄せた表情に、八雲は思わず風見のシャツをそっと握った。


「……俺を馬鹿にしているのか」

「そうカッカするなよ、今行くからさ。ほら八雲」


 気力が起きない八雲を察したのか、風見は優しく声をかける。

 八雲には気を遣い、霧夜になだめる風見を見て思う。

 

 ──風見のほうが大人だ。きっと跡を継ぐのだって彼のほうが人望が集まる。たった一年、生まれたのが遅かっただけであるのに。

 霧夜は何をそんなに常に苛立っているのだ。風見や絹代のように冗談を交えながら笑い合うのが家族ではないのか──。

 八雲は暗い顔のまま、風見と共にやっと居間に向かったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます