6 向かう先は

『あらあら』

『ヒオリさま、お美しいですわ』


 涙川の主の眷属の女たちはキャッキャと笑い合いっている。八雲もやっと着付けを終えたヒオリのほうをしっかりと見た。

 八雲は屋敷に出る前に、母の遺品である着物箪笥をヒオリに見せた。一体どれにするのかと聞くと、彼女はある一着を指差した。紫の桔梗が咲いている黒の着物であった。

 美しいヒオリならきっとどんな着物を着ても似合うのだろう。しかし彼女の目は良いかもしれない。桔梗は妖しげな麗しさを持つヒオリにぴったりである。

 ヒオリの濡れていた髪を乾かすように、風がそっと吹き始める。川の水面も一緒に波紋を描いた。


『さて、お前さんはそれで母親のところに行くんじゃな』


 涙川の主もヒオリの美しさに圧倒されたように目を細めた。


「はい。私の生まれたところ……。蔵に居たころから願ってたことです」

『そうか、きっと彼女も子に会えて喜ぶだろう』

「おじいさまもご一緒しますか」

『ううん……ワシもたまには主らしく挨拶をしに行くべきか……まあ、家族水入らずがいいじゃろう』


 主は頬をぽりぽりと掻いて苦笑する。すると眷属の女たちが主の左右の隣に寄りかかってきた。


『主さま、面倒なだけじゃないですか?』

『ですか?』

『はてな、あとは若い二人で楽しんでくるといいと思っただけじゃよ』


 主は彼女たちの肩を抱きながら、口を大きく開けて笑った。それより八雲はさっきからの二人の会話がいまいち理解しきれてないのが気になった。


「……ヒオリ、母親の居所に心当たりはあるのか?」


 ヒオリは屋敷に出るのは母親に会いたいからだと言っていた。まさか電車を使って遠出させるつもりではないだろう。だが、蔵にずっと居たヒオリに母親の居場所が分かるのだろうか。それに、だ。なぜ涙川の主がヒオリの母親の存在を知っているのか。二人はまるで互いにヒオリの母親と知り合いのような話し方だ。

 八雲は首を傾げるしかなかった。


『どうも劉条の子孫は、頭は悪くないようだが、天然なのだな』

「……ヒオリもじいさんもハッキリしない言い方ばっかりするからだ!」

『そう怒るな、劉条の子孫よ。これから彼女に連れてってもらって、あらためて真実を知るんじゃな』


 ──真実、とは。

 また遠回しな言い方をする。八雲はむっと変わらず機嫌悪くなりなるが──。

 ヒオリは川の流れをなんとも切なげな顔で見てしていた。まるでこれから戦でも行くかのような強い覚悟を決めたはりつめた表情だ。


「行きましょう、八雲」


 ヒオリは笑って手を伸ばした。



 ヒオリは初めて外に出たのにも関わらず、道に迷わずスタスタと八雲の先を歩いていた。二人は涙川からも見えた森林の山の方面へ向かっていた。

 そこまでの通り道で、八雲はポツンと建っているある平屋のほうを見た。築五十年以上は経っているか。もしかすると百年かもしれない。庭は耳塚邸に負けないくらい広々だ。だが奥の縁側が見えないほどぼうぼうと雑草が生えていて、誰も掃除していない。

 この家は確か何年か前に男の老人が住んでいた。いつも激しい咳をしていて持病をもっているらしかった。生涯独身だったのか。孤独死で発見されたと噂で聞いた。

 そんな奇妙な話とおんぼろな平屋が相応したのか。八雲の学校の生徒たちの間では『お化け屋敷』と面白がっていた。なによりも子供である八雲たちを惹きつけたのは──。


「……ヒオリ、もしかしてこの先に行こうとしてるのか」


 八雲はヒオリと距離をとり後ずさりをしてしまう。

 『立ち入り禁止』という大きな看板の両端にロープが木の枝に結ばれている。平屋の老人の敷地内の裏山があるのだ。

 八雲は学友とひやかしに一度、此処に来たことがあったのだ。だが、八雲は入り口の前で気絶した。


「……俺には無理だ。一人で行ってくれ」


 びゅう――と風が吹く。裏山の入り口に竹藪の生えた地帯がある。笹が重なり合う音がさあさあと鳴る。密集した竹同士がぶつかり合い、ぎぎっと軋む。竹藪の先は、夜闇より暗い道なき森林だ。ずっと見ていると体が吸い込まれそうになり、八雲はやはりフラリとめまいがした。

 そのあたりで見かける霊とは比べ物にならない。なにかおかしな重圧が、この裏山にはあるのだ。


「怖いの?」

「……怖いさ、また倒れてしまう」

「大丈夫よ、私が居るから」


 ヒオリは座り込んでしまい動かない八雲に手を伸ばした。八雲は顔をあげる。ヒオリの袖から伸びるすらっと白く細い腕。

 八雲はヒオリの手のひらを握った。


「……?」


 八雲は急に体がふわりと浮くような軽い感覚になった。さっきまで感じていた気持ち悪さが、突然ぱっと消えた。

 八雲はヒオリに引っ張られて、立ち上がった。そのまま二人は手をつないでいた。八雲はヒオリに連れて行かれるまま、裏山の奥へ進んでいったのだった。



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