4 太陽の恵み


「……好きなところに行きなさい」


 座敷牢の扉が開いた。

 正嗣はどこか諦めた目で八雲とヒオリを見ていた。

 そんな正嗣の心のうちは知らず、八雲はぱあっと笑顔になる。


「ヒオリ!外に出よう!」

「……ええ」


 八雲はヒオリに手を伸ばす。

 ヒオリは八雲の手をぎゅっと握りしめる。彼女は立ち上がるが、もう何年も歩いていない足腰は、生まれたての小鹿のように震えた。時々、夜になると風呂に入れさせてもらうとき以外に外に出てなかった。八雲の手に触れていないほうの腕で、鉄格子を掴んで体を支える。正嗣が用意した女物の履物にそっと素足を入れた。

 ヒオリは顔を上げて前を見る。蔵の扉から、もう何年も浴びてない陽の光と、美しい庭園の景色に、彼女は胸を踊らせていた。


「……八雲、あまりヒオリを無理させないように」

「え?あ、はい……」


 ぶるぶると震えきっているヒオリの足元に気付いた八雲は、思わず引っ張っていたヒオリの手を離した。時間をかけてゆっくりとヒオリが歩けるようになるのを待つ。ヒオリは八雲と正嗣の間を通り過ぎて先に行くが、途中で足に力が入らず何度も転んでは、立ち上がっている。やっと蔵の扉の前に来たところでふたたびつまづいてしまう。八雲はさすがに心配になり、ヒオリのもとに寄り添う。


「だ、大丈夫か?今日は無理して外に出なくても……」

「……別にこのくらい……どってことないわ!」


 ヒオリは蔵の扉の先の地面へ手を伸ばす。手にはあたたかい日の光を感じる。

 ヒオリはさっきまでの歩き方がうそのように、背筋がぴんと伸びて、両足がしっかり一歩一歩と前へ進んだ。


 ヒオリは雲ひとつない青い空にあがる太陽に目を細めた。



 八雲は視線の先に居るヒオリを見つめた。彼女は池の飛び石に座り、素足を水に浸らせながら、鯉にえさを与えていた。ヒオリがえさを投げるたびに、鯉がぴちゃんと跳ね上がる。何匹もヒオリの元にあつまるのを、彼女はじっと見ている。

 ひゅうっと大きな風が吹いた。桜の木から飛んできた何枚もの花びらが、池の上に浮かんでいく。池は一瞬にしてピンクのベールに包まれたようになる。


「なあ……それ楽しいか?」


 八雲は飽きた顔でヒオリに声をかける。


「そんなにえさやってたら鯉はぶくぶくに太るぞ」

「別にそこまで楽しくないわ」

「じゃあ何でさっきから何十分も同じことをしてるんだよ」


 八雲ががくっと肩を落とす。

 蔵から出たヒオリに庭園に行かせた。ヒオリは不思議そうに池で泳いでいる鯉を眺めていたから、何となく『えさでもやってみるか?』と聞いた。えさを取ってきてヒオリにやり方を教えてから、ずっとこの状態なのだ。

 しかしヒオリの周りには不思議なことが起こる。鯉とはある程度、えさをあげたらもう満腹になり寄ってこないはずだ。だがヒオリがいくらえさを与えても、鯉たちがいつになくはしゃいで集まってくるのだ。

 木々たちもざあざあと葉の音を立てて、八雲には騒いでいるようにうっとおしく聞こえた。桜の花びらもこうやってヒオリの元に舞い落ちてくる。

 そしてさっきから浮遊している幽霊たちがいい証拠だ。

 ものかげからこっそりとヒオリを見ている幽霊が八雲の目につく。いつも以上に数が多いのだ。


『あれが……こずみサマのムスメ……』


 八雲の隣に堂々とやってきて、そう呟く男の幽霊が居た。彼がヒオリに近づこうとしたので、きっと睨みつける。男は『ひぃ』と弱気な声をあげて、姿を消した。


「……一体何なんだ、今日は様子がおかしいぞ」

「ねぇ、八雲。この屋敷から出たら正嗣は怒るかしら」


 八雲が眉をひそませていると、突然ヒオリが話し掛けてきた。


「え?……どうだろうか……」


 八雲は正嗣の言葉を思い出す。とくに屋敷内に居なければならないという決め事はされなかった。


「いいんじゃないか?でもどこに行くんだ」

「……お母さんのところに行きたい」


 ヒオリは池のほうに顔をうつむかせながら言った。八雲は「え……?」と困惑した声をあげた。


「このあたりに川は?」

「川?あるけど……」

「着替えとタオルを持ってきてちょうだい」


 次々と提案してくるヒオリに八雲は疑問符を頭に浮かべっぱなしであった。


「……早く!」


 ヒオリは急に八雲のほうに顔を上げて、相変わらず鋭い目つきで叫んだ。気の強いお姫様の家来けらいのような扱いをされた八雲は、たじろいでしまう。ヒオリに色々と聞く間もなく、着替えとタオルを持って来ようと屋敷に戻ったのだった。

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