3 ぬくもり


 八雲が破壊した蔵の扉の南京錠は直されてなかった。父の正嗣も近づくなと注意したのならもっと厳重に蔵を閉めておけばいいのに。八雲そう思いながらも、扉を開けて中に入った。手にはまたお台所からとってきた京都土産の大福がある。

 八雲は今日、あることに気が付いた。蔵の掃除が行き届いているのだ。埃っぽかった鼻がむずむずとする感覚がない。床の砂やちりも見当たらない。

 八雲はそっと座敷牢の前に近づく。ヒオリが床で眠っている後ろ姿が見えた。


「お前のせいで散々な目に合ったぞ」


 言葉とは裏腹に八雲は楽しそうに言った。

 結局──『こずみ桜』とは何なのかさっぱり分からなかった。あの絵も正嗣に取り上げられてしまった今は、手がかりはヒオリの存在のみである。

 だが八雲はわりとどうでもよかった。ヒオリに早く会いたい──そのことで頭がいっぱいなのだ。

 八雲の声が届いたのかヒオリはゆったりとした動きで、起き上がった。眠たげに目を擦りながら、八雲を透き通った瞳で見つめる。


「枕、かえてもらったのか?」


 八雲は初めて座敷牢を見たときに、ヒオリの枕がもうだいぶ汚れてしまっているのが気になっていた。だが今は真っ白にきれいな枕にかわっている。


「この間……正嗣が思い出したかのようにここへ来たわ。まあ彼は家業が忙しいから仕方ないわね」


 ヒオリは美しい黒髪を撫でた。ヒオリはじっと八雲の手元を見ると、くいっと首を上げた。大福を自分にくれと言ってるのだ。お姫様の命令を聞いているようであったが、八雲は悪い気はしなかった。八雲は大福をひとつ取り、鉄格子の間からヒオリの手に渡した。


「本当に私を任せているのは正嗣の兄弟のはず、でもあの人たちは正嗣と違って鬼のような人達ね」

「……もう何年、蔵に居るんだ?」

「……三年ほどかしら」


 八雲が聞くとそうヒオリは答えた。

 三年──そんな長い月日、屋敷に彼女と一緒に住んでいることに気が付かなかったのか。父の正嗣を含めた一族の者たちが、まさか少女を軟禁しているとは夢にも思わなかった。

 ヒオリを一体いつまでここに居させるつもりだろう。

 日の当たらない暗い場所にこのまま閉じ込められていたら、ヒオリはそのうちおかしくなるのではないか、と八雲はどうしても心配してしまう。

 屋敷中を見回り座敷牢の鍵も探してみたが、厳重に保管しているのか見つからなかった。


「でも嬉しいことがあったわ。正嗣が言ったの。私を娘として迎え入れるのも考えてるんだって。そしたらこの蔵から出れるわ」


 ヒオリは大福を食べながら笑みを浮かべていた。ヒオリにしてはめずらしく明るい顔であった。八雲は自分にまで暖かな気持ちが伝わった。


「……本当か!それは良かった!」


 八雲は大福を大きくかじった。いつもより美味しい味がした。

 ──ヒオリはもうこんなところに居なくていいのか。

 そう考えるだけでほっとした気分になる。それにもしかすると自分の家族としてこの屋敷で一緒に過ごせる。どんな楽しい日々が待っているだろうか。

 ヒオリには母親の幼少期の頃の着物を着せたい。きっと美しく似合うはずだ。花木の庭園を駆け回って鬼ごっこがしたい。鯉の池の前で夕日が沈むまで語り合いたい。八雲はヒオリと過ごす様々な光景を頭に浮かべた。ヒオリも同じ気持ちでいてくれているだろうか。

 八雲はヒオリのほうを見つめた。


「正嗣は素敵な人ね。……私、彼のためだったら何だってするわ、きっと」


 ヒオリは頬を赤くして言った。そのヒオリの色っぽい仕草が、八雲をやきもきとさせた。ヒオリがまるで恋している乙女のようだ──と八雲は思ってしまった。

 八雲はよこしまな考えを振り払うように首を振った。まさか──正嗣はすでに所帯持ち。ヒオリのような幼い少女を相手にするわけない。



「父上の娘になるなら、ヒオリは俺の妹だってことだな」


 八雲は話題を変えて、ははと楽しそうに笑った。だがヒオリは大福を口に入れようとした手が止まり、むっと眉を下げた。ヒオリの動きに気付いた八雲は「どうした?」と尋ねた。


しゃくに障るわね。貴方みたいなお子さんの妹なんて納得いかない。正嗣に説得するわ」

「こいつ!俺に失礼だと思わないのか!」

「どう考えても私の方が上でしょ。なるとしたら妹じゃなくて姉よ」

「もう勘弁してくれよ、上のきょうだいは……」


 八雲はうなだれてしまう。


「……八雲、貴方には二人のお兄さんが居るのでしょう」


 ヒオリが真剣なまなざしで八雲を見つめて問いた。八雲は心を覗かれているようなヒオリの鋭い眼に、気まずくうつむく。


「そうだよ。二番目の兄は、まあ俺に対してはマシだ。女好きな変人だけど。俺が苦手なのは……」

「長男ね」


 八雲は胸に釘でも打たれたように、ヒオリの言葉が突き刺さる。


「あの人は冷酷だ。俺のこといつも……」

「ふふ、いじめられてるのね」

「笑いごとじゃないぞ、本当に酷いんだからな」

「どう酷いのかしら」

「すれ違っても無視、会っても挨拶もしない。俺が問題を起こせば『この出来損ないめ』とののしる」

「……出来損ない、ね……」

「……父上も、きっと俺のことをそう思っている」


 自分でも情けない声をしていると思った。


「俺なんて生まれてこなければ良かったのかもしれない」


 八雲は母親のとの記憶がない。なぜなら彼女は八雲を生んで何年もしないうちに亡くなったのだ。元々、病弱な女性だった。それでも二人も男を生んで偉いと周りからたたえられた。だからもう一人もと、無理をしてしまったのか。八雲を生んですぐ、結婚してから良くなっていたはずのやまいが悪化したのだ。


 八雲は仏壇に飾ってある母親の写真を思い出す。着物を着て笑っている彼女はどこかヒオリと似ている気がした。


 幼い頃から母親の墓参りに行ったときの、父親の切なげな背中を、八雲は後ろから見つめているしかなかった。そのたびに八雲は思っていた。三人も生む必要なんて無かったのではないか。自分が生まれてこなければ母親は死ぬことはなかったのではないか。


 八雲は母親が命をかけてくれたのを、無駄にしないように、恥じない生き方をすると決めていた。八雲がいつも大人たちから言われることは『優しい子』『良い子』『さすが耳塚家の八雲さん』。当たり前だ。そう思われるように必死に勉強をし、身だしなみにも気を遣い、教師たちをふくめ大人たちには絶対に逆らわない。そういう生き方を今までずっと──してきたのだ。


 しかし八雲でも時には失敗することもある。失敗しない人間は居ない。

 頭ではわかっていても、八雲はつねにおびえていた。完璧になるように生きている自分が、少しでも道に外れようなものなら、周りから大非難されるのではないかと。

 次第に、八雲のこころは影を落としていった。


 だから、ついこの間、学校で試したのだ。

 『陰陽師になりたい』と大勢の前で言って驚かせようとした。いや、八雲の夢がそうであることに変わりはない。しかし平安でもなく今の時代に、このようなことを本気で言う人間など──きっと。

 やっぱり──八雲はくすくすと笑うクラスメイトたちを見て思った。困った顔を浮かべる担任教師を見て失望した。

 自分は出来損ない。生まれてこなければ──。


「なあヒオリ、俺の一族の初代当主の劉条って男を知ってるか。彼は子供を宿せない体で跡継ぎに困ったそうだ。だから各地の孤児を引き取って自分の財力を惜しみなく、子供たちに与えて……その子孫が今の俺たちなんだ」


 八雲は座敷牢の鉄格子に触れて、ヒオリに語った。


「俺も劉条のようになる。村の人は偽善だと彼のことを馬鹿にしたそうだ。でもせっかく富があるなら俺は自分のためだけに使わない!俺も彼のように孤児を懸命に育てるんだ。俺と同じ悩みを持ってる子がもしも居たら……自分は生まれてきて良かったんだって……思わせたいんだ」


 八雲の鉄格子を掴む手が力なく落ちていく。こぶしを握り締めた手に、ぽたりと一滴の涙がこぼれ落ちた。男らしくない。八雲はヒオリの顔を見れずに下を向いていた。


「ふふふ……あはは!」


 ヒオリの甲高い笑い声が蔵に響いた。彼女は手を口におさえて大声で笑っている。


「そんなにおかしいか。お前も兄のように馬鹿にするのか」

「ふふ、違うのよ。八雲、貴方って案外と思い込み激しい子なのね」


 ヒオリの言葉に八雲は、はてと首を傾げる。


「正嗣が、ここで何を私に話してるか知ってる?自分の子供のことばかりよ。とくに八雲、貴方のことをずっと話してるの。……だから私は貴方と初めて会ったとき、おにぎりを私に渡した瞬間……ああ、この子が正嗣が話していた八雲か、と分かったの」


 ヒオリは鉄格子の間から白い手を伸ばし、八雲の指先にそっと触れた。ぎゅっと八雲の手のひらを包むように握りしめる。


「人間は優しさを失った瞬間、それは鬼と変わらなくなると、正嗣は言ったわ。八雲はその心配はまるでないと。一族の誇りだ、これからも元気に育ってくれることを願ってるって」


 ヒオリに髪をぐしゃりと優しく撫でられる。彼女は柔らかい目元をし、八雲の顔をしっかり見つめて話した。


「八雲、貴方は決して出来損ないなんかじゃないのよ」


 八雲はヒオリの穏やかな笑顔から目が離せなくなる。ずっと見ていると自然と大粒の涙が何度も頬を伝わっていった。


「父上……なんだ……俺の思い違いか……」


 八雲はだんだんと視界が水たまりでもできたかのように前が見えなくなる。鼻をすすりながら目を袖で拭った。


「……この大福は、しょっぱいな」


 大福をかじると甘さの混じった塩の味がした。

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