或る男の過去

1 儚く散る桜の少女


 八雲がヒオリと出会ったのは十三歳の頃だ。


劉条りゅうじょう様の生き写しのようですわ……ふふ」


 八雲が目を合わせると女の霊はそれだけ言って姿を消した。縁側に座っていた八雲は不快に眉をしかめる。

 八雲は耳塚邸の庭園に向かった。

 庭石の上で胡坐あぐらをかいてお台所から持ってきた塩むすびをかじる。不意に口の中に入り込んだ桜の花びらを、ぺっと吐き出した。八雲は口元を着流しの袖でぬぐい、目先の庭の一本の桜の木を見つめた。四月のあたたかな陽気に当てられ、桜吹雪が舞っている。


(桜とは、なぜこんなにも悲しい気持ちにさせるのだろう。八雲は花びらが散る桜を見ていると、涙が出そうになる)


 八雲は今日ある決心をした。父親の正嗣たち一族の者から絶対に入るなと言われているもう使われていないくらに侵入する、と。

 鍵も彼らの居ぬ間に拝借した。彼らは一体なにを隠しているのか。ただの隠し財産であったら拍子抜けするが、それでも調べてみる価値はある。

 八雲が蔵の前に行くと、扉には南京錠なんきんじょうがかけてあった。ふところから鍵の束を出し、一つ一つずつ穴に差し込む。かちりと音がした鍵を左右に動かす。開いた南京錠をほっぽり投げた。

 扉はギィ、と不気味な音を響かせた。

 久々に胸がわくわくし蔵の中に入った八雲は、一瞬にして表情を失う。

 差し込んだ陽の光の一線にほこりが大量に積もっているのが見える。掃除されてない床の上を八雲は歩いていく。

 八雲はこの世に怖いものなど何もないと思っていた。八雲を驚かそうとする幽霊はいっぱい見てきた。しかし彼のおびえは何なのだろう。今まで感じたことないおののきが蔵の中にはあった。

 八雲が奥の壁までたどり着いたと思った。しかし違っていた。

 ──そこは座敷牢であった。鉄格子に阻まれてこれ以上は進めないのだ。

 八雲は冷たい鉄格子に触れて、その先を覗いた。


 白いものがのそりと動いた。

 八雲はびくりと肩を震わせる。


「……人か……?」


 八雲は確かめるかのように声をかけた。すると白い物体が突然、ぎゅるりと大きく動いた。八雲はびっくりして、掴んでいた鉄格子を離してしまった。

 八雲の目に入ったもの、それは白装束しろしょうぞくを着た女の顔だった。

 絹のような黒い髪がだらりと床に垂れている。女はパッチリとした目を開けると、八雲を睨みつけた。目力の強い女の瞳は、この暗い蔵には似合わず、んでいた。

 座敷牢の中には畳の床が敷いてあり、黄ばんでいる白い枕が、女のそばにあった。女はどうやら眠っていたようであった。

 八雲は──女を美しいと思った。今まで見たことない美少女だった。

 白装束と同じ色をした透き通った肌。彫りの深い整った顔。椿の花を彷彿させる艶のある唇。


「お前、誰だ?」


 八雲は正体が人間であると思うと、安心して声をかけた。女は無言でまだ八雲を睨んでいる。八雲はふと敵対心の強い猫を思い出した。八雲はその場にしゃがみ込んだ。


「食べるか?」


 八雲は鉄格子の間から塩むすびを渡した。女の手元には届かず、経木きょうぎで包んだ塩むすびがぽとりと床に落ちた。女は塩むすびをじっと見つめると、八雲をちらりと横目にやる。


「……なんでこんなところに居るんだ?」


 八雲は食べかけだった塩むすびの経木をはがして、女の前で食べ始めた。女はそっと塩むすびをとった。


「私が異質だからよ」

「異質……」

「異様、異端、異形、気味が悪い、そんなところかしら」

「綺麗な顔してもったいないな」


 女は塩むすびを見ると、ひとかけらだけとって、静かに口に入れた。

 美味しいと思っているのかいないのか。全く分からない無表情であった。


 異質──その言葉に八雲は小学校でのある出来事を思い出す。

 『八雲さんは異質ですね』と学友に言われたのだ。

 将来の夢という作文を発表する授業中であった。八雲はこう言った。

 『私はどうやら霊感が強いようなので、かの安倍晴明のような陰陽師になります』と。八雲が読み終わると教室中がざわめきだした。担任教師からは放課後に『今日のことをお父様と話し合いましょうね』と説教なのかわからない呼び出しをされた。

 その日の帰り道で学友たちに自分の夢は本気だと言っても、彼らは苦笑いするばかりであった。


 この女も、自分と同じ異質──なのだろうか。


「名前なんていうんだ」

「……何だったかしら」

「自分の名前もわからないのかよ」

「……太陽」

「……?」

「太陽の光が差し込む桜の下で生まれた桃のような娘……陽桜李ヒオリ。正嗣という男がそう名付けてくれたわ」

「父上が?」


 八雲は突然、自分の父親の名が出てきて驚いた。父親はこのヒオリという女と顔見知りであるということだ。どうして蔵にヒオリが居るのを隠していたのか。


「大切な名前、忘れるなよ、ヒオリ」


 八雲は純粋に良い名だと思った。


「名前なんてどうだっていいわ。どうせ私は死ぬんだもの」

「……やまいでもあるのか?」

「貴方たち一族に殺されるのよ」


 ヒオリは冷たく笑った。

 八雲はおもわず口に入れていた塩むすびを敷かれていた経木の上に置く。


「俺たちの家族が……?そんな馬鹿なことが」

「あなた何も知らないのね」


 ヒオリは鉄格子を片手で音を立てて掴んだ。青白い彼女の顔が、八雲に近づく。八雲は間近にあるヒオリの赤い唇に体が固まる。


「私はこずみ桜の娘よ」


 ヒオリは諦めたように笑った。

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