7-2 ヒオリ川

『……ああ、そりゃあもう、奴がこーんなに小さな頃からだ』

 

 老人は手を下げて子供の背丈を表現して言った。陽桜李は川からあがる。黒のサスペンダーのスカートの裾をつまむと水滴がぽたぽたと落ちていく。陽桜李はしばらく考え込むような表情をしてから、真っ直ぐとした目になる。


「ヒオリ……一体、彼女になにが?」

『殺された』

「……え」

『……どうしてあんなむごいことが起こったのか、悔やんでも悔やみきれない』


 陽桜李は衝撃で口を閉じてしまう。


『陽桜李さま!』

『これをどうぞ』


 突然どこからともなく二人の美しい女性がふわりと出てきた。川の冷気で震えている陽桜李に彼女たちは紫の綺麗な羽織をかぶせる。陽桜李は右片方の女性を見る。比べるとこちらのほうが落ち着きがある雰囲気をかもしだしている。


「……あなたの声、どこかで……!」

『だから言いましたのに。無茶してはいけませんよ、と』

「紫の蝶!」


 陽桜李は感動して目を輝かせる。蝶の化身であった彼女はにこりと笑った。陽桜李がまだ幼げだった頃から見守ってくれていたのだ。


 陽桜李は意を決して老人にすべてを話した。自分の経緯から気持ちまで──最初は八雲のもとから何度も離れようとしたほど嫌だったこと、でもだんだんと自分には八雲が必要だと思い始め、兄たちも好きだということ、しかし先ほど八雲に疑念を抱いてしまって頭の整理がつかない、と。


 老人は黙って聞いてくれた。陽桜李は途中で泣きながらも話し終えた。


『それはやきもちじゃな』


 老人はからっと笑うと陽桜李に言った。陽桜李は「はい?」と首を傾げる。


「やきもち……?」

『ワシも昔は女によく持たれたものじゃ、ほっほっほ』


 老人はひげをなでながら大きく口を開けて笑う。陽桜李は言う相手を間違えたかと怪訝な目つきで彼を見る。


『父親にとって自分が一番であってほしい、だけどそうじゃなかった、自分以外にも大切な人がいた。それが辛かった。そんなところかの。しかしの、八雲は誰のものでもない。お前さんだってそうだ。自分は自分のものでしかない』


 陽桜李の胸にぐさりと釘でも刺さったように痛くなる。図星でしかなかったからだ。


『悪く捉えてはいかんぞ、それは良いことだ。お前さん何故なら最初は八雲のことがいやだったんではないか?』

「う、うん……」

『それが今じゃ八雲に怒るほどあ奴を好いている。八雲もこんな可愛い子に想われて幸せじゃの』


 がっくりと落ち込んでしまっている陽桜李に老人は優しくそう言った。陽桜李は切り替えるように頭を振る。


「陽桜李。大丈夫?」


 耳に響く穏和な声がした。陽桜李はハッと振り返る。

 そこには琥珀が居た。しゃがみ込んで「おいで」と陽桜李に手招きをする。陽桜李はつい琥珀に甘えて抱きついてしまった。琥珀は「よしよし」と戻ってきた陽桜李の頭を撫でる。


「まあ、父上も少し迷っちゃったんだね。でも焦らなくていいんだよ。ゆっくりみんなで家族になっていこう。ね?」

「琥珀お兄さま、ありがとう……私、お父さまにひどいことを言った。怒ってるでしょうか、ちゃんと謝らなきゃ」

「大丈夫、父上も大人だから分かってるさ」


 老人──この川のぬしなど見向きもせずに、あっさりと陽桜李を連れて行ってしまった琥珀。主はむむっと琥珀の後ろ姿を感心したように見つめた。


『……あの男、相当女慣れしてるな。八雲もあのぐらいの手練があれば、なあ』




「陽桜李!どこまで行ってたんだよ!」


 陽桜李が八雲たちのもとへ戻ると、大和は息を切らしながら駆け寄ってきた。琥珀と一緒に周辺を陽桜李を探していたようだった。

 八雲は変わらず川のほうに背を向けている。陽桜李にちらりと目をやると、安堵の表情が少し浮かんでいた。


「琥珀、よく見つけたな」

「ははは、俺には霊感はないけどお兄さんセンサーはあるのかも」


 琥珀は頭をかきながら冗談を言う。陽桜李はじっと八雲の背中を見ていた。


「……ほら、父上とお話したいんでしょ?」


 陽桜李は琥珀にとん、と軽く肩を押される。心の中で「うん」とうなずいた。


「……ありがとう、琥珀お兄さま、大和お兄さま」


 陽桜李はふわりと二人に微笑んだ。そしてゆっくりと八雲に近づいた。「で?話の続きは?」と大和が急かすのを、琥珀が止める。琥珀は陽桜李に片目を閉じると、大和を連れてその場から去った。



 静かになると川のせせらぎが音楽のように奏でていた。


 陽桜李は八雲の着流しの袖をそっと握った。そうしていると、いつものように陽桜李の手を取り、そっとつないだ。八雲の手は乾燥しているが、家族の誰よりも大きく、ごつごつしていて、あたたかった。


「お父さま、ごめんなさい」

「……ああ、俺も悪かった」


 二人で手をつないだまま無言だった。

 互いに真っ直ぐと前を向いていたが、陽桜李が先に横を見て顔をあげる。しばらくすると八雲も陽桜李のほうをやっと見てくれた。

 陽桜李は我慢できず八雲に抱きついた。八雲は屈んでゆっくりと陽桜李の背中をなでた。


「お父さま……ヒオリさんはどんな方でしたか」


 陽桜李は八雲を離すと彼の瞳を見つめる。

 聞いてもいいのか迷った。だけど聞かなければいけない気がした。


「……弱いのに、強い人だった」


 八雲はしっかりと陽桜李と視線を合わせて言う。陽桜李の頭をなでるとふ、と笑っていたが、それでも、八雲は泣いているような声だった。


 そして八雲は語り始めた。自分の過去を──。

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