6-1 蝶の知らせ


 ある日の夕食後、陽桜李は食器洗いをしていた。隣で琥珀が一緒に手伝ってくれている。最初は八雲が家事を覚えさせるよう一人でやっていた。陽桜李がそつなく出来るようになると、八雲たちも順番で協力してくれるようになった。居間の小さなテレビにはバラエティー番組がついていて大和の笑い声が聞こえる。


 陽桜李はシンクの中で最後の一枚の皿を布巾で拭き終わる。エプロンで手をふきながら、掛け時計を見た。


「……お風呂のじかん」

「ああ、もう八時か。俺と一緒に入る?」


 陽桜李は踏み台から降りる。優しく自分の肩を抱いた琥珀に、びくりと震えた。陽桜李は琥珀をじっと見つめて、頬がほんのりと赤く染まる。琥珀から突き放すように離れると、縁側で涼んでいる八雲のそばに駆け寄った。


「なんでお風呂は父上とが良いのかなぁ、何度誘ってもフラレるんだよね」

「優男のフリして下衆だっての見破ってるんじゃねぇの」

「俺のことを意識して照れてるだけじゃない」


 そんな言い合いをしている兄弟たちをよそに、陽桜李は新聞を読み込んでいる八雲の腕を、ぎゅっと掴んだ。八雲は眉をしかめて陽桜李を見た。


「……ああ、なんだ、風呂か。お前もそろそろ一人で入れるようになれ」

「……」

「……わかった」


 八雲は新聞を畳むと、縁側から立ち上がった。

 琥珀は厳しいながら何だかんだ陽桜李に甘い父親に微笑ましくなる。逆に大和はこんなに女に参っている父親は見たことなく、威厳とした彼の印象が崩れていくようで、複雑な思いであるのだった。


 陽桜李は風呂の前に縁側のしたをのぞく。虫かごを取った。弓子の言う通りにヤモリは虫を食うので逃がした。するとついこの間、さなぎが蝶に羽化したのだ。


「大和お兄さまー、ちょうちょいる?」

「いらねぇ!」


 大和はこちらも見向きもせずに心底嫌そうに叫んだ。陽桜李は前に白のモンシロチョウをあげようとしたが大和は渡された瞬間に無表情になると、そっと逃がしてしまった。

 だから虫かごにはもうこのさなぎから成長した蝶しか居ない。


 蝶は紫色の羽をしていた。陽桜李は八雲に買ってもらった昆虫図鑑を読んだが当てはまりそうな種類はなかった。


 もしかすると新種を見つけてしまったのかもしれない。陽桜李はそう思っていたが今日、逃がすことにしていた。


「……さようなら」


 陽桜李は惜しみながら言う。手のひらに乗った花のような紫の蝶は夜空の半月に向かって飛んでいった。


『無茶はしちゃ駄目ですよ』


 凛とした声がした。

 陽桜李は目をぱちりとまばたきさせる。


「……喋った。大和お兄さま!ちょうちょが喋った!」

「あーそうかい。良かったな」

「琥珀お兄さま、今の聞きましたか!女の人の声でした!」

「ん?えーっと……聞こえなかったかな……」


 陽桜李はめずらしく必死になって兄二人に聞いた。蝶が飛んでいった方向を指を差す。


「お父さま、今の……」


 陽桜李は八雲のもとへ行って嬉しそうに言おうとして止まる。

 陽桜李の見たことのない八雲の顔だった。呆けたように口をあけて、蝶の飛んでいった先へ誘われるように歩き出してしまう。


「……お父さま……?」


 陽桜李が呼びかけるとはっとした顔をする八雲。ごほん、とひとつ咳払いをする。


「……何でもない」

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