5-2 ねがいごと、ひとつだけ


 電車を降りて八雲が陽桜李を連れて行ったのは村外のある公園だった。隣に白い建物がたっている。笑い声が聞こえた。陽桜李はその建物をじっとながめる。陽桜李にはとても出せそうにない大きな声だ。


「……大和が育った児童養護施設だ」


 ふしぎそうにしている陽桜李に八雲は言った。


 キィ──。


 金属音が公園に響き渡る。陽桜李はブランコのほうを見ておどろいた声をあげた。


「弓子!」


 陽桜李は駆け寄る。弓子がうつむいてブランコに乗っていた。陽桜李は弓子をしたから見つめるが何の反応もない。陽桜李は弓子の隣に座るつもりでブランコに乗ってみる。


 キィ、キィ──。


 一緒にブランコの揺れが交差する。


「わからないでしょ。死んでも子を産もうと思った女の気持ち」


 弓子は顔を上げると八雲へ冷めた目を向けて言った。


「……情けないな、男っていうのは。一生わからない奇跡だ」


 八雲は静かに返事をする。そしてこう言った。


「けれど、その奇跡に寄り添いたいとは思っている」


 風が吹く。公園の入り口に植えてある桜の木から花びらが八雲を囲むように舞っていく。弓子の膝上にもいくつもの花びらが落ちる。


「八雲さまは……陽桜李をどうするの?」

「俺が育てる」

「無理よ、琥珀さまや大和のようにはいかないわ。あなたがやってることは身勝手」

「そう思われてもいい。俺は自分の寝首を掻かれようがこの子を育てる」


 ふたたび桜の木がごうごうと騒ぎ出した。陽桜李は目をこする。


「必ず幸せにする」


 八雲が真っ直ぐな目でそう言った。


「弓子は、どうしたいの?」

「……え?」


 陽桜李はブランコをおりると弓子に聞く。


「……大和に、お母さんらしいことしてあげられなかった。お弁当のひとつくらい……作ってあげたかった……」


 弓子は両目を潤わせた。だから陽桜李は弓子の手を握る。


「じゃあしよう!大和お兄さまにお弁当つくるの!」

「ちょ、ちょっと?陽桜李?!」

「弓子がやりたいことやればいい!そしたら弓子もう泣かないでしょ?」


 陽桜李は弓子の膝上にあった花びらをそっと拾う。そして弓子に渡した。弓子は口を結んで一生懸命にこくりと頷く。陽桜李は笑顔でぐるっと振り返ると八雲に嬉しそうに言った。


「お父さま!お手伝いお願いします!」

「……霊とお弁当作りときたか……俺でも流石に初めてだが……」


 八雲は困ったようだが楽しそうであった。





 翌朝。陽桜李は自室の文机のうえで目を覚ました。掛け時計を見ると朝の五時になろうとしている。夜通しで書いたある紙をじっくりと確認してうなずく。それを持って台所へ走った。

 冷蔵庫から卵をひとつ。台所のシンクの前で八雲が用意した陽桜李専用の木の踏み台にあがる。お椀に卵を割ると殻の欠片が白身に混ざってしまったので、人差し指ですくって取った。割箸でくるくるとかきまぜる。


「……ちび助、今度は何をやろうとしてるんだ……」


 背後から呆れた声がする。

 春休みの部活動で起きてきた大和が寝間着で眠たそうに目をこすっていた。


「ちびすけじゃありません」


 陽桜李は卵と砂糖を混ぜながら否定の返事をした。


「あぶねーから火は使うなよ……」

「つかれた」

「は?」

「卵とくのって大変です。大和お兄さま、あとはよろしくお願いします」

「えっ、ちょっ……」


 陽桜李はまな板の上に食材をたくさん置いてぴょこんと踏み台から降りた。ひゅうと風のように大和の前から逃げる。


「なんだってんだよ!」


 大和は陽桜李の理解不能な言動に頭を抱える。一体何なのだ。今日の朝食の当番は誰だったか。と大和は冷蔵庫の前に張り付けられているボードを見る。『大和』と書かれていたのを見ると、そうか自分にやれということかと納得せざるを得なくなる。

 まだ眠い上にこれから部活だ。憂うつと思っていると、ひらりと紙が落ちる。


「……ゆみこのレシピ?」


 大和はのんびりとしゃがみ込んで紙を見る。そして書いてある文字に目を丸くした。


「……ゆみこって……俺の……」


 ぽつんと記憶の底にあった名前が浮かぶ。施設にいた頃に写真でしか見たことない白いスカートの女性だ。

 大和は思わず振り返る。自分以外、誰も居なかった。


「ま、まさかな」


 大和は頭を掻きながら言う。台所に戻って素早く卵をとき始めた。どうしてか──陽桜李の持っていたレシピを見てしまう。懸命に読みながらその手順で作りはじめた。


「玉子焼きは美味うまいんだぞ、たっく」


 大和が料理をしているのを見ている者が二人・・、居た。こっそりと居間の襖の影から大和の後ろ姿をながめている陽桜李と──大和の隣で優しく微笑んでいるゆみこだ。


 ──相も変わらず寝室に行かずに縁側の唐の椅子で寝ている男がいた。足を組んで頬杖をついて目を閉じている。ゆうべ三人でどんな弁当を作るかああだこうだと夜更かしをしていて眠そうだ。

 それを知っていた琥珀は廊下で「父上、寝るなら自分の部屋に行ってください」と声をかける。


「父上。俺には視えない・・・・のでなにを視ているのか・・・・・・さっぱり分かりませんが、あそこに誰かいるんですか?」


 琥珀はふっと笑って大和をのぞいている陽桜李の小さな背中を見る。


「さあ、な」


 寝ていると思っていた八雲はぶっきらぼうに、でも柔らかく、そう言った。


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