2-2 ぶきようなひとたち



「相変わらず咲いてるなぁ」


 琥珀は山の森を抜けて疲れたように息を吐いた。陽桜李は目を覚ますと地面に降ろされた。頬にさらりと何かが触れた。それは一枚の黒い花弁であった。陽桜李は横を向いて、あるものが目に入る。


 黒く舞い落ちる花びらの木──こずみ桜。


 陽桜李はすぐに桜の木に寄りかかって寝転がった。顔に大きな影が差すがとても落ち着いた。


「ははは、厳しい父上より、その花びらのほうが好きなのかな」


 琥珀が花びらを踏みながら陽桜李の隣に座った。


「日向ぼっこできるね」


 優しく琥珀がそう言うと陽桜李と手を繋いだ。その瞬間だった。


「うっ……」


 琥珀がうめき声をあげる。腹をおさえてしゃがみ込んでしまった。

 黒い雨が降ったかのような何枚もの花びらが琥珀の周りにまとわりつく。陽桜李は琥珀に花びらをどけてあげようと琥珀の肩に触れた。だが──。


『お母さん、お母さん……待って』


 琥珀と似た顔をした少年が去って行く女性の後ろ姿を追いかけた。しかし呼吸がうまくできなくて途中で倒れる。一生懸命に息を吸おうと仰向けになると、陽の光が彼の目に眩しく映った。少年の頬に一枚の黒の花びらが落ちる。


『僕を、僕を置いていかないで……』



「……行かないで」


 陽桜李は少年と同じ声にはっとする。琥珀のような少年の黒い花の樹の光景から現実に戻った。ゆるりと顔をあげると琥珀が自分の手を持ち上げるように握っていた。人差し指からみしっと音がし、骨が折れるのかと思うほどだ。


「……っ!」

「どうせお前も捨てるのか。俺を捨てるのか」


 いきなり琥珀に突き飛ばされて、陽桜李は地面に倒れ込む。服に土埃が舞う。


「……なにをした。俺になにをした?」


 じり、じり、と琥珀が異様な雰囲気で近寄ってくる。もうあの優しかった琥珀ではなかった。ご飯を食べさせてくれて、笑いながら頭を撫でてくれて、初めて嬉しいという気持ちを抱かせてくれた琥珀は、今、陽桜李を冷たい目で見下ろしている。


 琥珀がおおいかぶさると、そのまま陽桜李の小首に手が伸びた。



馬鹿者ばかもの


 鼓膜にひびく低い声がした。


 八雲が琥珀の後ろの首根をおもいっきり叩いた。すると琥珀は目の前で勢いよく倒れる。寝ているように突然落ち着いた琥珀に陽桜李は近づく。琥珀がもう起きないのかとさみしくなる。琥珀の体を触ろうとすると八雲が制止して陽桜李から離した。


 八雲が琥珀の片腕を乱暴に引っ張った。それを見て陽桜李は反射的に体が動く。


「う……!うー!」


 陽桜李は八雲の手首に齧りついた。小さな歯を立ててあとをつける。


 ──この男がなにかした。琥珀になにかした。

 守らなければ、琥珀を。

 

「ここはどこなのか。自分は誰なのか。どうして自分がこんな目にあうのか。そう言いたいんだろう」


 八雲は表情を変えずにいた。少女のばかぢからで血が出始める。


「一人で行きたければ行けばいい。でも"今はまだ”出来ないだろう。こうやって自分の力を制御できやしなくて人を狂わせる」

「っ、うー!」

「勝手に生んだのに、と思うか?ああ、そうだ。勝手に生んだ」

「ぐ、うー!うー!」

まれたからにはきるしかない。どうなっても、だ」

「…う、う……うう」


 陽桜李はだんだんと力を弱めた。口をあけると唾液と血の混じった味がして苦い。陽桜李はじっと八雲の着流しの袖から出る手首を見つめる。自分の歯型がくっきり残り、点々とふたつほどの傷ができていた。


 陽桜李は胸がぎゅっと苦しくなり、八雲の手をそっと撫でた。


 見上げるといつもの眉間にしわを寄せた気難しい顔の八雲と視線が合ったのだった。




「いやあ……憑き物が落ちたって……まさにこのことでしょうかね、父上!さすが上春神社の看板宮司!俺はこんな父上に育ててもらえて幸せですよ、いくら実の母親にあの気味の悪い山に捨てられたとしてもね!血は水よりも濃いとも言いますが、それより大事なものだって」

「だめだ、熱が出てきたな」


 八雲邸の琥珀の部屋に陽桜李は入った。布団で寝かされている琥珀と、体温計を見てしかめっ面になっている八雲。陽桜李はふだんは物静かな琥珀がすこしだけ興奮しているのを心配した。頬が赤くなっており、何度も咳き込んでいる。


 さすがの陽桜李も琥珀のこの様子で気が付いた。


 ──八雲は助けてくれたのだ。

 自分がしでかしてしまった。優しくしてくれた琥珀をこうさせたのは自分だ、と。


 陽桜李はそっと琥珀のそばによった。

 どうしたらいいか分からなく彼が自分にやってくれたように毛布のうえにある琥珀の手を包み込んだ。天井にあった琥珀の視線は陽桜李のほうに向く。


「やっぱり、君は父上と同じなのかな」


 陽桜李の好きな琥珀の穏やかな目が戻った。


「俺には視えないものが視える。君は視たんだろう。俺の……」


 言いかけながら琥珀はゆっくりと目を閉じた。陽桜李はまた琥珀が起きるよう体を揺らしたが、八雲が首を振る。


「今日はゆっくり寝かせてあげなさい」

「……」

「ずっとそこに居てどうするんだ」

「……」

「……はぁ。夕飯時には居間に来るんだぞ」


 八雲は肩を竦めるとすっと立ち上がる。


「あ、りがとう……」


 陽桜李は意識が途切れていきながら、去って行く八雲にぽつりと呟いた。琥珀とつないだ手に温もりを感じる。開いた窓から差し込む陽射しにそいながら、一枚の桃色の花びらが舞い込んできた。

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