4-1 母親



 大和は居間で座布団を枕にして寝かされていた。陽桜李はうちわで大和の顔をあおいでいる。


「もっと俺に……風を……風をくれ……」


 ぱた、ぱた、ぱたぱた……うわごとを言う大和に何度も風を吹かせる。


「つかれた」

「えっ」

「ちょうちょ、あげたら、元気出る!今、もってくる!」

「お前いいかげんにしろ!」


 陽桜李は飽きてしまってうちわを置いた。はりきって走って縁側へ向かう。「うう……うう」とうなされた声を発する大和を見つめる。陽桜李は八雲に教えられていた。『人には自分がされて嬉しいことをしなさい』と。

 陽桜李は虫を貰ったら嬉しい。それが希少価値であればあるほどだ。


 ──だから思った。きっと大和もちょうちょをあげたら喜ぶ。


「あ!ちょうちょが!」


 しかし陽桜李は虫かごを開けてあ然とした。朝まで美しく佇んでいた黄色のモンシロチョウがいない。のちに捕まえた白のモンシロチョウをあげてしまえば、自分の分の蝶がなくなる。大和に自分のがなくなっても体調を取り戻すのならあげてもよかった。そうではなく、陽桜李はなぜ黄色のモンシロチョウがいなくなったのか疑問だった。


「ばかね。ヤモリを一緒に入れるからよ」


 陽桜李は眉を下げる。縁側で足をぶらぶらさせて座っていると、隣で暗い声がした。ゆみこが陽桜李を見下ろしていた。


「ちょうちょ、どこにいったの?」

「死んだのよ」


 ゆみこが陽桜李の耳元で笑って言った。


「私と同じように、ね……」


 陽桜李はゆみこを怪訝な目で見る。元々、笑顔が少ないが、彼女と違ってニコリともしなかった。する気も起きなかった。


「ね、陽桜李。外に出ましょう」

「……なんで?」

「だって、陽桜李、あなた、家族を苦しめてばかりじゃない」

「苦しめ……る?」

「ええ」

「苦しいの?私のせい?」

「そうでしょう、あなただって私と同じことしてる。しょせん、人ならざる者なんてそうなのよ」

「家族、苦しめちゃだめ?」

「そう、だからここを出ていくの!迷惑かけないように、八雲さまのためよ!」

「……八雲お父さまの、ため……」


 陽桜李は言葉を繰り返した。


「八雲さまだって……男の人には分からないわよ。生みの苦しみ」


 ゆみこは立ち上がると手のひらをぎゅっと握りしめる。その手は震えていた。そして彼女の目はどこを見る訳でもなくどこかを睨んでいた。


「さ、そうと決まったら出発しましょ。荷物忘れないでね」


 ゆみこは陽桜李の有無を聞かずにすーっと浮いて行った。

 陽桜李はどうしようかと大和のほうを見る。大和は穏やかな顔でゆっくり眠っていた。




 春の日差しは眠たくなるが暑くもある。

 桃色の花の樹。あれは”桜”というのだと八雲が教えてくれた。桜の色はひとつか。芋虫のような緑、モンシロチョウの黄色、陽桜李の背中から伸びる影の──黒。

 自分ははっきりと覚えている。

 大きな黒の花の樹を。ではあれは何と言うのだろうか。


 陽桜李はそんなことをふと思い出しながら、道の桜の樹を見上げた。

 

「……どこいくの?」


 陽桜李はゆみこに聞いた。


「こっち!」

「……ゆみこ、怒ってる?」

「怒ってない!」


 ゆみこは声を荒げると先に行ってしまう。

 陽桜李はのんびりと後を追うことにした。

 もう八雲邸からだいぶ離れてしまった。振り返っても視界には入らない。

 陽桜李は横断歩道で車も通ってないのに手を上げる。広大な田畑の中でたまにある住宅を抜けると、のどがかわいた。ぶらさげている虫かごを掴んでみて、じーっと見るがなかに水分があるわけでもない。陽桜李は額に汗がじわっと流れる。


 おみず。お水が欲しい。


 八雲お父さま。琥珀お兄さま。大和お兄さま。

 それと──おかあさん。おかあさん?


 おかあさんはだあれ?


 神さま?


 お水をください。



『フフ……』


 陽桜李の前に突然、強い風が吹いた。


『オイデ……オイデ……』


 女の声がする。


「いや!」


 陽桜李は悲鳴をあげた。

 足元の落ち葉が黒く燃えていく。虫に喰われた葉が美しく花びらに変化する。幾枚もの花びらが生き物のように陽桜李のサンダルから膝までまとわりついた。

 陽桜李は足に痛みを感じて花びらをはらおうとした。動けなくなった瞬間に、陽桜李が虫かごをぐっと掴んだ時だった。


「……お母さん、この子はやめて。私たちの希望よ」


 陽桜李ヒオリは返事をした。


 風は止む。

 陽桜李は自分が発した声で閉じていた目を開けた。



「わ!びっくりした!」


 ごつん、と鼻がなにかにぶつかり目の前が光る。陽桜李は首が痛くなるほど顔を上げた。

 八雲の黒い着流しとは違う。しかし似たような灰色の着流しのようなものを着ている男が自分を驚いた顔で見ている。


「……かみのけ、ない」


 陽桜李はぼけっと口をあけて男の坊主頭を見た。ゆみこと同じだ。否、もっとすごいのと遭遇した。


「み……」

「ん?」

「み!ず!」


 陽桜李は声からがらに言うと、目眩がして倒れた。

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