2-1 ぶきようなひとたち


 朝の日差しで目が覚める。

 陽桜李は布団のなかで天井をぼーっと見ていた。起き上がると、部屋の周りを見渡す。ぐしゃぐしゃになった紙が散らばっている。自分が書いた文字が歪んでいた。

 いつ寝たのか覚えてない。しかしこの布団というあたたかいものに自分が入った覚えもない。


「もう起きなさい。昼過ぎだ」


 がらっと襖が開くと、真っ黒な影が現れた。八雲が自分を見下ろしていた。


「……昨日は夜遅くまで仕事があった。夕飯ゆうめしを作れなくてわるかった」


 八雲はぼりぼりと、頭を掻く。彼のきれいな黒髪がぼさぼさになる。


「飯を用意している。いっしょに食べよう」


 陽桜李は疲れていた。それが疲れというのも分からなかったが、頭が痛み、腕が動かない。布団のなかにもぐった。


「……二度は言わないぞ、起きろと言ったんだ」

「や!」


 陽桜李は八雲の手を思いっきり引っ叩いた。自分でびっくりする。だが、八雲の強いちからで布団から引きずりだそうと腕を掴まれたことに、気分が悪くなった。

 ──彼はあの琥珀のように優しくない。

 冷たい顔のうらはいつもなにか必死で、その懸命さが、陽桜李には自分勝手に見えた。

 陽桜李は自分の手のひらを見る。

 そうは思うのに、怒られる恐怖で、布団のなかに入ってがたがた震えていた。


「……わかった。もう少し休んでなさい」


 バンッ、と襖が閉められる。

 陽桜李は八雲が居た方を見ずに背を向けて、ふたたび起き上がった。


「……あら、怒られちゃった?」


 陽桜李の視界をふさぐようにスッとゆみこが現れた。


「八雲さま……うーん!相変わらず素敵!」


 ゆみこは白いスカートをふわりとゆらして楽しそうだった。




 陽桜李は部屋を出る。八雲邸から出て行こうと思った。自分がいったいどうしてこの家に居るのかさっぱり分からない。だがここでなにかを強制されるより、なぜかあの黒の花びらが恋しかった。

 襖には鍵がかかってない。

 開けると日の光がまぶしくさす。


 あたたかな陽が当たる縁側で八雲が唐の椅子に寄りかかって眠っていた。整えられた白髪まじりの黒い髪に鼻筋が通っている。光に当たるといっそう白くなる肌。


 陽桜李は八雲に気づかれないように縁側をおりる。

 素足にじゃり、と音をしながら土の砂がつく。すると陽桜李が見たことのない色の花びらが足の爪についた。

 ──桃色。

 陽桜李が顔をあげると一本、二本、と初めて見た色の樹がならぶ。


「……おかあさん」


 ふ、と出た言葉だ。

 八雲に教えられたものでもない。陽桜李のはるかとおくの記憶にきざみこまれていた。



「あれ?起きたの?おはよう」


 陽桜李がぼうっと桜の前に立っていると後ろから穏やかな声がした。琥珀が陽桜李の肩にふれる。


「おいで。ずっと寝てたでしょ。おなかすかない?」


 琥珀が優しい笑みで手を差し伸べる。陽桜李はぎゅっとその手をにぎりしめた。


「さて父上はいったい何をしてるんだか……と思ったら寝てるな。昨日も仕事だったからか」


 陽桜李は手を引かれて八雲邸に戻ってくる。唐の椅子で寝ている八雲を見つけると、琥珀は苦笑いした。


「父上、こんなところで寝ないでください」


 琥珀は声をかける。

 八雲はびくっと体を揺らすと目をぱっちりとあけた。驚いた顔で琥珀のことを見る。


「……ああ、琥珀か……。お前、どうして昨日と同じ服なんだ?……もういいかげん落ち着いたらどうなんだ。ましてや朝帰りなんてみっともない」

「父上、やだな、うら若き乙女でもあるまいですし……」


 琥珀はぎくっと肩を上げた。はは、とごまかすように笑う。しかし八雲の厳しい目は変わらなかった。


 陽桜李は二人の会話に取り残されたような気持ちになる。すっと琥珀の手をはなして走り出した。



 ──ここはどこなのだろう。


 陽桜李にとっては、あの屋敷のなかも、庭のふしぎな色の樹も、八雲も、琥珀も、ずっと知らない光景だ。陽桜李は後ろをながめる。歩けば歩くほど屋敷が遠のいていく。何なのだ。この胸の苦しさは──。


「……八雲おとうさま、琥珀おにいさま、やまと……」


 陽桜李はうつむきながら八雲に教え込まれた言葉たちを、人たちを、呟く。自分の身長より半分ほどの大きな枝木を見つけると近くの雑木林に入る。


「ひ、お、。ひ、おり……ヒオリ」


 ──お前の名だ。

 そう言う八雲の顔が浮かぶ。


「おまえ、の、なまえ。なまえ……ひおり……う……」


 ずきん、頭が痛む。

 陽桜李は自分の名前を呼ぶたびに目の前が揺れて止まらない。

 

「こら、つかまえた!」


 いたずらめいた笑い声が聞こえる。陽桜李の小さな体が宙に浮いた。さらに視界がぐらぐらと動く。誰かに両脇を軽く掴まれ、抱きかかえられそうになるのを、陽桜李は首を思いっきり振って抵抗した。

 

「俺も父上から逃げてきたから。陽桜李といっしょだよ」


 陽桜李は閉じていたまぶたをあけると、目の前に琥珀が居た。彼の栗色の髪が風でなびく。目元にすこし隈が残っていて、肌の血色が悪い。


「ちょっと散歩でもしようか。部屋に閉じこもって疲れたでしょ」


 琥珀がそっと陽桜李をおろした。


「俺もね、父上に拾われたんだ。あの黒い桜の下で。と言っても俺は実の母親に捨てられたんだけどね」


 陽桜李はぼうっとして琥珀に差しのべられた手を握った。


「もどる」

「え?」

「おうち、もどる」

「ああ、父上のところに戻る?」


 陽桜李は違うと首を横に振った。真顔で八雲邸から見える大きな山を指を差す。


 ──ここはいやだ。あの山に居たときのほうが落ち着く。


 そんな陽桜李の様子に琥珀は「げ、」と嫌な声をあげる。


「あそこかぁ……ま、同じ出身同士、行ってみようか」


 琥珀は苦笑しながらも陽桜李を抱き上げた。陽桜李は目をつむって琥珀の胸元に顔を寄せた。





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