第22話 臆病者ノ後悔
――――今までに何度も考えた話だ。
俺は天使達が嫌いだ。
そこに理由はない。理由はないと言うのはそのままの意味で、本当に何もないのだ。
そもそも天使が姉ちゃんを殺したと言う証拠がない。なのに天使が嫌い? ……それはおかしくないか?
じゃあ仮にだ。
もし仮に姉ちゃんの誕生日のアレを、天使がやったと言う確定的証拠が出来てきたら=俺は天使が嫌い。と言う考えになるのか?
否。俺は恐怖するだけだ。
やったのが誰であろうと、俺はただ恐怖するだけ。……ならば、今あるこの『天使が嫌い』と言う感情はどこから生まれた?
(…………)
俺は天使が嫌いだ。
姉ちゃんが殺されたから――ではない。理由は分からない。ただ奴らが嫌いだ。物凄く嫌いだ。この上ないほどに嫌いだ。
そして奴らも俺が嫌いだ。
理由は分からないが、何故か俺が嫌いなようだ。
だから――俺は――。
◈ ◈ ◈
「――――ッ。ㇰ――。――――ム君ッ! クロム君ッ!!」
「……ッ!!」
俺は勢い良く目を覚まし、飛び起きる。
横には心配そうな結菜の顔が――その頬には涙が滴っていた。
「……ックロム君……!!」
彼女は俺を抱きしめる。その身体は震えていて……。
少しずつ意識が回復しだし思考が回り始め、周りの状況を把握し始める。結菜を中心にあの地下にいた人達の何人かが、俺達を取り囲んでいた。
辺りは生臭く湿った匂いが漂っており、直径二メートル程の横円柱状の長い空間に、今にも消えそうな橙色の光が奥に奥にへと続いている。そして地面はなぜか少し濡れており、それが俺の服について湿っていた。
何処からか水滴のポツン、ポツンと言う音が聞こえて――。皆の表情は暗い者、歪める者、焦っている者、泣いている者。隅の方で……あれは嘔吐物だろうか? それがまき散らされている。
「結菜……ここは、どこだ?」
「大丈夫だからっ! 大丈夫だよ、クロム君ッ!!」
彼女は泣き叫びながら――辺りにその悲痛な声は反響する。そして俺の回していた腕を、より強く抱きして……。
そこで思い出す。
(……そうだ。俺は避難して地下水道に……。ぁあっ!)
俺は更に思い出す。
大事な――。
「ジェミーさんは? ジェミーさんは大丈――」
――――ベチャッ。
それは後ろから聞こえて来た。湿った何かが地面とぶつかり合った音。それは小さく反響する。
悪寒。全身に走る何とも言えない感覚、感情。背筋が凍る。息をしたくなくなる。止めていないと、恐怖で潰れそうになるから。
俺は音のした、後ろを――。
「ぁ、ダ……メ……」
結菜は弱々しく止めるが――もう遅かった。
そこには紅く染まった梯子。そしてその下に、紅色の何か……なにかの塊が落ちている。鮮やかな紅色。
ポツン、ポツン、ポツン――。
その紅色の塊のすぐそばで、先ほどから小さく聞こえていた、水滴。その音の正体が確認出来る。
ただし、それは紅色で――――。
それから俺の視線は導かれるように、真っ紅な梯子を登っていく。脳は死んだ。考える事を放棄している。ただ導かれるままに、俺は登る。
まず初めに目にしたのは、紅色の紐状のなにかが垂れ下がっており、無音に、そして不気味に不可解に揺れている。思考が回らず、それが何がは分からない。
視線が更に登って――紅がだらりと――手?
――――それには頭が無かった。
首から下の内臓が剝き出しになっており、どの部位もグチャグチャに破裂、原形をとどめていなかった。腹からは先ほど見た紅色の紐状のもの――小腸がだらりと梯子に垂れ下がっている。
するとまた、
――――ベチュッ。
先ほども聞いた、湿ったソレと地面とぶつかり合った音。その音の正体は――どの部位か分からないグチャグチャの臓器の一部が地面に落ちた音。
そして紅色の水滴は――その紅色の血を吸い込んだ、真っ赤な白衣から……。
ポツン、ポツン、ポツン――。
(……ジェミーさん?)
その屍が梯子の出入り口を塞いでいた。
瞬間、記憶が鮮明に甦る。
――――ツビキッ。
天井や壁の亀裂が一瞬にして一気に広がり、目の前が瓦礫に包まれ――ジェミーさんの咄嗟の判断なのだろう。
ジェミーさんは俺を無理矢理、おぶる体制から抱きかかえる体制に変え、投げ押し込むこうに梯子へ。
そして。
俺はジェミーさんに助けられ梯子に辿り着き、ジェミーさんは瓦礫でグチャグチャにされながら、梯子に辿り着いた。
◈ ◈ ◈
(ジェミーさんが……俺を?)
あの時ジェミーさんが助けに来てくれなかったら、俺は死んでいただろう。しかし俺を助けなければ、ジェミーさんはここに間にあい、助かっていたのかも知れない。いや、知れないではなく絶対にそうだ。そうに違い……。
――いや、それも違う。
そもそも――――。
「……俺がここに……来たから」
そうだ。俺のせいだ。
俺がここに来なければ、こんな事にならずに済んだんだ。皆、平穏に暮らせていて……こんな最悪な状況にならずに……。
俺のせいだ。
それに確か地下施設にいた時は、まだ二十人ぐらいいたと記憶している。が、しかし今周りにいるのはざっと十名ほど。残りの皆は……どうなった?
ミズチは? ケイトさんは?
ミズチの言葉が脳裏をよぎる。
「ここに入れたと言う事は、他の仲間を危険に晒すって事と同義」
あの時はただつまらなく聞いていた。面白くもなくただただ適当に聞いていた。だが……それを現実にしてしまった。危険を現実にしてしまった。なにもかも、恐れていた最悪の事態を現実にしてしまった。
俺のせいだ。
視界に映り込むその光景は、絶望と言うただ単純で恐ろしい感情を俺に押し付ける。紅色の鳴り止まない水滴の音。鼻につく薫りと、口に広がる鉄の味。結菜の震える感触。俺の五感は全て、絶望に支配される。
地面に落ちたイチゴジャムは、橙の光を反射していない。黒い。ただ黒い。
俺のせいだ。
「そもそもお前をココに入れたのは、日下部がお前の事を信用出来ると、声を大にして言ったからだ」
「お前は俺たちに危害を加える心配はないと俺は判断した」
俺が信用出来る?
なんで結菜もミズチも、俺を信用したんだよ。俺は害悪で自分勝手で、俺を信用したって、お前たちには何のメリットもないだろ? ただ傷付ける存在。それなのに何故信用した……?
(――――ッ)
罪の意識が背中を這う。
その瞬間、今、人が死んだと完全に認識した。手助けをしてくれた人が死んだと分かった。俺の知り合いが死んだと分かった。
俺の――『仲間』が死んだと分かった。
全部俺のせいだ。
仲間が死んだ。
なぜ? ――俺がここに来たからだ。
俺のせいだ。
「ギャアアァアアアァァアアアアァアアアアアア!!」
あの時の姉ちゃんの断末魔が、俺の脳内で響く。果てしない恐怖と言う名の感情が、俺を包み込んだ。
あの日と――同じ感覚だ。
復讐? そんなカッコイイ感情が俺に芽生えるはずもない。仲間や大切な人が死んだのにも関わらず、俺は今ただ恐怖に震えているだけ。仲間が死んで、ただ恐ろしいと思っているだけ。
叛逆の狼煙は上げた。しかしそこから何もしなかった。心の何処かで、唯一の力を手に入れる手段すらも、恐かった。
――――また、逃げ出したい。
あの時と何も変わっていない。何一つ。何もかも。
臆病で最低で、現実と恐怖から逃げ出した……あの時と同じだ。そして現に今、あの時と何も変わっていなかった。姉ちゃんのあの時と何も変わっていない。
恐い。恐ろしい。
ただ恐くて恐くて恐くて恐くて……。
大切な人が、仲間が死んだのにも関わらず、俺は恐くてまた逃げたいんだ。
「……俺のせいだ」
俺は震えた声で言った。声に出して、改めて罪悪感が俺を支配する。目からは大粒の涙。
目の前の情景が恐くて恐ろしくて。それよりも自分の情けなさをただ悔やむ――と言う感情よりも、ただ恐くて逃げ出したいと言う感情が勝ってしまって。
身体は動かない。
結菜の俺を抱きしめる腕が、更にギュッと――結菜が何かを言っているが、俺には届かない。聞こえない。聞きたくもない。
その言葉は否定なのだろう。しかし否定されたところで、俺のせいだと言う事に変わらない。そしてその聞きたくないと言う感情も、逃げているからだ。臆病で虚偽の自信で皆を殺した。
――――俺は。
ピキッ――。
その音は、俺の脳裏に焼き付いていた音だった。空間が割れ、崩壊する音。亀裂が走る音。脳天の直感で分かった。ここが崩れ落ちる。俺は、俺たちは瓦礫の下敷きになって死ぬ。
もうそれで良いと思った。
――――また失うのか?
誰かが俺に問いかける。
失う、何を? 俺が何を失うんだ? 臆病で最低な俺が、また何を失――。瞬間、身体に伝わる俺を抱く感覚を感じた。震えて、しかし優しさと温もりを感じるその腕を……。
俺は自分に問いかけた。
――――また……失うのかッ。
大切な人を、仲間を。
ビキッ――。
天井が悲鳴を上げる。
記憶と、姉ちゃんの断末魔と、眼前の光景が反響する。
嫌だ……嫌だッ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
仲間を――大切な人を、もう失うのは嫌だッ!!
一瞬にして、壁にも亀裂が……。
ビギッ――。
亀裂は一気に広がって、俺たちの真上が崩壊。そして瓦礫が――俺の思考が絶命する勢いで回り、亀裂の形から安全な場所を導き出し……。
ツビキッ――。
ドンッ!
俺は結菜をそちらに突き飛ばした。
瓦礫が俺に降り注ぐ。
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