プロローグ 終 奏:クロム

 絶望と現実は反響する。希望は一瞬にして消える。死が眼前ある。

 絶叫は鼓膜を震わせ、断末魔は脳裏に焼き付き反発。静けさと静寂とその刹那の光景。

 

 この目は俺の物か? この脳は俺の物か?

 この身体は俺の物か? 俺は俺の物か?



 ――グチャチャッ。



 小腸が一秒間に、数メートルほど勢い良く飛び出す。 

 もうそれは姉ちゃんではない。人間でもない。生きてもない。死体。

 その異様に美しくグロテスクな死体が、七本の槍に支えられて立っている。まるで人形。傀儡。案山子のように……。

 姉ちゃんの面影はもうない。ただ眼前にある物は――死。


 そして儀式は始まった。


 その大きな魔法陣が赤色の光を放ち、死を包み隠す。何の霊力も感じない。ただ目の前に広がる紅色の断末魔を、脳内でループさせる。


 そして光が収まり――はいた。肉眼で確認する。しかし霊感は反応しない。だが俺の瞳には映り込む。


 (……白い)


 案山子のように立つ死体の横に何かがいる。幽霊でもない。禍々しいものも感じない。しかし俺には見えている。


 (じゃあ……アレは? これは……?)


 恐怖心と好奇心と虚無感は、破滅を見ようしている。導こうとしている。俺の身体が動かない。何故身体が動かないのかも分からない。

 そして――が死体に近づいて――――。


 

 ピクッ。



 (ぅ……動、ィた……?)


 今のは見間違いだと思うのだが、勝手に動――突如一斉に七本の槍が消える。そして死体は崩れ落ち――。



 ――――バァサッ。



 その死体から真っ白な六枚の翼が生えて――。

 死体は動かない。翼は動く。死体は動かない。翼は羽ばたいている。死体は動かない。翼は寄生したように羽ばたき続ける。


 そして俺はそれを見ている。ただ姉ちゃんにあったの瞬間と、興味のあった契約を覗いている。真実を覗いている。

 俺は絶望から目を背けられない。悲しむや苦しみや恐怖はそこにはない。――ただの虚無。何千年に及ぶほどの虚無。


 すると魔法陣が再度光り輝く。今度は白色。まるで世界を包み込むような……。目の前は白に包まれた。


 ◈ ◈ ◈


 運命が始まる。


 ◈ ◈ ◈


 「え……?」


 俺は何処にいるんだ?

 どういう訳か俺がどのような理由でここにいて、どうしてこうなったのか……。どう言う訳か思い出す事が出来ない。今言葉を発するまでの記憶が、抜き取られたように。


 「…………!!」


 俺は不意に辺りを見回すように、視点を切り替えたのだが――そこは真っ白な空間だった。四方八方、何千何万キロ続いているのかも分からない。……ただの白の世界。他には何もなかった。


 「嘘……だろ?」


 ここには何も無い。記憶もない。あるのはここに俺がいると言う事だけ。希望も絶望も白に包まれ、見つかる事もない。

 俺は絶望した。例えばここがただ真っ黒な空間だったら、どれだけ俺はマシな気分になれただろうか? 黒ならば少しでも希望があるかもという期待感が持てたのかも知れない。

 しかしここは全てが白。何もない。何もかも……。

 突然、



 「ギャアアァアアアァァアアアアァアアアアアア!!」



 その声が誰なのか直ぐに分かった。

 瞬間、全てを思い出した。

 声。大きな声。悲鳴。絶叫。

 ……ちゃんの。

 姉……んの……ッ!

 姉ちゃんの……!!

 俺の大好きな姉ちゃんのっ!!

 

 俺は直ぐにそちらに走り出す。延々に続くの純白の世界。何も無い。何もない、だけど……っ!


 (姉ちゃん……!)


 終わらせない。終わらせたくない。終わらせてたまるか。あんな事になってたまるか。あんな事に……!!


 俺は全力で走る。ゴールは見えない。でも諦めない。

 俺は絶対に諦めない! つかみ取ってやるッ。希望を……。姉ちゃんを!!



 スッ――。



 それはいきなり眼前に現れた。俺は絶望する。


 何も変わらない。

 何も変わらない。

 何も変わらなかった。


 七本の紅黒あかぐろい槍が、姉ちゃんを突き刺していた。

 そしてその槍は――――。


 ドクンッドクンッドクンッドクンッ。


 まるで生き物のように脈を打っている。

 それ以外は……姉ちゃんは上から見た光景と同じだった。


 顔面は一本の槍で潰れ、どちらかの目が垂れ下がっている。身体と頭は首の皮一枚で繋がっており、いつ落ちてもおかしくはない。

 右腕は肩の部分から落ち、どれほど槍の切れ味が残酷なのかが一目瞭然。そこから紅い骨が見える。

 胸からは内臓が飛び出しており、腹から小腸が地面まで伸びていた。その内臓は今もなお、ドクンッドクンッと動いており、腹の中は全ての腸を出し切ったように空になっている。

 左足も膝から落ちており――――背中からは真っ白な六枚の翼が絢爛けんらんに生えていた。


 ……絶望と共に俺は気付く。

 姉ちゃんの落ちた右手と左足。そして動く事を放棄ほうきした左手と右足。四肢。

 それに――――。



 ――――”漆黒しっこくくさり”が繋がれていた。


 

 俺はそれに、何故かひど嫌悪けんおし恐怖する。訳の分からない目の前の光景。憎悪が生まれる。姉ちゃんの死体。憎悪は根を張り、俺の心を掌握しょうあくする。

 しかし恐怖心は憎悪を牽制けんせい

 気が付くと、

 

 「な!?」


 何と俺の右手右足にも、漆黒の鎖が繋がれていた。それに対して恐怖と憎悪が止まらない。止まることを知らない。止まれない。

 俺はそれを無理矢理壊そうとするが、傷一つ付かない。

 すると、

 

 ――ゾッ。


 鳥肌が立つ。それは目の前の死体から。

 姉ちゃんから……。

 姉ちゃんから……。

 それから……聞こえてきた――――。



 「クロ……ム。大…………好き……」



 ◈ ◈ ◈


 運命は殺す。


 ◈ ◈ ◈


 運命は戻る。


 ◈ ◈ ◈


 運命は悖る。


 ◈ ◈ ◈


 始まった。

 

 ◈ ◈ ◈


 「ぅあっ!?」


 俺は何故か自室の床で飛び起きた。

 時刻は午前零時半。とっくに契約の時間は終わり周りも静か。しかし俺の心臓のバクバク音は止まらない。


 (何が……何がどうなったッ!)


 まずありえない事に、ベランダから垂らして置いたシーツなどで作ったロープが、元の状態に戻っている。


 「……夢?」


 そうであって欲しい。そうに決まっている。

 俺は直ぐに自室を飛び出した。俊足で。呼吸が乱れ、過呼吸になりつつある。だがそれでも俺は走る。そして上の階の姉ちゃんの部屋へ……。

 そして俺は扉を「ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン」と強く叩いて、


 「姉ちゃんッ、姉ちゃんっ! 姉ちゃんッ!!」


 俺は過呼吸になりながら中に向かって叫ぶ。全てが夢だと信じて。

 しかし応答はなかった。

 俺はどうしても真実を確かめたかった。だからドアノブに手を伸ばして――しかし開いていない。


 「姉ちゃん、何でっ! 答えてよ!!」


 しかし応答はなかった。

 すると、


 「どうしたんですかクロム、こんな時間に!?」


 ミザリーさんが焦った表情でこちらに駆け寄って来る。おそらく物音で起きたのだろう。気付かなかったが、他の使用人たちも出て来ている。

 

 (そうだ、ミザリーさんなら!!)


 「姉ちゃんは!? 姉ちゃんはどうなったのッ!!」


 それは発狂に近かった。俺は希望にすがって……。

 しかしその返答は残酷なものだった。


 「……貴方のお姉さんは神聖な存在になったので、もう会えません」

 「……は?」

 

 世界が停止する。その答えは絶望を通り越した何かだった。

 俺の中の何かが弾け飛ぶ。


 「お、おい……。ふざけ――――」


 ◈ ◈ ◈


 運命が変わる。


 ◈ ◈ ◈


 運命が消える。


 ◈ ◈ ◈


 運命が貫通する。


 ◈ ◈ ◈


 運命が再構築される。


 ◈ ◈ ◈


 「クロム、先ほどから何を言っているのですか?」


 その彼女の言葉に俺は……恐ろしい異質な何かと怒りに襲われる。

 俺は声を大にして、


 「姉ちゃんを何処にッ――――!!」


 しかし彼女は冷静に、



 「――――貴方にお姉さんはいませんよ?」



 いつもの表情。いつもの彼女の表情。いつものミザリーさんの表情。

 俺は現実から後退りする。


 「……は? ……何言って。……ほら……この、部屋だって」


 俺は横にある扉をを指差す。思考はまともに回らない。

 対して彼女は、


 「この部屋は用具室ですよ? 何なら鍵を開けて上げます」


 そう言って彼女は部屋の扉を開けた。

 もう希望は見えなかった。


 (……何で? 何で? 何で?)


 そこには掃除機や雑巾。布団、枕、シーツ。奥の方には使われなくなったであろうソファー。他にも色々……。

 だがあのベットもない。だがあの綺麗に整頓された机もない。姉ちゃんの生きていた証がない。どこにもない。

 俺は放心状態になる。ミザリーさんは無言でその扉を閉めた。扉に貼ってあったはずの「ノックして」の貼り紙もない。

 するとミザリーさんは、


 「クロム……体調が優れないようですね。早く部屋に戻って寝ていなさい。……あぁそれとコレが落ちていました。確か前に貴方が――」


 そう言ってミザリーさんはポケットからソレを取り出した。その赤い宝石が埋め込まれた物――指輪。俺が姉ちゃんにプレゼントした……。姉ちゃんが付けていた……。

 そしてその指輪にはが――。


 ◈ ◈ ◈


 そこからは、ただ恐怖心が俺を襲った。

 あそこで何が起こったのか? 姉ちゃんはどうなったのか?

 あれが天使との契約? あれが皆の為に……神聖な存在?


 そこからは、ただ恐怖心が俺を襲った。

 日が立つに連れて姉ちゃんがいない事を自覚する。食事は身体を受け付けない。震えが止まらない。恐い。


 そこからは、ただ恐怖心が俺を襲った。

 俺もあぁなるのか? あれが契約? 神聖な儀式? まるで生贄いけにえじゃないか……。


 そこからは、ただ恐怖心が俺を襲った。

 俺もあぁなると思った時。姉ちゃんみたいになると思った時。死ぬと思った時。存在が消えると思った時。


 ――――ギャアアァアアアァァアアアアァアアアアアア!!


 断末魔は頭の中で響く。

 恐怖は背中を押した。

 真実よりも……恐怖が……。



 恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。



 だから――。




 姉ちゃんの誕生日から二週間後の夜。

 俺は屋敷から逃げ出した。

 ただ恐くてこわくて。

 

 ◈ ◈ ◈


 運命は乱れる。


 ◈ ◈ ◈


 運命は観察する。


 ◈ ◈ ◈


 運命は拍車をかける。


 ◈ ◈ ◈


 運命は突き進む。


 ◈ ◈ ◈


 運命は決意する。


 ◈ ◈ ◈


 人類の王が誕生する。


 ◈ ◈ ◈


 運命は裁く。


 ◈ ◈ ◈


 運命と狂気が暴れる。


 ◈ ◈ ◈



 ――――「死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう夢見るままに待ちいたり るるいえ うがふなぐる ふたぐん


 ◈ ◈ ◈


 運命は浮上する。


 ◈ ◈ ◈


 運命は出会う。


 ◈ ◈ ◈


 運命は憎悪する。


 ◈ ◈ ◈


 憎悪は代償を求める。


 ◈ ◈ ◈


 運命が過去に干渉する。


 ◈ ◈ ◈


 運命が未来に干渉する。


 ◈ ◈ ◈


 機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ


 ◈ ◈ ◈


 昂進を求める。


 ◈ ◈ ◈


 運命が始まる。


 ◈ ◈ ◈


 運命が―――??


 ◈ ◈ ◈


 運命は計画通りに進む。


 ◈ ◈ ◈


 運命は支配された。


 ◈ ◈ ◈


 『ベートーヴェン 交響曲第九番第四楽章〈歓喜の歌〉』


 ◈ ◈ ◈


 「これが【破滅の願いカプラス】……」


 ――――俺は一つ目のソレ【破滅の願いカプラス】を響かせた。生者セイジャが活動を始め、死者シシャは喰らう始まり。


 ◈ ◈ ◈


 鐘は鳴る。


 ◈ ◈ ◈


 運命は――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 運命は――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 運命は――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 運命は――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印される。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 人間の底深い闇が、深淵が、狂気が……。

 この先の物語で語られるだろう。

 人間の……生命体の恐ろしさを……。

 

 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 記憶が封印される。


 ◈ ◈ ◈


 運命が封印される。


 ◈ ◈ ◈


 「――俺はここにいる」


 姉ちゃんのあの誕生日から――何日がか経過した。何カ月がか経過した。何年がか経過した。

 そして俺の左足はもう使い物にならない。

 俺はその場に倒れた。意識は遠のいていく。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈


 ――封印。


 ◈ ◈ ◈



 俺のあの誕生日以降の行動の記憶は、無意識下に封印される。

 契約と覚醒のそのときまで……。




 ――――干渉した運命を合わせるために。

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